クチナハ 〜平安陰陽師賀茂明淫妖物語〜 9 - 12
(9)
そうしたことを光に伝えていれば今のような事態にはならなかったのだろうが、
生憎とそれもまた明にとっては難しすぎた。
ただでさえ気持ちを伝えるのが苦手で、性交の最中はあまり言葉を交わさずに
済むことを有難く思うような人間が、ボクもキミと寝るのは大好きだから
これからも遠慮しないで誘ってくれなどと云えるだろうか?
そんな自分の本心を自覚しただけで明は赤くなってしまう。
望みを口に出せないまま火照った体を持て余す日々だけが続いて、
ついに先刻――夢の中のことであったらしいのが救いだが――
あのような浅ましい振る舞いに及んでしまったのだ。
「しかし、さすがに連日これだと困るな・・・」
仕事の場での集中力は欠いていないつもりだったが、現に先刻は居眠りして
淫らな夢を見てしまったらしいのだ。
寝付けない夜が続いて、体調にも影響が出ている。
職務を全うするためにも、時々はさりげなく光を誘って交わり、
欲求を満たしたほうがよいのかもしれない。
あまり頻繁に誘うのは恥ずかしくてとても出来ないが、世間にはそうした欲求を
満たすための道具なども数多く存在すると云う。
手を回してそれらを入手し、光で足りない分はそれで補えばよい。
そう考えると急に心が軽くなった。
まずは今日の帰りに、光を邸に誘ってみよう。
久しぶりに他人と夕餉を共に出来るのも楽しみだ、そうだ、そうしよう――
その時、明の身内でズルリと蠢いたものがあった。
瞬時に恐怖で体が凍りつく。
――あの若者と交わるですと・・・?この私を身内に宿しながら・・・
「あ、あぁ、ああああっ、」
――貴方の美味なる精は私だけのもの。一介の人間風情には惜しい・・・
先刻の急激な動きとは打って変わって焦らすように緩やかに内部をうねり刺激する
その得体の知れない何かに、明は声にならない叫びを上げた。
(10)
「あれ、光、まだ内裏に居たのですか」
涼しげな声に振り返ると、女のようにたおやかな容貌の友人が
きらきらと傾きかけた日差しに長い黒髪を輝かせてこちらに向かってきた。
「佐為。指導碁終わったのかよ」
「ええ、先刻。帝のもとに、訪ねて参られた御方がありまして。
光は、ここで立っているということは・・・明殿と待ち合わせですか」
「あぁ、そのはずなんだけど。・・・遅ェなぁ」
「一度様子を見に行っては?」
「う・・・ん、でも・・・オレ、外で待ってるって言って返事も聞かないで
出てきちまったんだ。賀茂にとっては迷惑だったかも・・・」
頭を掻きながら語尾を小さくして俯く光に、佐為は微笑んだ。
(11)
「明殿は口下手ですが、友人が待ちぼうけを食うのを分かっていて
放っておくような方ではありませんよ。明殿が何も言われなかったのなら、
じきに出て来られるでしょう」
「そうかなぁ。オレ最近賀茂に呆れられてるかもしんねェっていうか、
・・・さっきだって、オレ何かよくわかんねェけど賀茂のこと怒らせちゃって、」
「光。・・・気持ちを表すのが苦手な明殿とがさつな光では、誤解が生まれることも
あるでしょうが・・・光がいつでもしっかりと明殿を信じてあげることが出来れば、
きっとずーっと一緒にいられるはずですよ」
「がさつなオレってなんだよ。でも、・・・そうかなぁ」
「そうですよ。明殿は誰より光を身近に思っていますよ。私と二人で会う時にも、
明殿はいつも嬉しそうに光のことを話しています」
「あ、そうなの?そうなのか、じゃあ・・・そうなのかもな。へへっ」
少し照れ臭そうに頭を掻きながら顔を綻ばせる光を見て、佐為が目を細める。
光はじっとしていられないといった様子で足踏みしながら、
首を伸ばして明が来るはずの方向を見た。
そこへ一人の小者が駆け寄ってきた。
「検非違使の近衛殿ですね」
「え?あぁ、うん、オレだけど。何?」
「賀茂様からのおことづけを申し上げます。今日はご都合の不便なるに因り、
牛車で邸に戻られるとのこと。近衛殿には、申し訳ないがそのままお帰り
いただきたいと。・・・確かにお伝え致しました」
朗々と述べ上げると、小者はさっさと踵を返して行ってしまった。
「光・・・」
佐為がそっと光の背中に声を掛ける。
「ウン、オレ・・・もう帰る。今日はありがとな、佐為」
肩を落として振り返らずに帰っていく光の後ろ姿を、佐為は痛ましい表情で見送った。
急に日が翳った気がする。
ふと通り過ぎたぬめるような冷気に、花のかんばせを持つ碁打ちは
ぞくりと背筋を震わせた。
(12)
あれから数日経った。
未明、明は自邸の暗い室内でおぞましい責め苦と闘っていた。
「くっ!ハァッ、ハァッ・・・!ぐぅぅ・・・っ!」
一晩中の攻防に身悶える明の体からは装束が自然と乱れ解け、
今や半裸に近い状態となっていた。
身体の節々が痛む。
堅い床の上で長時間転げ回ったため、痣になっているのだろう。
だがそんな痛みは問題ではない。
いま明を悩ませているのは、苦痛をも凌駕して身体の芯から己を蕩かすような、
遣る瀬無い快楽だった。
――強情なひとだ。痩せ我慢はおよしなさい。疾うの昔に限界は超えているはず・・・
「ぐっ、黙れ・・・!」
幾度となく噛み締めた唇は既に破れて血の味がする。
男は、人語を語れども既に人の形を成していなかった。
黒っぽく長くうねる巨大な影となって明の全身に絡みつき、
堅い床と白い膚の上をズルズルと移動していた。
その形状は、例えるなら蛇――クチナハの如きものだ。
それは影のように実体無きものと目には見えながら触れれば確かな質感があり、
頭部と思しき部分には酸漿の如き二つの赤い目と先の割れた長い舌がある。
その点も蛇に似ている。
普通の蛇と異なるのは、その尾部がどうやら己の意志によって
自在に膨張硬化させうるらしいという点である。
膨張時のそれは人間の男の巨大な陽物に似ている。
クチナハはそれで明の後門を犯す。
クチナハの体表から絶えず分泌される粘液に触れた箇所から、
明の全身がジクジクと狂いそうに疼く。
堪え切れず明が精を放つと、先の割れた頭部が待ちかねたように絡みついて
美味だ、美味だと残らず舐め取る。
それをずっと繰り返していた。
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