平安幻想異聞録-異聞- 89 - 92


(89)
次の朝、ヒカルはきちんと整えられた寝所で目をさました。
最初は自分がどこにいるのかわからなかったが、起き上がろうとして、
自分の左手首に、手当てをした後の布が巻かれているのを見、すべてを思い出す。
そうだ。ここは座間の屋敷だ。
しばらくして、能面のように整ってはいるが、白くてのっぺりとした顔の侍女らしき女が、
朝餉をもってやってきた。
「座間様からの御伝言です。この部屋はすでに近衛様のもの。
 好きにお使いになるようにと。それから、本日からは座間様の警護役として
 内裏への出仕にもお供なさるようにとの御命令です」
言い終わると女は、つつとヒカルの側ににじりより、ヒカルの左手を取った。
手早い動作でヒカルの手にまかれた布を取り換える。
布は何か薬湯がしみ込ませてあるのか少し黄肌に染まっている。
女は丁寧に扱ってくれたが、それでも古い布を取ったとき、
かさぶたがはがれて、結局新しく巻かれた布にも、赤く血が滲んでしまった。
それが終わると女は後ろから何かを取り出した。
太刀だった。
「これで、警護役としての剣の鍛練もかかされぬようにと」
ヒカルは太刀を鞘から抜いてみた。
太刀は刃がわざと潰されていた。
しばらくそれを眺めるうち、女はいつの間にか立ち去っていた。
ヒカルは太刀を鞘におさめ、そっと横に置く。本当は部屋の隅に投げて
しまいたかったけれど。
常なら明け方のこの時間、ヒカルは庭で太刀を持つのが日課だったが、
昨日の夜、座間達の会話を、揺すられる背中で聞き覚えていたヒカルは、
とても剣を振る気になどなれなかった。

その日、ヒカルは初めて、座間の供として内裏に出仕した。
そこで一番会いたくて、一番会いたくなかった人間にあった。
佐為。
裏切られたと思うだろうか? 何か事情があったのだと察してくれるだろうか?
どちらにしろ、傷付いた瞳をしているのは間違いない。
ヒカルはそれを見たくなくて顔を伏せた。
座間達とともに、下をみたまま足早に歩き出す。
かの人の横をすり抜る。
ヒカルは、振り返って駆け寄りたい衝動を、抱きしめてなぐさめてやりたい衝動を、
懸命に心のうちに押さえ込んだ。


(90)
ヒカルが座間と供に出仕したという事実は、ヒカル本人が思っている以上に、
宮中全体に波紋を広げていた。

座間派をおさえ、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの藤原行洋一派の権勢。
その中でも、件の妖怪退治での立役者となった藤原佐為。
佐為が未婚者ということもあって、彼が内裏に出仕する度に、まだ嫁ぎ先の
決まらない女房達、あるいは、年ごろの娘を持つ権力欲あふれる貴族達の、
熱い視線を浴びることになっていた。
そして、その佐為の傍らに常にある、金茶の前髪の少年検非違使の姿。
検非違使ごとき身分の者が内裏に出入りする物珍しさもさることながら、
その少年らしい快活な所作と印象的な髪の色は、佐為の姿とともに否が応でも
人々の目に入り――いつのまにやら佐為とヒカルは対の者として、二人一緒にいるのが
当然というふうに、本人達さえ知らぬ間に思われるようになっていたのだ。
その近衛ヒカルが、今日はどういうわけか、座間長房とともに内裏に出仕してきた。
対する藤原佐為は、まったく別の青年検非違使を供につれていた。
いったい何があったというのか。
その光景は、内裏の人々の興味をおおいにそそった。
ヒカルと佐為の仲の良さをしっている女房達が、扇の影で口と耳を寄せ合い、
「どちらがどちらを振ったのか」などという、高貴な身分の女性としては
少々下品な噂話に興じている程度ならまだよかった。
あわよくば、佐為の君に取り入って、自らの立身出世をと睨んでいた公達の中には、
ヒカルをただの佐為の警護役としてではなく、政治的な意味での懐刀的な存在なのでは
ないかと深読みしている者もいて、その近衛ヒカルが佐為を裏切った――これは
ヒカル個人が座間派によったということ以上に、藤原派である佐為が、
彼を通して座間派に内通しているのではないかという推論を呼び起こし、
さらにその憶測が独り歩きして、ついには佐為が藤原行洋を裏切って、
座間派に走ったのではないか。
そしてその証として懐刀であるヒカルの身柄を座間に預けたのではないかという
話にまでふくらんだ。
そんな話に尾鰭がついて、その日の夕方には内裏中、いや大内裏にまで噂は広まり、
夕方遅くに、佐為はその申し開きのために藤原行洋に呼びだされるはめになったほどだ。


(91)
その日の朝、出仕する佐為を迎えに来たのは、片桐という青年検非違使だった。
聞けば検非違使庁から、今日から近衛ヒカルのかわりに佐為殿の警護をするようにと
申しつかったという。
(どういう事なのだろう?このところヒカルはあの騒ぎせいで病欠が続いたから、
 そのせいだろうか)
一昨日、賀茂家の屋敷にヒカルを預けたが、アキラからもヒカルからも
それきり連絡がない。
昨日なんの音沙汰もないのに焦れて、仕事のある自分に代わり、人を使いにやった。
使いにやったその者は、賀茂邸の扉はきつく閉ざされ、人の気配がしなかった
と佐為に伝えた。
佐為はそれをけげんに感じたが、
(何か祓いの儀式などの最中なのかもしれない、何かあったら賀茂殿が
 連絡をよこすはず)
佐為は賀茂アキラの力を信用していたし、陰陽道では、大きな祓いの儀式をする時は、
そういった人払いをすることがあるのも知っていたから、とにかく一日静観していた。
その時は、佐為自身も、その一日の静観が大きな取り返しのつかないものになろうとは
思いもしなかったが。
そして今日、ヒカルの身を案じながら気もそぞろに内裏に出仕し、そこであの
信じられない光景を見たのである。
帝の囲碁指南にもろくに身が入らず、
「そのように、上の空であるなら、もうよい!」と叱責を受けた。
碁を打っていて、こんなことなど初めてだった。
帰り道、内裏の廊下を歩いていても、女房達のうわさ話が耳に入る。
更にその途中で呼び止められ、この噂の真相について、藤原行洋に申し開きに
行かなければならなくなった。


(92)
散々な一日だ。
いつもなら、このような心無い噂話を耳にして自分が心揺らすとき、傍らには
常にあの検非違使の少年がいて、「平気平気」と笑ってくれた。
その彼が、今日はいない。今は、あの座間の元にいるのだ。
今さらながら、自分がいかにあの少年がこちらにむけてくれる笑顔を心の糧に
していたかを思いさらされる。
そして突然、佐為は、自分がこうも心揺らしているのは、ヒカルが裏切ったからでは
ないことに思い当たった。
自分がこんなに傷付いているのは、ヒカルが何も相談してくれなかったからだ。
そして、そのヒカルが、今、座間の元でどんな仕打ちを受けているかと心配になる
からだ。
おそらく、座間が表立って藤原一派にぶつけることのできない嫉みと怨嗟を一身に
受けているのではないだろうか。
今朝、通りすがったときに見た、ヒカルの左手首の新しい怪我の痕が思い出された。
手当ての為にまかれたらしい布に、血が滲んでいた。
あんな傷は二日前に別れた時にはなかったはずだ。

佐為は、その夜ひとり、賀茂アキラの屋敷に向かった。
戸を叩いても人の気配がない。
そっと木戸を押してみると開いていたので、中に失礼して入らせてもらった。
屋敷の中に上がらせてもらう。
ここも錠がかかっていない。
「アキラ殿、おられるのか?」
不審に思いながら、廊下を奥へ進むと、その突き当たって曲がった先に、
賀茂アキラが倒れていた。



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