67.調教

「部長、落としましたよ」
 青学男子テニス部部室にて。手塚は、敬愛する部長の大和が鞄から落とした一枚の紙切れを拾い上げた。灰色がかったザラバン紙のプリントだった。
 自分の落し物に気付いていなかった大和は後輩が拾い上げたプリントを見て、あ、と小さく声を上げた。
「ありがとうございます、手塚君」
 片手で頭を掻きながら頭を下げてそれを受け取る。
 手塚はわずかに頬を染めながら「どういたしまして」と応対した。

 手塚達のやり取りを、部室の入り口から静かに、だが闘志を漲らせて不二が眺めていた。
 先ほど部室に着いたばかりの不二であったが、最初に目に入ってきた光景がこれであった。思わず固まった。
(どーしてそこで顔が赤くなるのかなあ……)
 さりげに大和の隣のロッカーを確保している辺り、なかなか手塚もやり手である。
 手塚に恋愛感情を抱いている不二としては、これほど面白くない事は無い。
 手塚の気持ちがただの尊敬で、それ以上でも以下でもないことがまた、不二を苛立たせる原因だった。

「参ったなあ……これ今日までだったんだ……」
 一方、大和は先ほどのプリントを眺めながら、眉を顰めていた。
「どうしたんですか」
 尋ねてくる手塚に、大和は先ほどのプリントを見せた。

 そこには太文字で『三年 進路調査』とある。

「……もしかして……」
 手塚は震える声で大和のほうを伺った。
「どこか、別の高校に行かれるんですか?」
 青春学園は基本的にエスカレーター式で高等部に進むだけだが、中には外部の高校を受験するものもいる。もしも大和が別の高校に行くとすると、そう簡単に会えなくなるだろう。それでなくとも三年生は夏の大会が終われば引退の身だと言うのに。
 寂しげに瞳を揺らす手塚を安心させるように、大和は微笑んだ。
「いえ、そんな事はありませんよ」
 とたんに手塚の表情が明るくなる。
「本当ですか!?」
「ええ……困ってるのは、こっちなんです」
 と言って、大和はプリントの下半分を指差した。

 そこでは進路調査に加えて、職業希望のアンケートがとられていた。
「これ、どーしようかなーと思いまして……」
「職業……ですか」
「はい。手塚君なら、僕にどんな職業が向いてると思いますか?」
 手塚はプリントを見ながらちょっと考え込んだ後、ぱっと顔を輝かせた。
「……プロテニス選手、なんていかがですか?」
 その答えに、大和は苦笑した。
「んー……それは僕じゃ無理ですよ」

「そんなこと……!」
 拳を握り締め必死に否定する手塚の頭を大和は優しく撫でた。僅かに苦笑しながら。
「自分の実力は自分で良くわかってます。手塚君にも敵いませんでしたしね」
「それは……」
 手塚は声のトーンを落とした。確かに入部したばかりの自分が部長である大和に勝ったのは事実だ。しかもその時は利き手すら使っていなかった。今にして思えば、強さに奢っていたような行動を恥じ入るしかない。この人に対して下手な気遣いなどしてしまった自分を手塚は悔いていた。

 だが大和は、そんな手塚の後悔を断ち切るかのように強い声で言った。
「……だから、プロになるのは手塚君にお任せします」
「……!」
「僕の分まで、頑張ってくださいね」
「……部長……」
 感激で目を潤ませる手塚に、大和は微笑みかけた。手塚の両手を取ってそっと自分の手を重ねる。

 微笑ましい先輩と後輩の光景だが、なんとなく他人の割り込めない彼等だけの空間を作っている二人を、他のテニス部員たちは遠巻きに半分無視しながら個人個人の準備に没頭していた。ある意味日常風景となっていたからだ。
 それに大和を子犬のように慕う手塚の姿は多くの部員にとって心温まるものがあった。部内のパワーバランスを覆す実力を見せた生意気な新入生が、ただのごく普通の可愛らしい一年生になっている瞬間でもあったからだ。

 ……だが、不二にとって、その光景は拷問に近かった。
「…………ッ」
 着替え終わり、つかつかと二人のもとに歩み寄ると、思わず口を出してしまった。

「いーかげん、部活始めませんか?」
 二人の間に割り込むように身体を滑り込ませた。
「……不二」
「おや、不二君」
 ようやく自分たちの世界から戻ってきた二人は、不二の事などあまり気にしていない様子で話に戻った。
 部室内に残っている部員はもう少ない。皆二人の世界にいる手塚達は無視して練習に向かっていったのだ。

「そうですね。でも先にこれを提出しないと……」
「今日提出なんですよね」
 プリントをひらひらと振る大和に、手塚は首を縦に振った。息のあった二人の行動に不二はますます苛立った。
「じゃあ部長はここで一人でじーーーーっくりお悩みになって下さい。手塚、ランニング行こう」
 不二は手塚の腕を引っ張って歩き出そうとしたが、肝心の手塚は名残惜しそうに大和のほうを伺っていた。
「部長、大丈夫ですか?」
「ええ、実を言うと、昔からなりたいものがあったんですよ」
「そうなんですか?」

 声を上げる手塚に対し、不二は開眼しながら低い声で呟いた。
「どーせAV監督とかポルノ小説家とかヒモとか……くっだらないものじゃ……」
「? 不二、何か言ったか?」
 手塚が不二のほうを向き直ると、不二はいつもの笑顔に戻った。
「別に」
「そうか?」

 それだけ言うと手塚は再び大和の方を向いた。
「部長のなりたいものって、何なのですか?」
「えー……ちょっと、言うのは恥ずかしいんですけど」
「そんなことありません! 是非教えてください!!」
 腕を引っ張る不二を無視しながら、手塚は大和に問い掛けた。
「ん……でも絶対笑われますしねえ……」
 大和はしばらく逡巡していたようだったが、やがてぽつりと口に出した。

「実は……小学校の先生が昔からの夢なんですよ」

 僅かに照れながら言う大和に、二人は驚いていた。
 先生? しかも小学校の?

 反応の無い二人の顔を見て、大和はちょっと悲しげに笑った。
「あはは……やっぱり僕じゃ向いてませんよねー……子供ウケ悪そうですし……」

「……いいえ!」
 咄嗟に否定したのは手塚だった。
「部長、教えるの丁寧ですし何よりも優しいですから、きっとなれますよ!!」
「そう……思いますか?」
 手塚は大きく首を縦に振った。
「もちろんです!」
「手塚君にそう言ってもらえると心強いですねえ」

 再び二人の世界に入りかけた二人に、ようやくショックから立ち直りかけた不二が問うた。
「ど、どーして……その、……先生に……」

 ピッカピカの一年生の集合写真の真ん中にサングラスと無精髭の怪しさ抜群の先生がいる光景を想像したら、ちょっと……いやかなり恐かった。思わず背筋に悪寒が走った。

 それじゃまるで、
 羊の群れに狼を投げ込むようなものだ。

 顔色の悪い不二の問いに、大和は爽やかに答えた。

「……子供、好きなんです。可愛いですから」
 悪寒は大正解のようだった。
「子供にいろいろと教えるのも好きですし……」

 不二の脳裏にいろんな未来予想図が浮かんだ。

 『小学校教師教え子に性的イタズラ』『幼女趣味の変態小学校教師の本性に迫る!』『自宅から押収された隠し撮りビデオの数々』『変態教師の行った「特別授業」の真相』………………。

「部長ならきっとよい教師になれると思います!」
「ありがとうございますね、手塚君」

「いや……あの……」
 盛り上がる二人に、冷静な声で不二は言った。 

「絶対に止めといたほうが世間と……自分のためになると思いますよ……?」
 さすがに本気で後輩の名誉に……いや社会のためにこればっかりは阻止しなければならない、と。
 不二はそう思った。


 またお題から微妙にズレを感じる夏の午後ですが。……調教?
 ……なんかちょっと笑えないネタですねすみません。

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