うたかた 8 - 9
(8)
ポーカーフェイスは得意中の得意だった。
自分の気持ちに気付いていない振りをするのも。
(…未だに想い続けてるとはな。未練がましくて嫌になるぜ。)
ヒカルが囲碁部を辞める辞めないでモメていたとき、オレンジの髪の1年生がヒカルに詰め寄っているのを見て、思わず過剰に口出しをしてしまったことがあった。
気に入らなかった。自分以外の人間がヒカルに構うのは。
その感情が嫉妬という名だと自覚したとき、加賀はずいぶん自分の気持ちを持て余した。
同性であるということは冒険だったけれど、大きな問題ではなかった。加賀は今まで恋愛感情を持った相手は、どんな手段を使ってでもモノにしてきたし、そうするのが当然だと思っていた。
けれど────
(打倒、塔矢アキラ……か。)
加賀が自分の気持ちに薄々勘付いたとき、ヒカルは既に目標に向かってまっすぐ進んでいた。
(あんな必死な瞳で夢追われちゃあ、邪魔できねえじゃねぇかよ…。)
加賀は、自分がヒカルに告白したら、ヒカルが混乱するのが手に取るようにわかっていた。だから、打倒塔矢アキラを目指して着々と階段を登っているヒカルの腕を掴むのはためらわれたのだ。ヒカルが大事だからこそ、余計なことを考えさせたくなかった。
────しょーがねえ、このまま「いい先輩」でいるのも悪くねえかもな────
そうして加賀は、身を引くことを決心した。
ヒカルの笑顔に心を動かされたときは必ず心の中で、女みてぇなやつだ、と毒づいた。ヒカルの手助けをするときは必ず心の中で、オレは鈍くさいヤツを見るとイライラすんだよ、と舌打ちをした。そうすることでバランスを保っていた。
相手の気持ちなどお構いなしだった加賀が、初めて選択した道だった。
(…卒業して会わなくなったら、忘れられると思ってたんだが…。)
深く溜息をついて、ヒカルの前髪を梳いてやる。汗で額にはりついた髪をかき上げると、赤く色付いた肌が見えた。
…またこんな風に、ヒカルに触れる日が来るなんて思ってなかった。
(ほんとうは)
高校生になってから、ずっと感じていた喪失感。
(本当は、ずっと会いたかったんだ…。)
将棋部の顧問に頼まれて葉瀬中に行ったときも、もしかしたらヒカルに会えるのではないかという期待が心のどこかにあった。
(我ながら笑っちまうぜ。女々しいったらありゃしねえ…。)
ヒカルがまだ深い眠りの中にいることを確認して、加賀はもう一度ゆっくりヒカルにくちづけた。
今まで築き上げてきた鋼鉄の壁にヒビが入る音が、どこかで聞こえた気がした。
(9)
加賀の何度目かのキスで、ヒカルは眠りから覚めた。けれど目を開けるのも何かを考えるのも億劫で、引き続きまどろみに身をまかせる。
ふいに、顔に何か冷たいものが触れた。
(────…?)
なんだろう、と思ったが、次第にどうでもよくなった。
『冷たいもの』は頬を撫で、額を滑っていく。ひんやりした感触が心地よかった。
「………。」
ヒカルが微笑んだ気がして、加賀は思わずヒカルの額に置いた手を浮かせた。
「…進藤?」
静かにそう呼ぶと、返事の代わりにヒカルは少しだけ瞳を開けて、すぐまた閉じた。
(……いつから起きてたんだか。)
少し動揺しながら、ごまかすようにヒカルの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「…何か食いたいものとかあるか?」
「…りんごのすりおろしたやつ…」
「わかった、すぐ作ってくる。」
台所に向かいながら、加賀はヒカルが元気になることを願う一方で、ヒカルの熱がこのままずっと下がらなければいい、とも思っていた。
風邪が治ったらヒカルは帰ってしまう。
「…放したくねえなぁ…。」
いっそのこと軟禁してしまおうか。
頭に浮かんだ言葉に自分で苦笑して、紅いりんごを一つ掴んだ。
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