平安幻想異聞録-異聞-<外伝> 83 - 86


(83)
互いの胸の上下する速度が徐々に緩くなるのを待って、アキラは重ねたまま
だった唇を放した。
そのまま、体を起こし、ヒカルの中から出ていこうとすると、当のヒカルが、
掠れた声でそれを押しとどめた。
「やだ、まだ……中にいて……」
どうしたら、彼のそんな願いに逆らえるというのか?
アキラはもう一度、ヒカルの体を抱きしめ直す。
心地良さそうな溜め息が、ヒカルの唇から洩れたのを聞いた。


ヒカルは夢心地の中にいた。
あの伊角に触れられた夜以来、快楽をもとめて泣いていた体も、今は静かだ。
手を延ばせばそこに人肌の温もりがある。
ただ、快楽が与えられただけではない。体だけでなく、気持ちも温かさで
いっぱいになるような、この感覚こそ、ヒカルが欲しかったものだった。
体を離そうとしたアキラを押しとどめて、その温もりの名残をおしんだ。
まだ、感じさせておいて欲しかったのだ。
すでに陽は落ちて、碁会所の中は暗く、相手の顔を見分けることも困難だ。
だが、今はそれでいい。
やがてアキラがそろそろと身を起こし、ヒカルの中から出ていくのを、
ウトウトとしながら感じる。
絹ずれの音がして、アキラが身支度を整える気配の後、目を閉じて寝たふりを
しているヒカルの体に、ふわりと着物がかけられた。
それから、かすかに木の軋む音がして、彼が出ていったのがわかる。
静かで、そして、幸せだった。
口の中で、もういない人の名を呼んで、ヒカルは体にかけられた着物を顎の
辺りまでまでひっぱり上げた。


(84)
ヒカルの鼻をつんと、菊の香の匂いがついたのはきっと気のせいだろう。
気のせいでもいい。
それが偽りのものだとしても、今はその心地よさに身を浸していたかった。


アキラは人気のない自分の屋敷に帰り着いて、文机の上に突っ伏した。
ずっと、ヒカルの事が好きだった。だが、そこに肉欲がともなっていたかと
いうと自分でもよくわからない。元々、閨事に疎い自分は、彼と世間話をして
いれば充分に満足だったし、まったく彼の肌に触れたくなかったかと言えば嘘
になるが、でも、彼が自分のものにならなくても、こちらに笑いかけてくれる
なら、それでいいような気もしていた。
だから、今日はじめて彼の体を手にした時も、彼を抱けるのだという降ってわいた
幸運に喜ぶよりも先に、自分に佐為の変わりが務まるだろうかという緊張が心を
支配した。
だが、一度触れてしまえば、それが自分自身に対するごまかしでしかなかったと
考えずにはいられない。
――まるで甘露で満たした瓶の中に身を沈めているようだった。
普段、自分の前で意地をはってみせる風情のかけらもなく乱れるヒカルの姿に
心を奪われた。
こんなにどこもかしこも感じやすい彼の体に驚き、捕らわれた。
昔、同じように体を穿たれて乱れたヒカルを、アキラは知っている。
しかし、二年前に聞いた彼の声は、あれほどにこちらの胸を焦がしたろうか?
下肢はあれほど、淫らに動いたろうか?


(85)
あの忌まわしい夜の思い出の中のヒカルは、その時、自分は何も出来なかったと
いう後悔の念とともに、何処までも痛々しいものとしてアキラの脳裏に刻み付け
られていたが、今日の彼は、自分の腕の内で積極的に快楽の沼に身を投げ出し、
全身でそれを享受しようとしていた。
受け止めるだけではない。能動的にアキラを引き寄せ、耳や胸を軽く噛んだりも
した。
誰が、こんな彼を作り出したのだろう。
そんなことは考えなくてもわかっている。
今は姿を消した、あの美しい人が、ヒカルをあんな風にしたのだ。
以前の自分なら、ヒカルと彼の閨事など想像したこともなかった。
そもそも、その手のことに想像するための知識が圧倒的に不足していた。
だが、今はそれがどんなだったか、自分は知っている。
他ならぬヒカルが教えてくれたのだ。この手を導き、唇をふさいで。
なまじ、藤原佐為とも親交が深かっただけに始末が悪かった。
目を閉じれば、あの白い腕がヒカルの腰をまさぐるさまを想像してしまう。
かの人がどうやってあの体を貫き、ヒカルがどうそれに応えたか、まぶたの
裏に思い描いてしまう。
優しげで落ち着いた声が「ヒカル」と名を呼び、ヒカルがそれに嬌声で答える。
文机に伏したまま、アキラはその光景を打ち消そうと、髪をかきむしった。
その夜、アキラの心を満たしたのは、想い人をはじめて抱いた満足感などでは
なかった。
身を焦がすような嫉妬だったのである。


(86)
『ヒカル』
と、懐しい声が、名を呼ぶ気がする。
向かいに座る人もない碁盤と対峙して、ヒカルは音もなくそこに石を置いた。
『ほら、ヒカル。どうしてヒカルは考えもなく、そこに置きますか。ここは
 はさむより開いた方がいいんです』
『別にいいじゃん、置きたいところに置いてかまわないんだろ?』
『でも、これでは勝負の行方が』
『いいよ、勝ち負けは。遊びだし』
『あ、遊びとはなんです、遊びとは! 囲碁というのはですねぇ、打つ手の
 一手一手に、その人の品格というものが実に如実に現れるものなのです。
 もっと真剣に……』
『あーーー、わかったから、次の手、打ってよ、佐為』
『………』
佐為の困ったように潜められた柳眉に見とれたところで目が覚めた。
今、もう佐為の思い出は、以前のように彼の胸をキリキリと痛めつけることはない。
それは秋の名残の赤い葉が、川面に落ちてどこか遠くに流れていくのを眺めている
気持ちにも似ていた。


十一月にもなると、宮中はにわかに落ち着かなくなる。
渡殿を行き交う女房たちの足運びも、気のせいかせわしない。
なにしろ、この霜月は睦月についで忙しい。新嘗祭、豊明節会、五節舞と大きな
行事が立て続けにある。
毎日の参議の内容も、まつりごと向きよりも、自然と近く行われる祭事の手順やら
役の割り振りやらの話が大部分をしめるようになるのだ。
もっとも、帝の御目にとまるような華々しい役どころは、すでに先の月のうちに
決められてしまってはいたが。



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