アイザック・アシモフ



『黒後家蜘蛛の会』
 (創元推理文庫
  池 央耿 訳
  1:1976年12月刊
  2:1978年7月刊
  3:1981年2月刊
  4:1985年11月刊
  5:1990年10月刊
  原著刊行1974-90年)

●目論見がくるうまで


 アイザック・アシモフの短編ミステリシリーズにしてミステリ分野での代表作。邦訳されているのは5冊60篇ですが、あと6篇、未訳のものがあるらしい。というのは、その6篇を書いたのちに、アシモフが帰らぬ人となってしまったからで、これを本にすると、それまでの5冊のほぼ半分のページ数にしかならない関係もあり、没後しばらくはアメリカでも本としてまとめられることがなかった。ウィキペディアでの記事によると、2003年にアメリカで本にまとめられて出版されたそうなので、いずれは日本でも読めることと期待したい。

 この本を読む前に読了したのがガストン・バシュラールの『空間の詩学』で、これは読むのに時間がかかった。そういう本はえてして感想を書くのにもそれなりに時間を要することが多い。そこで、僕としては、その時間を利用して5冊シリーズの本書を読んでやろうと思ったのだった。
 つまり、5冊も読むあいだには『空間の詩学』の感想も書き終わって、トップページに掲げている「読んだけどまだ感想書いてません本」も減るんじゃないかと。
 ところがこれがとんだ計算違いで、読み始めたらとまらない。挙げ句の果てにバシュラールの感想を書くのがストップして、こっちを読み進める方に注力してみたりして、何とも本末転倒なことに。「読んだけど感想書いてない」リストは本書を除いても4冊にまでふくれあがっている。
 計算違いもいいところだが、しかし、これは面白い本です。まだ読んでいない人はぜひ、と最初に言っておく。

●黒後家蜘蛛の会と殺人倶楽部


 本書のことを全然知らない人が『黒後家蜘蛛の会』と聞いたら、どんな内容、ないしはどんな会を想像するだろうか。僕がすぐさま連想したのは、かつてリバーヒルソフトがJ・B・ハロルドシリーズの第1作としてリリースした『殺人倶楽部』だった。つっても知らない人も多いかもしれないが、ハードボイルドタッチの本格ミステリとして高い評価を受けたパソゲーである。J・B・ハロルドシリーズは、その後も『マンハッタンレクイエム』『キス・オブ・マーダー』『D.C.コネクション』と一貫して傑作としての評価を受けたシリーズであるので、知らない人にはこちらもオススメしておく。プロジェクトEGGもあるし、ケータイでも遊べるらしいし。ちなみに、『8』からドラクエシリーズの制作会社になったレベルファイブはリバーヒルの系列だそうな。全然アシモフと関係ない豆知識。
 ま、昔のパソゲーの話は本題ではないのでおいとくとして、『殺人倶楽部』と『黒後家蜘蛛の会』、どことなく似ていると思いませんか。思わないか。そうか、そんな子は明日からおやつ抜きよ!
 でも、いかに「そ、そりゃないよ姉さ〜ん」と反対されようと、個人的にはこの語感が似ていると思うのだ。いかにも非合法な目的のために集まった秘密結社っぽい。なにその物騒な名前。
 ところが、実質は全然違った。『殺人倶楽部』はともかくとして、『黒後家蜘蛛の会』は何とも人畜無害なサークルなのである。一応、秘密結社といえば言えるのかもしれないが、中年のそこそこ身分のある紳士たち6人が月に一度、嫁さんからひととき解放されるために女人禁制というきまりごとのもとでレストランに集まり、料理を楽しんだりおしゃべりを楽しんだりするというこの会に対して、「黒後家蜘蛛の会」というのはちょっとおどろおどろしすぎるのではないだろうか。

 ま、もちろんこれにはちゃんとした理由があり、アシモフ自身も参加していた「トラップ・ドア・スパイダース(戸立て蜘蛛の会)」という実在のサークルがモデルとなっているのである。

 伝えられるところによれば、時代は遡って一九四〇年代のはじめ、ある男が妻を迎えたところ、その妻は夫のつきあっている友人たちにどうしても好感を持つことができなかった。夫の方でもまた妻の交友関係に我慢がならなかった。友情の絆を重んじ、これが絶たれることを憂えた友人たちは、月に一度会食することだけを唯一の目的とした、役員も規則もないクラブを結成した。これは女人禁制の集まりで、件の夫は会員に迎えられたが、その妻は丁重に参加を断られた。
(第一巻「まえがき」より)


 というのがアシモフ語るところの「トラップ・ドア・スパイダース」結成のいきさつだ。ちなみに、黒後家蜘蛛は交尾後に雌が雄を食い殺すことがあるそうだが、戸立て蜘蛛もそうなんじゃろか。いずれにしても名前の由来はそういう蜘蛛の習性から来ているらしい。まあ、わかるけど、しかしそれにしてもね。やっぱり蜘蛛ってのは(僕が大嫌いだからかもしれないが)おどろおどろしいと思うのだけど。

●ヘンリーは清川元夢氏で


 ともあれ、「黒後家蜘蛛の会」の正体についてはいささかならず予想が外れたわけだが、しかしながらさすがは巨人アシモフ。次から次によくもまあというくらいに傑作が続くこのシリーズに、すっかり魅了されてしまう。
 連作短編シリーズなわけだが、一編一編の構成はほとんど変わらない。黒後家蜘蛛の会では、会合の際に1人、ゲストを呼ぶ。そのゲストがなんらかの謎をもちこみ、それを黒後家蜘蛛の会の6人のメンバーがあれやこれやと謎解きを試みるもどうにもすっきり解決できないと袋小路に迷い込んだのち、老給仕であるヘンリーが華麗に謎を解き明かす。
 このシリーズの好ましさはなんと言ってもこのヘンリーだろう。謎解きの腕と時宜を心得た名給仕ぶりから6人のメンバーからも一目置かれるヘンリーではあるが、給仕という立場もあり、無駄に知識をひけらかすことも謎解きをもったいぶることもない。「わたくし、ちょっと思いついたことがあるのですがよろしゅうございますか?」と節度をわきまえた給仕らしく口出しの許しを請うた後に、淡々と謎を解き明かす。
 決してキャラクターとしてアクの強い印象に残る造形ではないが、他の6人のメンバーたちがいずれもひとくせふたくせある連中であり、その連中があれはどうだこれはどうだこういう可能性はないかと、衒学の限りを尽くして侃々諤々の議論をしたのちに登場するだけに、ヘンリーの淡々としたようすは清涼剤として鮮やかに物語を回収する効果を生む。謎解きというのは、落語で言えばサゲであり、このサゲがきれいに物語を回収してくれないと変に胃もたれのするお話になってしまう。これが毎度うまく決まってくれるから、読者としては後味さっぱりと「次も読もう」という気分にさせられるわけだ。
 ちなみに、このヘンリー、僕としてはその声は清川元夢氏以外には考えられん、と思っている。中でも近い役柄としては『ビッグオー』の万能執事ノーマン。まさにあれではないかと。品がよくて知性的で時に茶目っ気もある。脳内変換でヘンリーに清川さんの声を当てて読んでいると清涼感が倍増するので、おためしあれ。

●ペリエはフルコースの後に


 ヘンリーばかりに筆を割いてしまったが、もちろんヘンリーが一人で出てきて謎を解いても、おそらくはそんなに面白くないわけで、一面ではこのシリーズの面白さはヘンリーが正解にたどり着くまでに繰り広げられる6人のメンバーたちの議論にあるという見方もできる。ヘンリーが生きてくるのは、この議論の後に登場するからこそだ。フルコースの後だからこそペリエがおいしい、というのと同じである。オードブルからデザートまで、ペリエが6本出てきても腹がふくれるばっかりで味気ない。
 最終的に正解にたどり着くのはヘンリーであるから、役柄としては狂言回しに近い部分もあるのだが、しかしこの6人のおしゃべりだけを読んでいてもなかなか飽きないだろうと思わせる楽しさがある。
 中でも推理小説作家であるイマニュエル・ルービンの、誰にでも喧嘩腰で突っかかっていくさまは、初期『美味しんぼ』の山岡士郎もかくやという感じ。この喧嘩腰が他のメンバーにはスルーされがちなところも面白くて、このルービンを軸にして読んでいくと(というか自然とそういう読み方になってしまうと思うけど)、6人のキャラクターづけも見えてきて、愛着がわくようになっている。
 謎解きについては「そりゃあアメリカ人じゃなきゃわかんないだろ!」とか「アメリカ人でも図鑑見ないと解けないだろ!」というようなものもあったりはするのだが、しかし、ずっと続いていればずっと読んでいたくなるこのシリーズは、読書の喜びみたいなものを味わわせてくれた。アシモフが生きていればもっともっと続いていたであろうシリーズなだけに、「もっと読ませろ!」という気持ちはやみがたい。この常習性は、あるいは黒後家蜘蛛たちの毒のせいなのだろうか。
(2007.5.4)


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