身代わり 9 - 10


(9)
佐為の指し示すところにヒカルは石を置く。
だがそれはかつてのように、漫然としたものではない。ヒカルは佐為の意図を感じ、理解し、
そして流れ着く先を見極めようとしていた。
佐為の刃が、何度も行洋に討ちかかる。しかしそれはするりとかわされる。
切っ先はなかなか届かない。
佐為は唇を引き結んだ。慌ててはいけない。最後まで粘って勝機を見出す。
あふれる佐為の気迫が身体を包み、ヒカルは自分がどんどん昂ぶっていくのを感じた。
それは性的なものにひどく酷似していた。
対局してこんなふうになるのは初めてだった。
佐為が誰よりも入れ込んでいる、行洋が相手だからか。
ふと胸元に触れてみた。服の上からでも乳首が硬くなっているのがわかる。
息が熱をはらんでいる。
(なんだよ、これ……なんでオレが……)
その状態はまるで手に取ったかのように、行洋にも伝わっていた。
自分も何度か経験したことがある。いや、現に今、行洋は興奮状態にいた。
新初段相手に、自分でも信じられない。
それだけではない。
せまい肩幅、細い腕、小さな手を見る。中学二年生の身体、それ自体は見慣れたものである。
だが息子のアキラには感じないなにかを、行洋は感じていた。
(戦いの行く先は、すでに視えている。だからか、詮無いことを考えてしまうのは……)
終局が見えたときこそ、気を引き締めねばならない。
息を吐くと、行洋は白石を碁盤に放った。


(10)
幽玄の間に入った瞬間、天野は妙な雰囲気だと思った。
互いを見つめ合う行洋とヒカルに、胸がざわめく。そしてそれは検討が始まると、ますます
大きくなっていった。
「……進藤初段、この一手の意図は?」
何度めかの質問である。だがやはりヒカルが口を開くことはない。
当たりまえだ。十五目の差を自らに課して打ったなど、言えるわけがない。
「進藤初段……」
誰もが焦れているのに、行洋ただ一人がすべてを心得ているというように腕を組んでいる。
そして質問を寄せ付けない空気をかもしだしていた。
にっちもさっちも行かない状態だ。
(塔矢先生までなんで黙っているんだろう。進藤くんのことを見下げたのかな?)
この一局を見れば、そう思わざるを得ない。
だがそうではないと、天野の長年の勘が告げている。
塔矢行洋は決して、ヒカルの評価を下げていない。
検討は早々に切り上げられた。誰もがすっきりしない顔をしている。
天野は退室しようとしている行洋を呼び止めた。
「塔矢先生、進藤くんと打ってどう思われましたか?」
「……進藤くんを待っていたのは、アキラだけではない。わたしもまた、彼を待っていた。
そのことがよくわかった。次は……」
誰の目も気にせず、二人だけで打ちたい。そんなふうに思う自分に行洋はわずかに驚く。
(不思議な少年だ。碁だけでなく、その気迫も、なにもかもが)
言葉を切ったまま、行洋は立ち去ってしまった。残された天野は首をかしげていた。
行洋の言葉はまるで謎かけのようだった。
(塔矢先生が待つほどの棋士なのか? 進藤くんは……)
手に持つ今日の対局の棋譜を見た。ひどい碁である。ここまでひどいのは過去にない。
それなのに行洋はなにかを確信したようだ。
天野は頭をかいた。しょせん自分は棋士ではない。わからないのも仕方がない。
「なんか進藤くんは、この先どうなっていくのか見当もつかないねぇ……」 
だからこそ、ヒカルの碁は未知数と言えるかもしれないと、天野はふと思った。



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