てんし【天使】
(1)ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などで,神の使者として神と人との仲介をつとめるもの。エンジェル。
(2)やさしい心で,人をいたわる人。「白衣の―」  (新辞林 三省堂)

Angel Song

1.

 秋の始まりの頃、天使は空からやって来た。
 黒い空に白い羽を大きく広げて。

「――はじめまして。僕は天使。
 君の願いを叶える為にやって来たんだ」

 そう言って、ふわりと微笑んだ。

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 強豪と名高い青学テニス部の練習は厳しい。朝練はもちろん、放課後も下校時間ギリギリまで厳しい練習が行われる。もう10月も終わりに近い。日は沈み、辺りはすっかり暗くなっていた。
 男子テニス部部長の手塚は、下校時間のぴったり十分前に部室から出てきた。他の部員は帰らせたが、部誌の記入や何やらで部活が終わってからも用事があり、自分だけ遅くなってしまったのだ。
 秋は日が暮れると急に寒くなる。わずかに身を竦め、右手で左手を庇うようにしながら、手塚は校門に向かって歩き始めた。
 部室から校門までは歩いて五分弱。この時間なら遅れることはないだろう。
 そう思いながら歩を進めていると、不意に後ろから声をかけられた。

「てーづか」

 男女どちらともつかない声はもう聞きなれたものだったが、手塚は慌てて振り向いた。
 声の持ち主はここにいるはずの無い人物であったからだ。

「……不二!」

 小声で名前を呼ぶ。

「もうすっかり寒くなったよねー……って僕五感とかないんだけど」

 とかそんな事をいっている割には手にふーふーと息を吹きかけている。暑さや寒さを感じない体だとは言っていたが、なんとなく気分でそうしているらしい。
 全身白のコーディネートは私服ではあるが、姿かたちからすれば生徒にみえなくもない。
 ……背中から生えている羽と地についてない足を除けば。

「……どうしてここに」

 不二は微笑んで答えた。

「迎えに来てあげたんだよ。どーでもいーけどあんまり大声出さない方がいいよ。僕の姿って君以外に見えてないわけだし」
「……」
「生徒会長の君が誰もいない場所に向かって一人で喋ってたとか噂が立つと困るでしょ?」

 不二の言う通りだった。どういう仕組みかわからないが不二の身体は自分以外の人間には見えていないらしい。声も聞こえていない。一ヶ月ほど共にすごしてきてようやく慣れたところだった。
 音も無く背中の羽を動かして、不二は自分の隣に近づいてきた。ふわりと宙に浮いて顔を寄せてくる。これぐらいの距離ならば手塚が小声で話していても周囲に聞こえないだろう。
 小さな声で、不二にだけ聞こえるように呟く。

「学校には来ないんじゃなかったのか」
「えー、そんなこと言ったっけ」

 言っただろう、と反論しようとして思い返してみたが、確かに不二がそう口にしたことはなかった。今まで学校に現れたことは無かったのでてっきりそういうものだとだと思い込んでいたが。

「……言ってはいなかったな」

 素直に手塚は自分の非を認めた。

「じゃあどうして来たんだ」
「だから迎えに来たんだってば。……それに一度ぐらいこうしてみたかったし」

 不二の表情が不意に曇ったので、手塚は訝しげに思った。

「……学校に、来たかったのか?」

 ならばもっと早めに来ていてもよいような気もするが。別に問題ないというのなら。何せ、不二と出会ってからもう一ヶ月近くが過ぎたのだ。
 手塚は横目で不二の表情を見ながら問いかけた。不二は寂しげに微笑んだ。

「うーん、まあこっちにもいろいろ事情があって」

 不二が首を少し振ると、茶色の髪がさらりと自分の耳にかかった。それほど顔を近くに寄せられているのに息遣いや体温、脈動を感じない。よく解らないが、こんなに近くにいて、確かに触れられるのだが、その感触はあるのかないのかよく解らない。そういうことを感じるたびに、こいつは本当に人間ではないのだなと実感させられる。

 黙りこんだ不二に対し、何か言おうとしたとき、再び後ろから声がかけられた。

「おーい、手塚」
「やっほー」

 二人で一度に振り向く。そこに居たのは手塚と親しい二人組みだった。二年生のテニス部員、大石と菊丸だ。

 二人がそばに来るまで手塚は立ち止まっていた。
 不二も声をかけてはこない。
 二人も当然、不二の存在には気付かなかった。

「やけに遅かったじゃないか、どうしたんだ?」
「いや、部誌を片付けていたんだ。お前達は?」
「ちょっと、竜崎先生のところにな」
「新フォーメーションのことでいろいろとね〜」
「そうか」

 二人はダブルスでペアを組んでおり、その抜群のコンビネーションは青学黄金ペアとして名高い。私生活でも仲がいい。
 大石たちを伴い、三人で校門に向かって並んで歩き始める。
 不二の気配をうかがうと、少し遅れたところから付いてきているようだった。
 菊丸はガッツポーズを決めながら、いやに意気込んでいた。

「ふふふ、秋の大会は絶対勝つからな!」

 間近に控えた秋季大会に向けて闘志を燃やしているようだった。それは菊丸だけではない。三年生が抜けて、二年生が中心となったテニス部全員も同じ気持ちだった。
 無論、新部長となった手塚も、副部長である大石もだ。

「ダブルスは俺達に任せてくれよ、手塚」
「ああ、頼りにしている」

 もともと個人技に走りがちで、シングルスの強い傾向を持つ青学テニス部にとって、天性のダブルスプレイヤーである大石の役割は大きい。そして、大石のフォローによって菊丸は持ちうる才能を全力で発揮することが出来る。理想的なダブルスだった。
 そして、シングルスには手塚がいる。
 入部当時から、当時のどの先輩よりも強かったのが手塚だ。今のテニス部にとっては実力的にも精神的にも支柱となっている存在だった。

「俺達と手塚でー、ま、二勝は確実だよな。乾も多分いけるだろうし。他の二年はどんぐりの背比べって感じだけど。一年はまだ実戦力に数えるにはちょっと辛いし」

 菊丸が指を折りながら品定めをしている。三年生が引退後のため、やはりその戦力の低下は否めない。しかしレギュラー陣も今回のレギュラー争奪戦で新旧交代が進んだのだから、各自のプレイスタイルを踏まえたうえで戦略的にもまた考え直さねばならない。

「そうだな……」

 手塚には正直悩むところであった。シングルスでは手塚と乾、ダブルスで大石と菊丸。確実に戦力と言い切れるだけの実力を持つ人材があと一人ぐらいはほしいところだ。

「まあ、今はどこも事情は同じだろうし。後輩の実力を伸ばすのも大事だよ。それは先輩達もやってたことじゃないか」

 悩みこんだ手塚を慰めるように大石が言う。手塚もそれで納得した。

「そーそー、なんとかなるって〜。桃とか、一年でも面白いのもいるんだし」

 能天気そうに菊丸が言った言葉を受けて、大石が返した。

「俺は海堂が伸びると思うよ。乾相手に健闘してたじゃないか」
「ああ、あれ、頑張ってたよなあ〜」

 そうやって前回のレギュラー戦の話を続けながら、校門の前までたどり着いた。下校時間にはちゃんと間に合った。

「じゃあ、俺達こっちだから……」
「じゃあなー」
「ああ」

 そう言って、門を出たところで、手塚は二人と別れた。

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「どうしたんだ?」

 軽く振っていた手を下げたあと、手塚は歩き出しながら、どこともなく静かに問いかけた。
 後ろに居るはずの不二に語りかけるように。
 小さな声だったが、不二には聞こえているだろうという核心はあった。

 二人と話している間、不二は何も言わず、後ろから付いてきているだけだった。
 大石達に不二の存在について説明することは出来ない。見えていないし声も聞こえないのだから、例え手塚が言ったとしても信じはしないだろう。

「んー……別に」

 後ろに控えたまま、不二は気乗りしなさそうに答えた。
 話したくないのだろうということは、いくら鈍い自分でも解った。

「いいなあ、なんか楽しそうで、……と思って」

「……悪かった」

 なんとなく、謝罪の言葉が口から出た。
 先ほどまで、不二のことなど無視した状態でずっと三人で会話をしていたのだ。
 大石たちには不二のことが見えないとはいえ、不二が疎外感を持つのは当然だろう。

「いいよ、僕がこんな身体だからまあ仕方ないんだし。君の友人関係に亀裂入れたいわけじゃないし」

 不二はことさら普段の語調で答えた。

「だが……」

 何かを言おうとした手塚をさえぎるように、不二は早口で話した。

「まあいいや、早く帰ろう? 今日の夕食は秋刀魚だよ。彩菜さんが買ってるの確認したから」

 そう言うといつのまにか不二は手塚の前に来てその先を歩き出した。実際、地に足は付いていないので歩いているとはいえないのが。

「あれが君の言ってたダブルスの二人だよね?」
「……そうだ」
「やっぱり凄く仲いいんだねー。ダブルスのペアってそういうものなのかなー」
「……あいつらは、特別だと思うが」
「そう?」

 ことさらテンションをあげて話す不二に、手塚は内心でもう一度だけ謝った。 
 不二が学校に来たがらなかった理由が、なんとなくわかったからだった。

(天使というものには、家族や友人や学校はないのだろうか)

 そんなことが疑問に浮かんだ。
 そういえば、手塚は不二という天使について、知らない事のほうが多いのだと、ふとそのことに思い当たった。

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 一ヶ月前に、突然目の前に現れた自称天使は、にこにこと笑顔を浮かべ続けていた。
 身長からすれば年は自分と違わないぐらいだろう。やや小柄な身体に上下白の服。頭の上には金色の輪、背中には淡く白い羽。薄茶の髪に青い瞳。まあ確かに、宗教画になどに描かれている天使と大差はない。性別がどちらなのか解らない辺りも天使らしいといえば天使らしい。
 だが普通、真面目に取り扱える申し出ではない。

「誰だお前」

 手塚はまずそう切り返した。

「だから最初に天使って言ったじゃん。君の願い事を叶えに来たの」

 自称天使はややむくれた様子で同じことを言った。
 どうやらこのままでは議論は平行線のまま繰り返されそうだ。とりあえず先に進めて様子を見ることにした。

「……願い事?」
「そう、願い事。なんでもいいよ。一つだけだけど」

 笑顔に戻った自称天使は、そう言って可愛らしく小首を傾げた。

「何か無い?」

 手塚は正直に考え込んだ。
 だが、とくに願い事は出てこなかった。

「……特に無いな」
「そう? 何でもいいんだよ? テニスの腕が上がりますようにとか頭よくなりますようにとか。まあさすがに天使っていう仕事上、誰か殺したいヤツがいるとか世界滅亡とかはちょっと困るんだけど。僕は別に構わないけど天使的に問題あるかなって」

 後半何か物騒なことを言っている部分は聞き流して、手塚は反論した。

「……テニスの腕や知能などは、自分で努力するものだろう」

 自称天使はその言葉を聞くと、ちょっと目を見開いた。

「……そうだけど」

 呆れたような声で自称天使は答えた。そう言えばこの自称天使は何故自分がテニスをしていることを知ってているのか、と頭のどこかで疑問に思った。初対面なのに。まあ、部屋にあるラケットでも見たのだろうけれども。

「俺には特に願い事はない。別の人のところに行った方が……」
「君じゃなきゃ駄目なんだよ手塚。それが僕の仕事なんだから。努力したってどうしようもないものとかあるでしょう?」
「……そうかもしれないが……」

 手塚、といきなり呼び捨てで呼ばれたことに僅かに戸惑ったが、表情には見せなかった。

「だが、今は特に……」
「……そう?」

 自称天使はしゅんと項垂れた。その表情があまりにも可哀想だったので手塚はわずかに罪悪感を覚えた。

「…………」
「……す」

 すまない、と謝罪の言葉を口にしかけた所で、天使はパッと顔を上げた。

「そうだ!」

 何か思いついたように、ぱんと両手を合わせた。

「じゃあ、願い事が出来るまで、君のそばにいるよ」
「……え?」

 手塚は面食らった。

「それならいいでしょ? 君の願い事が出来るまで、一緒にいてあげる」
「いや、しかし……そうなると、家族の了解とか……」
「大丈夫だよ、僕天使だから。別に食事とかいらないし、だいたい君以外に見えてないし」

 ふと、手塚の視線は自称天使の足元にいった。白い足の爪先は床についていない。10cmほど浮き上がっている。
 まさか、本当に。
 天使だと言うのか。

「……そうなのか?」
「うん。第六感の強い人なら解るかもしれないけど。姿見えてるの君だけだから。触れられるのも君だけだし」

 天使はそう言いながら手塚の頬に指を伸ばしてきた。
 近くで見ると自称天使の肌はわずかに光を帯びていた。その指先は熱くも冷たくもない、変な感触だった。少なくとも人肌の感触ではない。体温もないし脈動もない。

「どういえばいいのかな。この身体は、普通の物質ではないんだ。少なくとも生命体じゃない。一種の情報っていうか……電話の電波みたいなの考えてくれればいいよ。決められた人間の知覚だけに受信できるようにしてあるから、手塚には見えるけど、他の人には見えない……って感じかな」

 その説明は半分ぐらいしか頭に入らなかった。触られていると、確かにこの自称天使は普通の人間ではないことがありありと感じられたからだ。
 早くなる鼓動を抑えるように、一度息を吸い込んだ。

「…………本当に、天使なのか」

 今更な質問だと思いながら、手塚はそう尋ねた。

「そうだよ」

 天使は手塚の頬から指を離さずに、にっこりと微笑んだ。

「だから、君の願い事が決るまで、ずっと一緒にいることにする。いいでしょう?」
「………………まあ」

 押しに負けたように、手塚は首を縦に振った。

「じゃあ、決まりだね」

 こういういきさつで、手塚の部屋には天使が居候することになった。居候といっても最初に言ったとおり天使は手塚以外の誰にも見えていなかったし、食事も何も必要ないようだった。
 朝は手塚を部屋から送り出し、家に帰ってくると部屋で待っている。一日中手塚の部屋にいるのかどうかは不明だが、少なくとも手塚が自分の部屋にいるときはずっと天使の姿があった。寝るときもそうだった。最初の日こそ部屋にずっと他人が居る感覚は慣れないものだったが、次の日にはすぐに気にならなくなった。どうも天使の性質らしい。

 自称天使は名を尋ねると、不二だと言った。
 「二つとないこと」の意味の方で「不二」、だと。


ぱ……ぱられる……今度は天使不二。中二設定で。
そしてすいません長引きそうな予感。設定考えてたら簡単に終わらなくなった……。
秋季大会とか書いちゃいましたがそうでないと話が進まんので……
東京都の中学テニス大会の日程なんてよく解りません。

卒論の片手間(現実逃避)に進めていきます。いけたら……いいな……。
目指せ、クリスマス完結!(無理)

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