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(9)

――――断るのは手間だろう。それならそうと言ってくれたほうがいい

子供のように拗ねた口を利いてしまった。
そんな僕に進藤はちゃんと答えてくれた。
僕と打つことが、特別だと、大切だと、答えてくれた。
僕は自分が恥ずかしくなる。
僕は思いやることができなかった。
極一部とはいえ、父の碁会所には、進藤の言葉尻を捉え揚げ足を取ろうとする人たちがいる。
そうだ、そういった人たちは進藤を毛嫌いし、顔を見ただけで忌々しげな舌打ちを聞かせたりする。
それでも、進藤は僕と打つために通ってきてくれた。
そんな彼の心中を推し量ることもしないで、ただ恨んでいた僕は………。
「やっぱり…世間知らずのお坊ちゃんだな」
僕がため息混じりに呟くと、進藤は一瞬驚いた表情を見せた後で、慌てて瞳を泳がせた。
僕はようやく穏やかに笑うことができた。
「知ってるよ、自分のことだからね」
そう、口の悪い連中が、僕のことを陰でなんと噂しているのかは、なんとなく知っていた。
「それが耳に入ってるなら、世間知らずじゃないんじゃないの」
進藤も笑った。
「俺、なんて言われてるか知ってる?」
進藤の問いに僕はなんて答えようか、一瞬迷った。
「おい、人の顔色伺うってことは知ってんだろ? どう思う? ヤンキーなんて言葉、もうとっくに死語だとおもわねえ?」
進藤は特徴のある前髪のせいで、ヤンキーとかひよことか呼ばれていた。
僕たちは静かに笑った。
そうやって笑い合えることが嬉しかった。


(10)
ぺラ二枚のゲラチェックは、程なく終わった。
僕が赤いボールペンにふたをすると、進藤もルーペとネガの入った袋を手に立ち上がった。
僕を待っていてくれたんだ。
あえて二人とも言葉にすることはしなかったが、暗黙のうちに了解していた。
忙しい天野さんに、それぞれチェックしていたものを渡すと、僕たちは出版部を後にした。

エレベータのドアが開くと、雨の匂いが噎せ返るようだった。
「凄い降りだな」
静かな雨だった。
まだ4時前だというのに、厚い雲に覆われた空は日没を思わせる。
売店には「傘売り切れ」の張り紙があった。
僕は知らず知らずのうちに重いため息をついていた。
ここからタクシーを使うのは、できれば避けたいところだが、この空模様じゃそんなこともいってられない。
進藤とまだ話したりない気分なのに………。
「塔矢 ――」
エントランスで進藤が僕を呼ぶ。
「なにしてんの?」
僕は慌てて近づいていった。
「傘、売り切れで……」
「じゃ、駅まで入ってけよ」
パンと小気味のいい音を立てて、進藤が傘を開いた。
「でも……」
「遠慮すんなよ。こんなんでもあるとなしとじゃ違うはずだぜ。濡れて行きたいってんなら止めやしないけどさ」
進藤が笑う。僕はその笑顔に誘われ、足を踏み出す。
梅雨の空は重苦しいのに、進藤の笑顔にはそれを跳ね返すような力があるようだ。
「朝は降ってなかったよね」
「ああそうか、塔矢は昼飯くわねえもんな。
昼の休憩んとき降ってきたんだ。凄かったぜ。バケツの底が抜けるってあんな感じなんだろうな」



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