裏階段 アキラ編 96 - 100
(96)
「大丈夫かい、…ひどい汗だ。」
悪夢にうなされ、目を覚ますと目の前に先生が居た。
オレは迷わず先生に向かって両手を伸ばし抱き着いていた。
周囲に漂っていた濁った匂いが消えて、碁盤や先生の家が持つ独特の
木の匂いと着物から微かに放つ香のような落ち着いた匂いがした。
「…助けて…」
ただひたすらに先生に縋って乞いた。
確証が欲しかった。先生を繋ぎとめる絆が欲しかった。
先生の手は戸惑うようにオレの髪に触れた。だが、それ以外の場所に動こうとは
しない。それでもオレは先生の胸に顔を押し付け、そこで鼓動が大きく
打ち響くのを感じた。
先生の着物の前が割れて、逞しい胸板が見えていた。
その隙間に顔を入れて、直接先生の肌に頬を触れさせた。
それは一つの賭けだった。
先生が驚くように大きく呼吸をつくのがわかった。
隙間にそって顔をあげて、先生の首元に唇を押し当てて軽く吸った。
髪を撫でていた先生の手が、オレの肩を掴み、もう片方の手がオレの体を
包んできた。
それでも先生はオレの顔を見つめたまま迷っていた。
先生の首に両腕を回して唇を寄せると先生は横を向いてしまった。
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「…一度だけでいい」
必死だった。体中で訴えた。
「一度だけでいい、先生…、…それで…ボクは救われる…」
それはウソではなかった。
先生が目を見開いてオレを見た。
後にも先にも、オレがただ一度だけ見た、先生が生々しく雄の光を目に宿した瞬間だった。
先生も人間だったのだ。欲求を持たないわけだはなかった。時間の多くをひたすら
碁に打ち込み、異性との交わりは殆ど持たず打つ事で昇華してきた人種だった。
だがその一瞬だけはオレを欲してくれた。
抑え込んでいたものを手放したような激しさだった。
始めから最後まで先生の手の動きは不器用で辿々しいものだった。
だがひたすら優しかった。
衣服の下に隠されていた先生の肉体は想像以上に鍛え抜かれた大きな骨格だった。
いつもよりさらにその肩幅が広く圧迫感を感じた。
伯父の死後しばらくそういう行為から遠ざかっていたオレの体はその体格の主の分身を
簡単には受け入れられなかった。
それでもオレは一切声を出さず、先生と出来る限り深く長く結合していたいと望んだ。
朝が来れば何事も一切なかったかのような日々が始まるとわかっていても
少なくともその夜だけは確かにオレは先生を捕らえる事ができたのだ。
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「…誰の事を考えているんですか?」
吐息混じりの声で、静かに、冷ややかに問われて
記憶の窓が次々と閉ざされ、ホテルのベッドの上の現実に引き戻る。
「…初めて君を抱いた時の事を思い出していたんだよ。」
今は向き合い、オレの体の下でアキラがこちらの真意を推し量ろうとするように
見つめて来る。それを阻もうと腰を深く突き入れ激しく動かすと
しばらくしてアキラはようやく目を閉じて再び甘く溜め息を漏らし出した。
肉体は成長してもアキラの内部の狭さは変わらない。
むしろ筋力が発達し、引き込み締めつける力が強まったように感じる。
声変りの途中で止まってしまったかのようなハスキーな声と、
背が伸びた事で華奢なラインが強調された躯。
艶やかな黒髪と滑らかな白い肌と程好く色付いた唇が競い合うようにして
こちらの本能を揺さぶる。
魔性的という他に彼を形容する言葉は見つからない。
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誰よりもアキラ自身が自分の魅力を理解しその武器を最大限に利用して
オレをつなぎ留めようとしているのがわかる。
これでもかと見せつけるように顎をのけ反らし胸部を跳ね上げ、
腿をさらに大きく開いて自ら腰を使い深く濃密にオレを受け容れようとする。
初めて関係を持った直後、無理な体位に疲れ果て痛みに貧血を起こし
ソファーの上でぐったりとしたアキラを見て我に還った。
放心状態のアキラをバスルームで汚れを洗い流し傷の手当をしながら
激しく自己嫌悪に陥った。
伯父を含めて伯父がオレを抱かせた男達の多くはある意味囲碁界で何らかのかたちでつまづき
何かに対する憎しみのはけ口をオレに向けた。
それと同様にオレも何かに対してのはけ口をアキラに向けていた。
一度は先生を手に入れかけて、その後は望みながら一向に近づけぬ自分が腹立だしかったのかもしれない。
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それでもアキラはその後もオレのマンションにやって来た。
その日をきっかけにアキラは当然のようにオレの車の助手席に座り、
当然のようにどこへ行くにもオレの傍らに寄り添うようになった。
アキラのその行動はかつての先生に対するオレの姿そのものだった。
はっきりとオレに問い正したわけではなかったがアキラは気付いていたのだ。
自分が父親の代わりに抱かれたという事を。
一度始まった関係は火が着いたように何度も激しく繰り返された。
泊まる泊まらないに関わらずアキラが訪ねて来るとそれを了解とし、
会話を殆ど交わす事無くソファーの上で、バスルームで、
ベッドの上で二人の行為は始まった。
弾けるような若々しさからか性的要求と興味に溢れたアキラの肉体は
痛みを超えてどん欲に刺激を欲しがり回数を重ねる毎により敏感に
反応を示すようになった。
互いに取り憑かれたように、埋められないものを埋めようとするように、
何か大事なものから目を逸らすようにして相手を貪り合った。
道具や薬の類を使う事もあったがアキラは一切拒否せず黙って
オレが与える全てを受け止め続けた。
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