眩暈 9 - 12
(9)
「何処へ行くんだ?進藤」
「おわっ!な、何だよ塔矢、いきなり…」
和谷達に並んで歩いていたヒカルは、棋院のロビーで待ち構えていたアキラにいきなり
腕を取られて、足止めを食わされてしまった。
少し離れた所で立ち止まった和谷が「置いていくぞー」と手招きをするのに「ちょっと待ってて」
と返して、アキラに向き直って「なに?」と話しを聞く姿勢を見せた。
「今日は碁会所で一緒に打つ約束をしただろう?」
「あれ、そうだっけ?ゴメン、これから和谷達とメシ食いに行くんだよ、伊角さんが奢ってくれるって言うからさ」
お前とはいつでも打てるし、また今度埋め合わせするから、とアキラの手を振りほどくと、
さっさと和谷達の元へと走っていってしまう。やはり忘れていたか…アキラの危惧した通りだった。
ヒカルがアキラとの約束を忘れたり、時間に遅刻したりする事は一度だけではなかった。
森下門下の友人や先輩、院生時代の友人達との付き合いでヒカルは何かと忙しいらしい。
しかしお互いに会える時間が限られている中での約束を反古にされる行為は、やはり面白くない。
自分の中で何よりも優先されるものはヒカルの事だと言うのに、相手にとってそれは同じではないらしい
と思い知らされているようで、アキラの中で不安が芽生え始める。
進藤を確実に自分のものとしなければ。アキラは焦っていた。
そして、意外に早くその機会は訪れたのだった。
(10)
いつもの碁会所…対局も検討も一段落し、二人は帰り支度を始めようとしていた。
「あーあ、晩飯どうすっかなぁ…ラーメンでも食って帰るかなー」
「何故?今から帰れば夕食の時間に充分間に合うだろう」
ヒカルの気だるげなぼやきにアキラは、外食ばかりじゃ体を壊すよ、と母親のようなお小言を言う。
「ちがうよ、今日はお母さんもお父さんも旅行行ってんの。今晩と明日の朝…オレ料理なんて出来ねーよ」
はぁー、とヒカルは盛大なため息をついて見せる。このチャンスを見逃すアキラではなかった。
「じゃあ、ボク泊まりに行っても良いかな?料理なら簡単なもので良ければ出来るから、作ってあげるよ」
「マジで?助かるよ、頼む!」
ヒカルはアキラの申し出に一も二も無く飛びついた。久しぶりに一人ではない帰り道に、ヒカルは浮かれた。
ヒカルは予想以上に出来の良いアキラの料理に驚きつつも、大喜びでそれを平らげ、意外な彼の能力を賞賛した。
終いには、「お前、いつでもお嫁に行けるよ」などと冗談を言って、アキラを複雑な気持ちにさせた。
後片付けも入浴も済ませた二人は、ヒカルの部屋でまた碁盤を囲んだ。
対局やその検討、詰め碁などをしている内に時間を忘れていたらしく、気付いたらすっかり夜も更けていた。
(11)
「そろそろ布団敷くか…おい塔矢、手伝ってくれよ」
碁盤を片付けベット下にスペースを空けて来客用の布団を敷こうとするが、アキラは動こうとしない。
「布団は…敷かなくてもいい」
「何言ってんだよ?お前の寝る場所がないだろう」
ベットに座って不思議そうな顔で見つめてくるヒカルに、アキラはそろそろと近付いてきた。
「あ、このベットはオレんだからな!ここで寝たいって言われたって、オレだってここが良いんだから…」
「そう言う意味じゃない」
言うや否や、アキラはヒカルをベットに押し倒して、触れるだけのキスをしてきた。
「…こう言う意味だよ」
「だからどう言う意味だ?って、ちょっと重いんだけど…」
「本当に分からない?」
するり、とアキラの手がヒカルの寝間着に入ってきて、確かめるように腹部を撫で上げる。
そのくすぐったさに、ヒカルは笑いを堪えきれず「あはは、ヤメロって!」と色気の無い声を出した。
本当に分からないらしいヒカルに、アキラは少しの間俯いて何か考えていたようだったが、
やがて真っ赤になった顔を上げると、ヒカルの耳元で小声で囁いてきた。
「セックス、しないか」
「エッ、男同士で出来るもんなのか?」
「出来るよ…その……僕が上でもいいだろうか?」
「もう上に乗ってるじゃん」
上だろうが下だろうが、どちらにしてもヒカルはやり方を知らなかったし、アキラに任せるしかないのだった。
拒まれなかった事に、やっとこの瞬間が来たことに、アキラは万感の思いを込めてヒカルを抱きしめる。
首筋に顔を埋めると、石鹸の香りに包まれたヒカルの体臭の心地よさに酔う。眩暈が、した。
(12)
「あっ…」
ヒカルの首筋に顔を摺り寄せて、暫らくの間感慨に耽っていたアキラだったが、
何を思ったのか突然顔を上げ、ヒカルの顔をじっと見つめながら困ったような
声を上げた。
「………」
「な、何だよ…何か不味い事でもあったのか?」
顎に手を当てて何かを考え込むアキラを訝しんだヒカルが不安げな声で聞いて来た。
「…ローションかオイルみたいなもの、持ってないか?」
「オイル?日焼け止めオイルとかか?」
「そう言うんじゃなくて…じゃあ軟膏みたいなクリームとかは?」
「あ、それならある。傷薬でいいか?」
ヒカルは押し倒されたベットから起き上がると、普段は使っていない机の引出しから
チューブ状の軟膏を取り出し、アキラに手渡して「これで良いか?」と聞いた。
頷いたアキラはそれを枕元に置くと、再びヒカルを抱き締めて来た。
深く唇を貪ると、ヒカルの寝間着にしているジャージのファスナーに手をかける。
驚いたヒカルはアキラから慌てて体を離すと、「自分で出来る」と言って、さっさと
脱ぎ始めてしまう。アキラは少し残念そうにしながら、ヒカルに倣って服を脱いだ。
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