平安幻想異聞録-異聞- 89
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次の朝、ヒカルはきちんと整えられた寝所で目をさました。
最初は自分がどこにいるのかわからなかったが、起き上がろうとして、
自分の左手首に、手当てをした後の布が巻かれているのを見、すべてを思い出す。
そうだ。ここは座間の屋敷だ。
しばらくして、能面のように整ってはいるが、白くてのっぺりとした顔の侍女らしき女が、
朝餉をもってやってきた。
「座間様からの御伝言です。この部屋はすでに近衛様のもの。
好きにお使いになるようにと。それから、本日からは座間様の警護役として
内裏への出仕にもお供なさるようにとの御命令です」
言い終わると女は、つつとヒカルの側ににじりより、ヒカルの左手を取った。
手早い動作でヒカルの手にまかれた布を取り換える。
布は何か薬湯がしみ込ませてあるのか少し黄肌に染まっている。
女は丁寧に扱ってくれたが、それでも古い布を取ったとき、
かさぶたがはがれて、結局新しく巻かれた布にも、赤く血が滲んでしまった。
それが終わると女は後ろから何かを取り出した。
太刀だった。
「これで、警護役としての剣の鍛練もかかされぬようにと」
ヒカルは太刀を鞘から抜いてみた。
太刀は刃がわざと潰されていた。
しばらくそれを眺めるうち、女はいつの間にか立ち去っていた。
ヒカルは太刀を鞘におさめ、そっと横に置く。本当は部屋の隅に投げて
しまいたかったけれど。
常なら明け方のこの時間、ヒカルは庭で太刀を持つのが日課だったが、
昨日の夜、座間達の会話を、揺すられる背中で聞き覚えていたヒカルは、
とても剣を振る気になどなれなかった。
その日、ヒカルは初めて、座間の供として内裏に出仕した。
そこで一番会いたくて、一番会いたくなかった人間にあった。
佐為。
裏切られたと思うだろうか? 何か事情があったのだと察してくれるだろうか?
どちらにしろ、傷付いた瞳をしているのは間違いない。
ヒカルはそれを見たくなくて顔を伏せた。
座間達とともに、下をみたまま足早に歩き出す。
かの人の横をすり抜る。
ヒカルは、振り返って駆け寄りたい衝動を、抱きしめてなぐさめてやりたい衝動を、
懸命に心のうちに押さえ込んだ。
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