平安幻想秘聞録・第二章 9
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はっとしたように、男がそちらを振り返る。廊下を踏みしめるいくつ
かの足音が、この部屋の辺りに向かっているようだ。相手が気を取られ
たのを見て、ヒカルは、咄嗟に後ろの障子を開け、反対側の廊下へと飛
び出した。
「待たれよ!」
追い縋ろうとする男の声に、またいくつかの声が重なる。
「今、こちらの方で、お声が!」
「早く、早く、お迎えに上がるのだ」
そんな声を背に、ヒカルは振り返らずに走り続けた。どこをどう走っ
たのか、気がつけば、庭に面した廊下へと出てしまった。が、運のいい
ことに、そこは、ヒカルたちが履き物を脱いだ場所で、先刻、ここまで
案内をしてくれた衛士が、そこに座り番をしていた。
「あの・・・」
「何か?あぁ、お前は先程の」
被り物でヒカルの顔は見ていないはずだが、衣や袴の色や文様を覚え
ていたのだろう。衛士が灯りを持ってこちらに近づいて来る。
「どうされた?」
「えーと、その、迷っちまって・・・」
一瞬、衛士の目が呆れたように大きく見開かれたが、こんな広い屋敷
では珍しくもないのか、微かに口元に笑みを浮かべて、頷いた。
「緒方さまたちと、はぐれられたのか?」
「う、うん」
「それは心細いだろうな。部屋までお連れしようか?」
「それが、さっきの部屋で、知らない人に見つかっちゃって・・・」
「分かった。緒方さまに連絡をつけて来るから、こちらで待たれよ」
「うん、ありがとう」
照れ臭そうに微笑んだヒカルに、衛士が目を細める。何とか迷子を免
れてほっとしたヒカルは、相手が自分に見惚れているとは、まったく気
がついていなかった。
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