二人目の客も、直接会うのは半年振りだった。
ドアを開けると、彼は強張った面持ちで玄関に直立不動していた。
そんな彼の緊張をほぐすために、柔らかい声で微笑みかけた。
「お久しぶりですねえ、手塚君。卒業式以来ですかね。すっかり大きくなりましたねえ……」
こちらはすっかり身長も伸びて、すっかり目線の高さも同じぐらいになっている。ひょっとしたらもうすぐ追い越されるかもしれない。卒業式に出会ったときに比べると顔つきにもだいぶ男らしさが増している。
「ご無沙汰しています、部長」
手塚はそう言いながら、律儀に頭を下げた。
一つ一つの動作がしっかりしているところも相変わらずだった。背筋がまっすぐに伸びているのは緊張しているせいもあるだろうが、それ以上に生活の中で培われた習慣の方が大きいのだろう。猫背気味の自分と比べて少し羨ましく感じる。
「ま……上がって下さい」
手塚をそう言って、家の中へと招き入れた。
「……お邪魔します」
「何のおもてなしも出来ませんけどね」
「い、いえ……こちらが急に連絡したんですから」
手塚は申し訳無さそうに頭を下げた。
手塚から突然のメールがあったのは今日の昼休みのことだった。相談があります、とあった。
とりあえずその前の予定とブッキングしないように、上手く時間をずらして会えるように応対したのだが。
……だいたい、相談の内容の予想は付いていた。
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大和の自室の机の上には、湯飲みと茶菓子の皿が二つ置いてあった。座布団も二枚、向かい合うように置いてある。
手塚は訝しげに湯飲みを見つめた。その様子に気付いたのか、大和が疑問に答えた。
「ああ、先ほどまで先客が居たんですよ。手塚君が来るというので、帰ってもらったんですが」
手塚ははっと顔を上げた。
「すみません、わざわざ……」
「いいえ。手塚君とは久々ですからね。新しいお茶と茶菓子持ってきますから、座って待っていて下さいね」
飲みかけの湯飲みと食べかけの茶菓子を盆に載せると、大和は部屋から出て行った。手塚は言われたとおりに座布団の上に座った。先ほどまで人がいたと言うその場所は、まだ前の人物の温もりを残していた。
自分が一年生の時に世話になったテニス部元部長も、現在では青春学園高等部一年生だ。
中学生と高校生では当然、生活の内容は大きく違うだろう。大和は手塚の知らない場所で、知らない人間関係を持って、知らない生活を過ごしていることに改めて気付かされた。
「お待たせしました」
新しい湯飲みと茶菓子のきんつばを持って、大和は戻ってきた。自分の座布団に座り、湯飲みを手塚の前に置く。
「……すみませんでした。部長も、お忙しいのに……俺の都合で……」
頭を下げる。大和にとってはいきなり相談ごとを持ちかけられても迷惑なだけかも知れない。そのあたりに考えが及ばなかった自分を手塚は恥じた。
だが、そんな手塚を、大和は微笑んで受け入れた。
「いいえ、僕も久しぶりに会いたかったところですから。むしろ連絡とってくれて感謝してるんですよ。……で、今日は何か相談があるんでしたっけ? テニス部のことですか?」
「い、いえ……個人的なことなので、わざわざ部長に相談するのも気が引けるんですが……こんな内容、部長しか相談できる人がいなかったもので……」
申し訳無さそうに身を竦める手塚に、大和は苦笑した。
「かまいませんよ。大切な後輩の質問なら、二十四時間いつでも受け付けますから」
「ありがとうございます」
「……それと、今の『部長』は君ですよ、手塚君?」
手塚ははっと口を左手で抑えた。
無意識のうちにうっかり『部長』と呼んでいた自分にようやく気付いた。
「す、すみません……」
「そんなに畏まらなくてもいいですよ。さ、ゆっくり話してくださいね」
出されたお茶は程よい濃さの緑茶だった。両手で持ってゆっくりと口をつける。喉を過ぎてゆく熱さが気持ちを落ち着けてくれた。
大きく息をつくと、手塚は覚悟を決めた。ごまかそうかと思っていたが、この人の前で細かな小細工や嘘は出来ないし、したくもない。
「……告白されたんです。その……恋愛関係の、方向で」
顎の下で指を組んで話を聞いていた大和は、微かに目を細めた。
「へえ、良かったじゃないですか。女性に告白されるなんて男冥利に尽きる事ですよ。手塚君、もてますもんねえ……」
「た、ただ、その……相手が、あの……」
だがさすがに、その名前まで言うべきかどうか、手塚は迷った。それは本人のプライバシーに関わる事ではないだろうか。勝手に名前を出す事は出来ない。
「……部活のチームメイト、なんです。部をまとめる身としてどう答えてやればいいのか、上手く解らなくて……迷惑かと思いますが、ご指導いただきたくて、ご相談に伺いました」
だが大和は、あっさりとその名前を当ててみせた。
「……不二君ですか?」
「!!!」
図星だったので、手塚は口に含んだ緑茶を吹きそうになった。
「ああ……大丈夫ですか? タオルありますよ?」
落ち着いた大和とは対照的に、手塚はうろたえまくっていた。
「なななな……何故、解るんですか!?」
咽こみながら、手塚は思わず体勢を崩して机から……大和から離れた。
「いや、解るも何も……バレバレでしたけどね、一年生の時から。不二君の言動見てれば」
「そ……そうだったんですか!?」
「カンのいい人なら多分。……でも手塚君、やっぱり全然気付いてなかったんですねえ……」
苦笑しているような大和の笑みに、手塚は本日何度目かの謝罪の言葉を口にした。
「どうも、俺はそういうことに疎いんです……大石や不二によく……」
そうだ。
手塚には、思い当たるところが合った。
自分が鈍感だったせいで、知らず知らずのうちに不二を傷付けていたのだろう。
あの日もおそらくそうだったのだ。
だが、よく考えてみれば、自分が敏感か鈍感かという以前に、不二の考え自体が常人の思考では理解できないところがあるのではないのか。
そもそも、何故同性の自分に告白など出来るのか。どう贔屓目に見てもとっつき難い自分よりも物腰の優しい不二の方が女性人気は高いだろうに。よりにもよって何故自分なのだ。
「……あいつの気持ちなんて、理解できる訳がない……」
「そうですね。不二君は特に、ちょっと感性が常人離れしてるところがあるみたいですから。味覚なんか特に」
でも、と大和は続けた。
「それは誰が相手だって同じです。他人の気持ちなんて、そう簡単に理解できると思わないほうがいい。『理解した』なんて思うのはただの傲慢です」
厳しい口調に、手塚は手を止めた。『傲慢』という言葉は、不二にも言われた事だ。
他人を理解するのは難しいと、言葉では自分もそう言っていた。
だが。
「……不二や菊丸に、そう、言われました。理解なんて考えちゃいけない、と。自分は、そのことに関して、傲慢だったと反省してます」
手塚は素直に自分の非を認めた。項垂れるしかなかった。
だが、大和はそんな様子の手塚を見て、優しく微笑んだ。
「……そうですか。反省しているのなら、それに関してはもういいでしょう。これから気をつければいいことです」
柔らかく温かい声は、その一句一句が言葉が胸に染み込むようだった。
「手塚君は、不二君のことをよく解ってなかった訳ですよね。だから、不二君は自分の気持ちを手塚君に伝えるために言葉にしたんでしょう」
「その……通りです」
手塚はこくりと首を縦にふった。
「そして今度は、それを受けて、手塚君がどう思ったかが問題になります」
「俺が、どう、思ったか……」
言葉を口の中だけで繰り返す。
大和はええ、と力強く肯いた。
「……気持ちはちゃんと言葉や行動にしないと伝わらないんですよ」
その言葉に、手塚ははっと顔を上げた。
「手塚君自身が告白されてどう思ったのか、どうしたいのか、それをちゃんと自分の言葉にしてください。少しずつでいいし、ぐちゃぐちゃでも構いませんから。部のことも考えなくてもいいですから。……それが、答えです。」
前を向くと、大和は優しい瞳で微笑んでいた。
この人にはやはり敵わないのだと、手塚は唐突にそう思った。
それで心が楽になった。
「……正直なところ、解らないんです。自分がどう思っているのか」
まず、今思っているそのままを口にした。
「ただのチームメイトで、ただの友人だと思っていました。……その一方で、扱い辛い人間だと思っていたことも否定しません。自分とは違う人種なのだと……どこかで理解を諦めていたところがあります。だから考えることもあまりしていなかった」
大和は何も言わずに、ただ静かに肯いていた。
「ですが、……その、告白されて……酷い暴力行為をされて、だから俺自身はどうだ、って言われても……」
酷い暴力行為の内容に関しては、さすがにぼかしておいた。口にしたくなかった。だが、大和は何も言わず、ただ手塚の話したいように話させていた。
「気持ち自体は、理解は出来ませんが、そういうことを受け入れたいと思っています。あいつの気持ちが友情ではなく恋愛感情であっても、男同士だからとか、そんなことで偏見は持っていないつもりです」
手塚が思っていたよりも、素直に気持ちは言葉にまとまった。部長としてではなく、個人として考えろ、といわれた事も影響していた。
「……暴力行為に関しても、許せないとは思いますが、向こうはしっかり謝罪しました。ならばそれ以上、どうこう言うつもりはありません」
本気で手塚はそう思っていた。
「それで、不二のことを自分はどう思っているのかと言えば……やっぱり解らないんです。上手く言えません」
そこで緊張していた肩を少し落とした。
「ただ今言えるのは……俺としては、これで関係を終わらすようなことはしたくない。それだけは確かです」
噛み締めるようにそう結論付けた。
その言葉を聞いて、大和はゆっくりと息を吐き出しながら答えた。
「……そうですか」
「……ですが、今日、不二のやつは学校を休んでいて……」
それが気がかりだった。体調を崩しているということもあるだろうが、手塚のことを避けているのかもしれない。
「ならば、もう少し時間を置くのも一つの手かもしれませんね。お互いに冷静になった頃を見計らって、しっかり話し合ってください。僕に言えるのはこれだけです」
「部長……」
「大丈夫ですよ。手塚君は、ちゃんと答えを見つけたでしょう」
「でも、それじゃ……」
「『解らない』なら、『解らない』ことが答えなんです。そのまま伝えちゃいましょう」
そこで、大和は不意に微笑を止めた。
あたりの空気が急に強張る。
「君の言う通り、……自分の気持ちだって、人には正確に理解できないものです」
さっきまでとは打って変わった厳しい声でそう言う。
「……おっしゃる、通りです」
手塚は肯定した。
「一番身近なはずの自分だってよく解ってないのに、それで世界のいったい何が解るのだと思いますか? ましてや、他人なんて、理解できると言えますか?」
「それは……」
大和は声を一段と強くした。
「……何かを理解したと思う事は、それについての思考を終えた、という事とある意味で同義です。理解が完了したものをそれ以上悩む必要など無いでしょう? 悩みつづけるのは辛いことだから理解する方が簡単で楽ですが、本当にそれで思考を終えていいんですか? それでいいものも多くありますが、そうではないものもあるでしょう? ……本当に、それで終わりなんですか?」
「…………」
何も返せず、手塚は沈黙を守った。
「だから、『解らない』ことの方が、きっと大切なんです」
再び語調を柔らかくして、大和はそう言った。
手塚はただ、頭を下げていた。
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その後、手塚はひたすら何度も礼を言うと、自宅へと帰っていった。大和はそれを玄関まで見送った。来た時よりも少しはすっきりしたような顔になっていたので安心した。
そしてもう一人の相談相手の方も。
「……とりあえず」
二階に戻ってきて、自室の隣の部屋の前に立ちながら、中にまで聞こえるように言った。
「手塚君、怒ってないみたいですから、もう僕を相談相手にしなくてもいいようですよ」
部屋にいるはずの人物から返事は無かった。
ただ、ドアを内側から激しく叩く音だけが聞こえた。
「ああ、すみません、閉めてましたね……今開けます」
鍵をかけていたことをすっかり忘れていた。慌ててポケットから鍵を取り出すと、外から開けてやった。
中に入ると、ドアの前で不二が俯いたまま立っていた。
「どうでしたか? お互いに答えは出てるみたいですけど」
「……最初から、これを仕組んでたんですか」
「思いついたのは今日の昼ですよ」
昨日の晩、不二から相談の連絡を受けた。だいたい手塚絡みだという予測はついたが、今日の昼に手塚から同様のメールが来た事で確信した。……二人の間に何かあったんじゃないかと。
それなら、一肌脱ごうと言う気になった。乗りかかった船でもある。……去年から随分長く乗っている気もするが。
「お膳立てしてあげたんですから、ちゃんと仲直りしてください、ね?」
「……っ」
不二はますます頭を下げた。
「……帰ります」
顔を上げないまま、大和の横を早足で通り過ぎて階下へと降りていった。
「手塚君と会わないように気をつけてくださいね。君がここにいたのがばれるとまずいでしょう?」
「解ってます!!」
こちらを見ないで、肩をいからせながら不二はそう答えた。足音も高く玄関に向かう。
座りこんで靴を履きながら、不二は呟くように言った。
「……部長」
不二の背中を見ながら、大和は答えた。
「はい?」
「ごめんなさい……それと、どうも、ありがとうございました」
靴を履き終わった瞬間にそれだけ言って、不二は急ぐように玄関から出て行った。
最後まで顔は見せなかった。
照れているのだと予想はついていた。
自室に戻ると、残っていた自分の湯飲みに口をつけた。
すっかり冷えた緑茶は、かなり苦かった。
口直しに茶菓子のきんつばを口にしたが、どういう訳かあまり味はしなかった。
(結局、二人とも、きんつばの感想言ってくれませんでしたねえ……)
手塚に至っては口にすらしてないし。
まあそれどころじゃなかっただろうけれども。
でも自信作だったので、何も言ってくれないと少し寂しくなる。
……寂しいのは、別の理由かもしれないと思いなおした。
二人が丸く収まりそうで安心したのか。
それとも悲しんでいるのか。
悲しんでいるとしたら、いったい何が悲しいのか。
自分の中で何かが終わったとしたら、それはいったい何だったのか。
……より具体的に言えば、それはどちらへの恋情だったのか。
やっぱり、自分は自分の気持ちすらよく理解していないのだし。
それはおそらく究極の謎なのだろうし。
考えたって答えは出ないのだけど、考えを止めてしまうことも出来ない。
肩を落とすと、湯飲みに残っていた苦いお茶を一気に飲み尽くした。
「……終わらないんですよね、結局」
そう呟いた。
時刻は六時半を過ぎて、窓の外はすっかり暗くなっていた。
夜空に見える一番星は、いつもと同じ輝きを放っていた。
そういう訳で、おまけの大和編でした。の割にはかなり長いという……オマケなんだかなんなんだか。
本編といろいろと重複部分もありますが、あっちはあっちだけで完結させたかったので。
唯でさえ詰め込み気味の話をこれ以上ややこしくしたくないのでUP躊躇ったんですが、実はこっちの構想が脳内に先にあったわけで……
一応、独立して読めるように気は配ったんですが、無理な部分がちらほら……
パラレルだと思っていただけると一番ありがたいかと。
大和が出てくると説教臭くなるなあ、と。親父だから仕方ないね……。
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