初めての体験 9
(9)
タクシーの中でヒカルは桑原を盗み見た。桑原はすました顔で前を向いている。
ヒカルは老人の真意を測りかねた。
やがて、タクシーは一件の高級そうな料亭の前に、止まった。ヒカルはこんな店に
一度も入ったことがない。そんなヒカルを気にする様子もなく、ずかずかと中に入った。
女将や仲居も心得ているのか、「いつものお部屋ですね。」と案内していく。
広い座敷の部屋に通された。もう一間あるようだが、襖で遮られている。ヒカルは
理由もわからないまま、次々運ばれる料理を食べた。時折、仲居が意味ありげにヒカルに
視線を投げた。
本当はたいして食べたくなかった。だが、桑原の目が「食べろ!」と言っていた。
ヒカルは老人の無言の圧力に屈した。桑原のするたわいない話しに生返事をしながら、
無理矢理かき込んだ料理の味はよくわからなかった。
ヒカルは意を決して桑原に尋ねた。
「先生。オレになんか用事があるんですか?」
食後の一服をふかせて、桑原が言った。
「小僧、わしと今から一局打たんか?」
「ここで・・・ですか?」
別にこんな所まで来なくても、棋院でも良かったのではないか?ヒカルの疑問はますます
大きくなった。桑原は、そんなヒカルの顔を面白そうに眺めて、言った。
「そう言う意味ではないよ。わかっとるんじゃろう?」
ヒカルは立ち上がって逃げようとした。しかし、足がもつれてうまく歩けなかった。
「え・・・何これ・・・なんで・・・」
桑原がにやにやとヒカルを見ている。ヒカルはふらつきながら隣の部屋へと続く襖に手をかけた。
その部屋の真ん中に、一組の豪華な布団と枕が二つあった。ヒカルは真っ青になってへたりこんだ。
這って逃げようとする腰を捕まえられた。体に力が入らず、易々とひっくり返される。
とても、か細い老人とは思えなかった。
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