56.浴槽

 風呂場には、暖かな湯気が満ちていた。

「手塚んちのお風呂って好きなんだよね。広いし、総ヒノキ風呂だし。うーんいい匂い」
 はしゃいだ口調で不二はそう言った。
 それを手塚は不機嫌そうに聞き流していた。

「何故、こうなっている……」
「え? なんのこと?」
「決っているだろう! 何故お前と一緒に風呂に入らねばならんのだ!」

 二人は今、手塚家の浴槽に、向かい合って肩まで浸かっている。
 声を荒げる手塚に、不二は指を一本立てて口元に当てた。
「駄目だよ手塚。今何時だと思ってるの? おじさん達起こしちゃうよ」
「む……」
「二人でお風呂に入ってる事バレたら、困るでしょ?」

 手塚は黙り込んだ。それは困る。
 何故今ごろ二人で風呂に入らねばならないのか、説明するとなるといろいろと問題がある。
 夜中に家の中で汗をかいて、そして身体中どろどろに汚れるようなことといえば、性行為の他に何があるだろうか。
 手塚は悩んだが、上手い言い訳は見つからなかった。

「だが、時間を置いて別々に入ればよかったのでは……」
 手塚の反論に不二は眉を顰めた。
「だってそれだと時間かかって怪しまれるよ」
 そういう割にはだいぶ長い時間お風呂に入っているような気がする。

 手塚はそう思って不二を睨んだが、不二は気にしていない様子で言葉を続けた。
「……それに、君の後始末してあげなきゃならなかったし」
「……くッ……」
 手塚は頬を染めて下を向いた。
 後始末が何のことを指しているのか解ったからだ。
 自分の中に不二が注ぎ込んだ精液を、指で掻き出されるのだ。先ほど洗い場でやられたばかりだ。

 二人が性的関係を持つようになって一ヶ月ほど経つ。手塚にしてみれば嫌で嫌で仕方ないのだが、求めてくる不二を拒む事も出来なかった。最初強姦紛いに抱かれたことを不二に許してしまったからこういう結果になるのは目に見えていたような気もするが、今となっては後悔しても後の祭りだ。
 今日だって手塚の家に泊まってテスト勉強をする、と言いながら、気がついたらこんな事になっていた。
 行為の最中は無我夢中で気がついたら射精に達している。羞恥心はあるとはいえ、どうしても解放に至るまでの陶酔感が勝ってしまう。最中の自分はほとんど正気を失っているようなものだ。
 だが、行為後、正気に戻ってから後ろに指を入れられるのは、どうしたって恥ずかしくて気まずいだけであった。不二が真剣な分尚更だ。
 指が内壁に触れるたび、一度高められた体が再び反応を返しそうになるのも居た堪れない。ただの後始末なのに感じてしまって不二に苦笑される。
 そんな自分を嫌悪するが、どうにもならなかった。

「どうしたの? 手塚」
 黙り込んだ自分を心配して、不二が身体を寄せて顔を覗き込んきた。
 その際に湯船の中で足が触れ合って、手塚は身を強張らせた。
 わざとか無意識か解らないが(おそらく前者だろうが)裸の足をわざと絡み合わせるようにしながら自分に語りかけてくる。
「……もしかして、のぼせた?」
「……………………」
 手塚はぼそぼそと考えていた事を口にした。
「何? 聞こえない」
「……恥ずかしいと言ってるんだ……その、後で……」
 やや声を大きくするが、はっきりと口に出して言うことはどうしてもできなかった。
 だが不二は、そんな手塚の様子だけで何が言いたいのか解ったようだった。
「……中から掻き出されるの?」
「……ッ」
 手塚は身動きをぴたりと止めた後、小さく首を縦に振った。
 不二はそんな手塚の顔を無理やり上げさせた。
 眼鏡が無いので、視界は霞んでいる。不二の顔がどのような表情をしているのかも見えなかった。
「駄目だよ。出しとかないと明日辛いの君なんだから」
 真剣な声がする。真正面から手塚を見据えているようだった。
「し、しかしだな……あんなところに、指を……入れるなんてな……」
「もっと太いもの入れてるのに何今更恥ずかしがってるのさ。だいたい君のためなんだから、指ぐらい我慢しなよ」
 不二の言い分は理不尽だと思っていたが、反論するには熱さと疲れのせいもあって頭がぼんやりとし過ぎていた。
 弱々しく睨みつけながら、精一杯語調を強くしてこう言った。
「……なら最初から、……するな……!」
「それはヤダ。ヤりたい」
 不二は速攻否定した。
「………………あのな……」
 そこまではっきり言われると反論する気力も失せてきた。

「……ならば、その……コ、コンドームとか……あるだろう……」
 というか、男同士の性交渉じゃゴムは性病予防のために必須ではないのか。不二とこのような関係になってから身の安全のためにいろいろと調べた手塚である。
 今までの経験の中で、コンドームを使ったことが無いわけではない。だが、使わない方が多い。
 不二がちゃんと付けて行為していれば、そもそも、後から掻き出す必要もないはずだ。
 今までいつかはちゃんと聞こうと思っていたことの一つだが、羞恥のためなかなか言えなかった。自分から付けろなどと言い出すと誘っているみたいに聞こえるので嫌だった事もある。

 だが、今こそ。

 覚悟を決めて言った手塚の言葉を、不二はあっさりと切り捨てた。
「だって生の方が僕気持ちいいし」
「お前……!!」
 さすがに思わず頭に血が上った。

 だが、それで一気にのぼせたような状態になって、手塚の身体から力が抜けた。
「おっと……大丈夫?」
 それを不二は支えた。
 肩に額を当てる形で不二の方に倒れこんだ。まだ意識はある。
「だい、じょうぶだ……」
 お湯は熱い訳ではない。少し休めばなんとかなるだろう。
 不二相手に弱々しいところを見せたくなくて、なんとかそう答えた。
「……大丈夫って、全然そう見えないけど……もう出る?」
「いや……」
 立ち上がろうとする不二の身体を自分から押さえ込んだ。
「……手塚?」
 不二が不思議そうに尋ねた。まさか引き止められるとは思わなかったらしい。

 何かしがみ付くものが欲しくて、不意に自分から手を回して不二の身体を引き寄せた。浴槽の壁に背中をついて不二を腕の中に抱きしめる。
 ふんわりと、良い匂いが鼻腔をくすぐった。
「て、手塚っ?」
 密着してるので、不二の心臓の音が早くなっているのが解った。
「……前から聞きたかったんだが」
 まだ不二の肩に額を当てた状態で、耳の近くで小さな声で尋ねた。
「……何故お前、掻き出さないと次の日辛いとか、……そういうこと、知ってるんだ」
「……それは」
 不二は少し、口を噤んだ。

 答えるまでにやや時間がかかった。
「……ネットで、調べて……」
「………………」
 手塚は何も言わなかった。
 不二がそう言うならそれを信じようと思った。
「……『アナルセックス』とか『アナル拡張』とかキーワードに……」
「……お前……」
 さすがに手塚もそこには突っ込んだ。この調子だと今後何を調べて何させられるかわかったものではない。
「で、でも、だって、君に痛い思いさせたくなくて……」
「……だから、何度も言うが、ならば最初からするな……」
 もともとそのための器官ではないところに無理やり入れているのだから、身体への負担は大きい。不二は小柄な体格に反して妙に精力は強いから尚更だった。
「でもー……」
「……お前も言ってただろう。……『セックスは気持ち悪い』とか何とか。そう思うならな……」
「言ったよーな気もするけど……あれはその場のノリっていうか……根本的に気持ち悪いことだから、出来る限り気持ちよくしようとしてあげてるんだけど……」
「………………」
 何にせよ、自分たちの場合は性別の問題もある。肉体面にしろ精神面にしろ、良い事の方が少ないと手塚自身は思っている。
 不二に求められなかったら、自分からしたいなんて決して思わなかっただろう。

 不意に目の前にある不二の白い肩から石鹸の香りがした。
 先ほど身体を洗っている時に使っていたものだ。

「……手塚の身体、石鹸の匂いがする」
 不二もそう呟いた。

 同じ事を考えていたらしい。
 何故か奇妙に嬉しかった。

「そうか」
 裸のまま湯船の中で密着していると、思考だけでなく本当に身体まで同じモノになったような気がした。
「珍しいよね、今時石鹸なんてさ」
「祖父が拘っているからな」
「でも好きだな、この香り」
「……俺もだ」

「……さっきの話だけどさ。確かにセックス自体は気持ち悪いものかもしれないよ。でも」
 不二が急にぎゅっと自分から身を寄せてきた。手塚は僅かに身構えたが、不二は特にそれ以上動かなかった。
 ただ、一言だけこう言った。

「……人肌の感触はさ、何か落ち着いて気持ちよくない?」

 ぴったりと触れ合っている肌と肌を通して、不二の心音が伝わってきた。
 再びスピードを上げている鼓動を聞きながら、手塚は瞳を閉じた。

「……そうだな」
 そう言って、不二を掴む腕にさらに力をこめた。
 首筋に顔を埋めると、言われたとおり、脈と肌の感触が心地よかった。

「…………つか手塚、あの、そんなにしがみ付かれるとさすがにぼちぼちヤバイんだけど僕……」
 不二がうろたえた声を出したが、構わずしがみ付いてやった。

「……だからあのその、ちょっと、こんな状態でそんなことされたら困るんだけど男としてっていうか……いや僕は全然構わないってかむしろありがたいけどでも君んちのお風呂の中はまずいでしょう……そーだ、もう上がろう! 上がってしよう!!」
 立ち上がろうとした不二を、手塚は再度引き止めた。
「……動くな」
「……解ったよ」
「あと何もするな」
「……はーい」
 不二は渋々そう答えると、手塚の首に回した腕に力を込めた。

          :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*:

「……で、どうしてお前が結局のぼせるんだ」
 手塚の部屋のベッドの上で横になっている不二を団扇で扇ぎながら、手塚は溜息をついた。
「ごめーん……」
 あの後、しばらくして何故か不二の方が先にのぼせた。服だけ着せて担いでなんとか二階まで上がってきた。
 幸い、両親にはばれてはいないようだ。
 不二は苦笑しながら言った。
「だって君が……上がらせてくれないから……」
「……これでお互い様だろう」
「あー……そっか。そーなるのか……」
 もともと、勉強を口実に無理やり迫って風呂に入らねばならない状況を作ったのは不二の方だ。
「……だいたい、ああ言う行為は、相手の同意を得てからするものだろう」
「……それって、手塚が同意さえしてくれればヤッていいってこと? 同意してくれるの?」
「……同意なんかせんぞ」
「……じゃあ無理やりするしか無いじゃん……」
 相変わらず議論はお互いに平行線のままだ。
 不二は不満そうに自分を見上げていたが、やがて指先を伸ばしてきた。
「……でも、人肌に触れるのは気持ちいいって解ったんだよね?」
 まだ熱を帯びた指先が自分の頬に触れた。その熱が自分に伝わってくるように感じた。
 不二の手に、手塚も自分の手を重ねた。
「……まあな」
 手塚のその言葉を聞いて、不二はにこりと微笑んだ。


……甘々神様絶好調ですね。飢えてるらしいですね愛に(笑……えねえ)
ぼちぼち手塚に酷い事してやりたいですよ。

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