Shangri-La第2章 9 - 15
(9)
「一緒に寝てはくれませんか」
「ダメだ」
「どうしてですか」
「どうしても何も……キミは何と言ってここを出ていったか
もう覚えていないのか?」
「―――覚えています」
「ならば答えは出ているだろう。今晩ここに泊めるのは、
キミが先生の息子さんで、先生が奥様と家を空けておいでだからだ。
あぁ、パジャマと下着は寝室に用意してあるから好きに使うといい。
――それじゃ、おやすみ」
一方的に話を切り上げ背を向けた緒方に、アキラは後ろから飛びついた。
「緒方さん…一人に、しないで………」
アキラは精いっぱいの力で緒方に抱きついた。声が少し震えている。
「離しなさい。安易に人を頼るんじゃない。
しかも一度切った人間を頼るなんて、どうかしていると
自分で思わないのか?」
暫くして、全身の力が抜けたかのようにアキラは緒方を解放した。
(10)
「緒方さん、ごめんなさい……でも、じゃあ、あの…
もう少しだけ、一緒にいてもいいですか……?」
アキラの声は今にも消えてしまいそうなほどだった。
緒方は大きく溜息をついて、リビングへ足を向けた。
「――好きにすればいい」
背中に感じるアキラの雰囲気が痛々しくて、
緒方はつい一言漏らしてしまった。
あぁ、またこれだ―――。アキラが子供の頃から、
厳しくなりきれずについ甘やかしてきた悪い癖は
今更抜けるものでもなかったようだ。
今晩、もう何度アキラを突き放す機会を逃しただろう。
今だって、突き放して終いに出来たはずなのに。
自分の詰めの甘さに、緒方は思わず舌打ちせずにはいられなかった。
(11)
緒方が新しいビールを片手にソファに座ると、
アキラはその片膝の上によじ登り、
ふわん、ふわんと頬や唇を緒方に押し付け出した。
そういえば、先生に怒られた後に寝かしつける時は
いつもこんな風にしてきたな…。
余程人肌に飢えていたのだろうか。
しっかりしているとはいえ、やはりまだほんの子供か…。
そんなアキラの頭をそっと撫でてやりながら、沈黙を破った。
「淋しいなら、進藤を呼べばいいじゃないか?良く引き込んでるんだろう?」
アキラは緒方の首筋に顔を埋めて動かなくなった。
「進藤は……今は忙しいんです」
自分の発したその言葉に、ずきん、と痛みが走った気がして
アキラは顔を歪め、緒方にその顔を見られていないことに安堵した。
「あぁ、聞いたよ。拝金主義に毒されたらしいな」
「ち、違います!今、一時的にお金が必要な事情があるだけで…」
「ふぅん…、だったら、お前が金を出せばいいじゃないか」
(12)
「…どういう意味ですか」
「進藤の時間を、お前が買えばいいだろう?そうすればお前だって、
昔の男の部屋に上がり込む必要もなくなるし、
進藤は時間を有意義に使って稼げる、全て丸く収まるじゃないか」
全く頭にない発想を展開され、アキラは一瞬考え込んでいた。
「それは…それは、ボクに、進藤と援交しろと?」
アキラの全てが強張っている。
まずもって、アキラの常識にない考えであることは間違いない。
「あぁ、最近の若い奴はそんな言葉を使うんだったかな…」
「いい加減にして下さい!ボクは進藤とはそういう関係ではありません!」
アキラは勢い良く緒方から身体を離した。
「もう寝ます!おやすみなさいっ!」
――こんなに怒気を含んだ就寝の挨拶があるだろうか?
緒方は苦笑いを浮かべて、おやすみ、と一言だけ返した。
アキラの姿がドアの向こうに消えた途端に
こみ上げる笑いを押えることが出来なくなり、
緒方は暫く喉奥で笑い続けた。
(13)
「わぁ……」
怒りに任せて寝室のドアを勢い良く開けたアキラだったが、
ベッドを見て思わず感嘆の溜息を漏らした。
シーツも、揃いの布団カバーも、ここに良く来ていた頃のお気に入りだった。
おねぇさん達の誰かが持ち込んだ、少し良いものらしいが
緒方は興味がなく無造作に扱い、使っていた。
本当は緒方が朝、シーツを替えたときに、
リネン棚の一番上にあった物を使っただけなのだが
それに気づかないアキラは、ただ嬉しく思った。
(緒方さん、もしかしてまだ覚えててくれたのかな……)
アキラはそっとドアを閉めると、バスローブを脱ぎ捨て
そのままベッドに潜り込んだ。
全身で感じるその肌触りは変わることなく気持ち良くて
あっという間にアキラは眠りについた。
(14)
緒方はゆっくりとビールを流し込んでいく。
喉を通りすぎる冷たさと泡の感触に生き返る心地がした。
最後の1滴まで飲み干してから、アキラの様子を見に
緒方は寝室へと立った。
音を立てないようにドアを開けると、アキラはもう眠っている様子だった。
ドアの隙間から差し込む明かりを頼りに周りを見回すと、
バスローブは脱ぎ捨ててあるが、用意しておいたパジャマや下着もそのままだ。
本当に裸で寝たのかと、半ば呆れながらアキラをもう一度見遣った。
横になって向こう向きに眠るアキラの上に掛けられた布団は
少しずれていて、背中が半ば剥き出しになっている。
このままでは風邪を引く、掛け直してやろうと緒方はベッドに近寄った。
細く光が差し込むだけの暗い室内で、アキラの背中は白く浮き上がり
緒方は吸い寄せられるままその背中に口づけていた。
外気に晒されていたその肌は、ひんやりと冷たくその美しさを裏付けたが
その冷たさに、何か不安をかき立てられるような気がして
手のひら全体で、今アキラが間違いなくここに存在するということを
確かめずにはいられなかった。触れた肌は滑らかで間違いなく、
それ故に、一度肌の上を滑らせた手はもう離すことが出来なかった。
(15)
アキラは夢中で、微かに感じる温もりに手を伸ばしていた。
その温もりが何で今どういう状況なのかは全く分からない。
気がついたら、少し温かかった。その温かさがもっと欲しくて
手を伸ばしてはみたが、それは背中にあったせいか
伸ばしたはずの手は何度も空を切り、なかなか届かない。
アキラは癇癪を起こしたように、ぶんぶんと手を振った。
その手に確かな質感のある手が重なり、アキラの手は脇腹に置かれた。
その温かさは幻ではなかった。安堵して、アキラは更なる温もりを願った。
――願いはすぐに叶えられ、少し窮屈だが温かいばかりの場所に匿われた。
これまでいくら願っても与えられることのなかった温もりの中で
全身から力が抜け落ちていく感覚が心地よかった。
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