Linkage 81 - 85
(81)
週明けの月曜日とはいえ、早朝の時間帯はまだ比較的道路も空いている。
緒方のRX-7は順調に塔矢家に向かっていた。
「あっ!これ、昨日の曲ですよね。え〜っと、サムワントゥ……」
「"SOMEONE TO WATCH OVER ME"だよ。来年の今頃ならアキラ君にもわかるだろうな」
アキラは嬉しそうに頷くと、フロントガラスの向こうに真っ直ぐ続く道路を見遣りながら
「中学生か……」と呟いた。
「中学に入ったらプロ試験を受けるだろ?」
緒方の問いかけに、一気に表情が曇る。
「でも、ボクの実力は……」
謎の少年との一局のことを思い出し、俯くアキラの肩に、緒方はハンドルから離した片手を
ポン置いた。
「例の少年のことはともかく、アキラ君の実力がプロに匹敵するものであることは間違いないさ。
これをバネに、中学に入って更に飛躍してほしいんだがね」
優しく肩を叩く緒方に、アキラもなんとか気持ちを切り替え、頷いて見せた。
しばらくの間、車内を沈黙が支配していたが、塔矢家の手前に緒方が車を止めようとした瞬間、
アキラがその沈黙を破った。
「……緒方さんっ!」
ギアをニュートラルに入れる緒方の左手に自分の手を重ねたアキラは、驚く緒方の顔を見据える。
「……急にどうしたんだい?」
「……あの後、ボクのこと朝まで見守っていてくれたんですよね?」
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緒方は自身の左手の上に重ねたアキラの手を右手でそっと包み込んだ。
「……しばらくリビングにいて、それからシャワーも浴びたが、その後はずっと
アキラ君を見ていたよ……」
アキラは自分の手を優しく包む、緒方のひんやりとした手に視線を向けた。
「…………うん。……ありがとう、緒方さん……」
俯いたまま、声を微かに震わせるアキラを見つめる緒方の心中は複雑だった。
だが、その思いを振り切るように、重ねた右手でアキラの手をポンと叩く。
「さあ、アキラ君は朝食を食べて、学校に行かないとな。悪いが、サイドブレーキを
引かせてくれないか?」
アキラはすぐさま紅潮した顔を上げると、頷いて手を離した。
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車から降りた2人をアキラの父親が出迎えた。
「緒方君、アキラが面倒をかけて済まなかったな。アキラ、緒方君に礼は言ったか?」
「はいっ!緒方さん、ありがとうございました」
アキラはあたかも何事も無かったかのように屈託のない笑顔を浮かべると、緒方に
ぺこりと頭を下げた。
「面倒だなんて、とんでもないですよ。アキラ君にはプレゼントを貰ってしまって……」
ポケットから銀色に輝くライターを取り出して見せる緒方に、アキラは嬉しそうに笑った。
「使ってくださいね!」
プレゼントのことを知らなかったのか、塔矢は少し驚いた様子でアキラと緒方を交互に見つめる。
「緒方さん、昨日が誕生日だったんです」
アキラの言葉に塔矢は得心した様子で微笑むと、アキラの肩に手をかけた。
「先月、アキラは緒方君からプレゼントを貰ったからな」
アキラは父親の言葉に頷くと、ふと声を上げた。
「ボク、これから制服に着替えなきゃ!」
「そうだぞ、アキラ君はこれから学校だ」
アキラは「じゃあね、緒方さん!」と明るく言って、緒方に再び頭を下げると、
慌てて家の中へ入って行った。
「本当に朝食はいいのか、緒方君?」
塔矢の問いかけに、緒方は苦笑しながら答える。
「ええ……。せっかくのお誘いなんですが、どうも朝は胃が……」
塔矢もそれ以上は引き止めなかった。
アキラが世話になったことに再び手厚く礼を言うと、一礼して車に乗り込み去っていく
緒方を見送った。
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(……アキラ君に『ありがとう』なんて言われる資格が、オレのどこにあるって
いうんだ……)
ギアをシフトしながら、緒方はやりきれなさに大きく息を吐き出した。
とりたてて目的地もないまま都心から下る高速に乗ると、一気にアクセルを踏み込む。
しばらくそのまま運転を続けていた緒方だったが、車内に再び流れ出した
SOMEONE TO WATCH OVER MEに、思わずCDを止め、ラジオに切り替える。
適当に選局しているうちに、低く気怠げな女性の歌声に惹かれ、そこで選局する
手を止めた。
曲は途中だったが、英語の歌詞は内容から察するに辛い恋を歌ったものらしい。
何度か繰り返される歌詞に、思わず緒方は自嘲的な笑みを浮かべた。
「"What I need is a good defense. 'Cause I'm feelin' like a criminal."か……。
まさしく今のオレじゃないか……」
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緒方が自宅のマンションへ辿り着いたのは、正午を過ぎてからだった。
昨夜、中華街で食事をして以来、特に何も食べてはいなかったが、半日以上経った
にもかかわらず、これといって食欲がない。
固形物を胃に入れるより、むしろ何か液体で喉の渇きを癒したかった。
台所へ向かった緒方は、冷凍庫を開けると、冷えたズブロッカの瓶とショットグラスを
取り出し、リビングへと向かった。
荒々しくソファに腰を下ろし、ズブロッカの瓶を開ける。
冷凍庫で冷やしても凍結しないトロリとした淡い黄緑色の液体をショットグラスに
注ぎ込むと、緒方は一気にそれを呷った。
アルコール度数40度の冷え切った液体が、喉の粘膜を刺激し、感覚を麻痺させる。
味わうことなく、喉の奥へと一息に流し込んだためか、本来感じられるはずの柔らかな
甘味は舌に残らなかった。
液体に溶け込んだバイソングラスの香りだけが、僅かに口腔内を撫で、鼻腔をくすぐる。
(……これが飲まずにやってられるか!)
怒りの矛先を向ける相手は、他ならぬ自分自身だった。
自身を責め立てるように3杯、4杯と続けてショットグラスを干すと、先刻まで空だった
胃が悲鳴を上げ始め、緒方は新たに酒を注いだグラスをテーブルに戻した。
(……結局こうやって酒に逃げるのがオレなのか……)
緒方は膝に肘をつき両手で額を押さえ込むと、項垂れたまま深く溜息をついた。
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