平安幻想異聞録-異聞- 95 - 96
(95)
賀茂アキラが目を覚ましたのは、それから一刻ほどしてからだった。
佐為は薬を飲んでから、見る間にアキラの呼吸が穏やかになっていくのに
目を見張りながら、その寝床のそばにその間じっと座していた。
目を覚まして一番にアキラがしたことは、布団をよけ、板の間の上に正座をして
両手を突き、佐為に深々と頭を下げることだった。
「佐為殿、申し訳ありません。大口を叩いたうえに、あなたに近衛の事を
託されたにもかかわらず、このていたらくです」
そう言って、アキラは一昨日の晩に起きたことを、佐為に話し始めた。
かの異形に結界を破られたこと、ヒカルをその魔手から救うことができなかったこと。
ヒカルの足に刻まれた『印』のこと。
蠱毒の元凶となる壺を探すために式神を飛ばし、そこで力を使い果たして
寝入ってしまったこと。
目がさめると、近衛ヒカルの姿が消えていたこと。
「僕の着物でなくなっているものがあったので、外に行ったのかと、あわてて
探しに出ようとしましたが、その途中で突然、手足がしびれて自由が利かなく
なりました。おそらく、異形の噛みつかれた傷からやつらの瘴気が入り込み、
時間をかけて体を巡ったのでしょう。とんだ無様な様をお見せしてしまいました」
常のアキラなら、すぐに自分の体の変調に気付き、なんらかの対処を施していただろう。
だが、ヒカルを救う手だてを探るのに夢中で、自分の傷の手当てをする時間を
惜しんでしまったために、処置が遅れた。
噛み傷から体に入った毒は、ゆっくりとアキラの体を侵食し、それを自覚した時には
手遅れになっていた。
そのつけは、あろうことか、アキラがヒカルの行方を追おうとしたその時に現れたのだ。
そのアキラの話を聞き、佐為は驚いた。どうやら話によると、アキラは昨日の夕刻から
ずっと、丸一日、ああして廊下の途中に、息も絶え絶えで倒れていたのだ。
自分が現れなかったらどうなっていたことか。
アキラを責めることはできない。
彼は本当に精一杯のことをやってくれたのだ。
(96)
アキラが再び、ふかぶかと頭をさげる。
「申し訳ありませんでした。佐為殿」
「頭をお上げ下さい。アキラ殿。いったい誰が貴方のことを責められましょう。
他の誰でも、きっとあなた以上のことは出来なかったに違いありません」
「しかし、今の僕には、近衛の行方すら……」
「ヒカルは座間のところにいます」
アキラが、頭をあげて、佐為の顔をまじまじと見た。その唇が、なんと言っていいか
わからずに細かく震えるのがわかった。
「今日、内裏で、座間殿の警護役として、かの御仁に付いて歩くヒカルを見ました」
「なぜ……」
「わかりません」
そう応えつつも、佐為は、アキラの話を聞くうちに、一つの答えを出していた。
数日前に内裏ですれ違ったときの座間と菅原の言葉が苦々しく思い出される。
その佐為の目の前で、アキラは肩を落とし、うつむいていた。
苦しげにつぶやくのが聞こえる
「よりにもよって、元凶である座間の元へ行くなんて、近衛……」
佐為は、そのアキラに、一語一語噛みしめるような口調で問い掛けた。
「アキラ殿は、ヒカルが我々を裏切ったとお思いか?」
アキラが打たれたように顔をあげた。
「単純に、自分の命を守るために、自ら座間の元に身を寄せたのだと」
「……まさか!」
アキラは激しく首を振った。
「僕は、自分の力がいたらず、近衛をそうせざる得ない状況に追い込んでしまった事が
口惜しいだけです」
佐為はゆっくりと頷いた。
ヒカルが裏切ってなどいないことは、自分が一番よくわかっている。
今日、内裏で会ったヒカルはずっと顔をふせて佐為の方を見なかった。
(あれは裏切りが後ろめたかったからではない。おそらく自分が座間と一緒にいる
ことで、私が驚き、傷付いた顔をするのを見たくなかったからではなかろうか)
よくも悪くも裏表のない、政治的な理由や金銭的のために人の心を傷つけたり
裏切ったりはできない子だ。
もしかしたら、以前の自分であったら、あのヒカルの姿を見ても、単純に少年の
心変わりを嘆き、悲嘆にくれていたかもしれない。
だが、あの事件のあと、初めて体を重ねてから、自分達の関係は少し
変わった気がする。
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