安達正勝



『死刑執行人サンソン
 -国王ルイ十六世の首を刎ねた男-

 (集英社新書
  2003年12月刊)

●マストバイと言える一冊


 副題に「国王ルイ十六世の首を刎ねた男」。フランス革命の時代、パリで唯一の死刑執行人の家系サンソン家にあって、当主として数奇な運命をたどった4代目当主シャルル−アンリ・サンソンの一代記である。
 これが意外に、…まあ自分で面白そうだと買っといて意外にってこともないんだけど、予想以上に面白い一冊だった。題材の勝利というところもあると思うけれど、6代目当主であるアンリ−クレマン・サンソンの回想録やバルザックが綿密な取材の上で執筆したサンソン家の回想録を主たる史料に据えつつ、考証もしっかりなされていて、それでいて(ここ重要)読み物としてもおもしろい。歴史に興味のない人でも読んで面白い一冊だと思うので、おすすめでございますですよ。

●死刑執行人という役職


 死刑執行人の家系というと、日本でも江戸時代の首斬り朝右衛門こと山田朝右衛門の家系がある。
 読んでいてサンソン家と類似するような点も多くあり、世襲制であることにはじまり、公に認められた公職でありながら、サンソン家は(というか死刑執行人という職種自体)被差別的扱いを受けることが多く、一方山田家は身分としては幕府からの試し切りの仕事を請け負うだけの浪人であったことや、サンソン家は医者を兼ね、山田家は人の肝を漢方薬の材料として売ることを認められていたなど、ともに医学方面にも絡んでいたことなどはその最たるものだろう。
 死刑執行人が医学への関わりを深めるのは、ある意味では当然のことだと言ってもいい。杉田玄白らが刑場で出た死体の解剖をおこない、人体への知見を深めたことは小学生でも知っているが、首斬り役人とは日常的に死体に触れざるをえない立場の人間でもある。また彼らは、罪人を苦しませず、晩節を汚さずに殺すという命題を背負うがゆえに、どのようにすれば効率的に死刑を執行できるのかを学んでいかねばならない。それはすなわち人体構造に(偏りはあっても)習熟するということを意味している。
 公に必要な役職でありながらその存在を忌まれる、というのは、この役職に常についてまわる性質の問題だろう。
 国家というシステムは、治安の維持および国家システムの保持のため、常に刑罰を必要とする。フランスをはじめ死刑のない国はもちろんあるが、現実的に考えて、たとえば終身刑や流刑には非常にコストがかかることと比較して、死刑を採用する国家システムは今なお多い。
 だが、死刑という制度には必然的に、罪人を殺すための人間が必要となる。それが刀で首を刎ねるのであれ、電気椅子のボタンを押すのであれ、本質的には違いはないと考えるべきだろう。彼らは果たして死刑の執行に対して何の屈託もなく生きられるものだろうか?
 もちろん、実際に死刑執行人の立場になったことのない人間にとってはすべて想像の範囲内のことでしかない。しかし、たとえばテレビの前で、「こんなやつは死刑にすればいい」と無責任に思うのと、実際にその「こんなやつ」を殺すことは、まったく異なる次元の話であり、死刑を実際に執行する立場の者がそうそう気楽にはいられないであろうことは想像するに難くない。
 死刑囚に対する個人的な憎しみは何もなくとも彼の命を奪わねばならない死刑執行人は、兵士という職業とも共通項を持っている。そこではその職業に就いてしまった者自身の内省的な苦悩が必然的に生まれざるを得ず、死刑囚や敵兵の命を奪うという行為がいかに国家によって称揚され、英雄と呼ばれようとも、その苦悩の故に彼らは真に幸福ではありえない。
 凶悪犯を裁くこと、戦時にあって敵を殺すことは、ともに国家というシステムの維持とそのシステム内で生活する人々の安全にとって必要であるにもかかわらず、その一方においてそのシステムに携わる者に不幸を生成する。死刑執行人は、国家というシステムの矛盾と欺瞞が露呈する場所でもあるのだ。

●死刑豆知識 -ギロチンの誕生-


 本書において面白いポイントは数多いが、たとえばパリにおいて、斬首による死刑は死刑囚にとって最後の場であると同時に、死刑執行人にとっても命がけの場であった、という指摘などはどうだろうか。
 当時、斬首によって死刑にされるのは貴族階級の者だけだった。貴族であるから、死に臨んでも暴れて晩節を汚すような真似はしない、という建前のもと、当時の死刑は、斬首台の上で死刑囚がみずから跪き、それを死刑執行人が一人だけで首を切り落とす、というものだったという。体を押さえつける係などはいなかったわけだ。しかも当時は公開処刑がもっぱらで、パリの市民たちにとってはこれがスリリングな娯楽でもあった。当然、斬首台の周りは見物人が取り巻いていることになる。
 しかし、貴族だからと言って、いざ自分の首が切り落とされるという段になってもじたばたしない者ばかりとは限らない。というか、反抗こそしなくとも、じたばたしない者などほとんどいないだろう。
 人間の首を切り落とす、というのはよほどの技量を兼ね備えていても難しいことだが、たとえば死刑囚が最期に臨んでガタガタと体を震わせていたらどうか。もちろんそれをも含めた上で、一撃のもとに首を切り落とすのが死刑執行人の腕の見せ所ではある。しかし、極端な話、たとえば死刑囚が16歳の美少女だったらどうか。冤罪の可能性のある男だったらどうか。死刑執行人の側に心情的にためらいが生じれば、斬首にしくじることは十分にありえる。
 振り下ろした大剣が肩口にあたる、後頭部に当たる、首を切り落とせずに刃が首の途中で止まる、そういったことが起きれば、一撃では死刑囚は死なない。大怪我を負いつつも死んでいない死刑囚は当然、痛みに悶絶して叫びながら転げ回る。斬首台の上は血の海と化す。
 死刑執行人が見事に首を切り落とすのを見に来ていた観客たちは、一転してもがき苦しむ死刑囚に同情的になり、不器用な死刑執行人に怒る。最悪の場合、そうして怒った群衆に死刑執行人が引きずりおろされて殺された、という例もあるという。

 そうしたミスを防ぎ、確実に死刑を執行するために考えられた「人道的」な死刑執行器具が、かの有名なギロチンなのだそうだ。
 ギロチンによる斬首刑と言えば、今日では残酷な処刑方法の代名詞のようでもある。身近なところでは「Vガンダム」のザンスカール帝国が、見せしめのための処刑をおこなう際にギロチンを使用したりしていた。ところが発明された当初は、残酷どころか人道的だった、というわけである。
 もちろん、ギロチンの登場以前の死刑では、車裂きや八つ裂きなど、罪の重さによってはより残酷な死刑が行われていたわけで、それに比べれば、ギロチンは痛みも恐怖も少ない人道的な死刑だったと言うことはできる。
 だが、断頭台という機械による死刑は、必然的にすべてを人間がおこなっていた死刑をより機能的にした。端的に言えば、すべてを人間がおこなっていればせいぜい1日に5件程度しか執行できなかったものが、10分に1人、といったペースで執行できるようになった。
 そのため、フランス革命、そしてそれに続く恐怖政治の時代には、ほとんど何の罪もない、たとえば貴族の女性が潜伏先でとらえられた際に一緒にいたメイドさん、といったような人たちですら簡単に死刑になったという。多いときには1日に50人以上、40日あまりの間に1000人以上が、文字通り断頭台の露と散ったわけである。人道的であるはずの死刑装置が、かえって多くの人たちを殺したわけで、皮肉なことだ。
 そして、そのほぼすべての死刑囚を殺したのが、パリ唯一の死刑執行人であるシャルル−アンリ・サンソンだった。

●王の首を斬る


 王政期から恐怖政治の時代を終える頃まで死刑執行人をつとめたシャルル−アンリについては、その魅力的な人間像や、数奇と呼ぶにはあまりに痛ましいその人生も含め、すべてを紹介しきれないので、その紹介を大要割愛して、肝心のフランス革命に関わる部分のみ紹介する。
 彼の人生にとってもっとも決定的な死刑として描かれているのは、敬愛し、何度か拝謁もしていたルイ16世をギロチンにかけることになった一件である。
 ルイ16世というと、暗愚な王様というイメージが強いが、本書に登場する彼は、決して果断ではないが進歩的な考えを持ち、国王としての職責を真面目に果たすことに心を砕いた善良な君主である。君主制から民主主義国家へのソフトランディングにも前向きであったルイ16世は、まさにフランス革命の時期に国王であったという一事において、断頭台にかけられることになる。
 もちろん、これがルイ16世に同情的な立場からの、やや一面的な描かれ方であるかもしれないという危惧はある。しかしまさに王政フランスというシステムの中で死刑執行人の役割を担ってきた、そして何度か実際に拝謁して彼の人柄にも触れてきたシャルル−アンリにとって、ルイ16世が敬愛すべき国王であったことはたしかだろう。
 その彼が、今度は革命政府という新たなシステムのもとで、かつての主君をギロチンにかけねばならないのである。
 ルイ16世とギロチンには浅からぬ因縁がある。
 かつて、ギロチンの刃は首の形に添うように半円にへこんだ形をしていた。地面と水平な刃が落ちてくるだけでは、力が均一にかかってしまって首を切り落とすのが難しくなる。包丁の刃は肉に当てて引いてこそ切れる。上から叩いてもほとんど切れない、というのは家庭科の初歩の初歩だろう。しかし半円形にへこんだ刃では、どのような体型の者にも的確に刃があたる、というわけにはいかない。ギロチンを公式の死刑執行器具に採用する際、そのことを指摘して、刃を斜めにするという的確な改良案を示した人物こそルイ16世本人なのである。
 そのギロチンでもって彼を処刑するという運命は、パラドキシカルなものというほかない。

 ルイ16世助命の企みはいくつかあったようだがそれもすべてついえ、シャルル−アンリはその死刑の正当性に納得できないまま、心ならずもかつての王を処刑した。
 彼はその後、2700名以上をギロチンによって処刑し、その処刑の中でみずからも精神崩壊して引退する。
 死刑執行人とは、国家というシステムの矛盾と欺瞞が露呈する場所であると述べた。さようその通りで、革命によって君主が変われば、元の君主は死刑囚になる。やがて恐怖政治が倒れれば、その恐怖政治を取り仕切っていた者たちがまた死刑囚になる。シャルル−アンリもまた、精神を壊していく中で、自分が何の大義で死刑囚を殺せるのかわからなくなっていったようである。
 女主人に仕えていたというだけで死刑になったメイドは、いったいなぜ殺されなくてはならないのか。昨日までは死刑囚どころか善良な市民であったはずの彼女が、革命が起きたというだけで、何もしていないのに死刑になる。その死刑には正当性はあるのだろうか。
 そしてまた死刑になる彼女の首に自分がギロチンの刃を落とすのは、自分が死刑執行人という役職に就いているからだ。だが、その役職がよってたつ国家というシステム自体、明日にはまた覆されるかもしれないとしたら、自分はどんな権利があって彼女を殺すのだろうか。
 死刑の判決を下し、執行に認めの調印を押すというだけの役割の人間であっても、死刑となると悩み、決断を渋るものだという。まして、死刑囚の髪を縛り、首を台の上にセットして刃を落とし、転がった首と血潮を始末する人間ともなれば、そうしたことを考えずにすませられるものではないだろう。
 革命後、死刑にされた人々の罪は、端的に言えば新たな国家システムにとって不安要素となるという点にあった。主立った不安要素をつぶし、ついでにその周囲もクリーンにしようとする中でメイドさんに至るまでが死刑台に送られたわけである。当然のことながら、かつての王政の中にあっては自分たちが不安要素であった革命家たちがそれをおこなうわけで、またシステムが刷新されれば彼ら自身が死刑台に上ることになる。だが果たしてそれは何の罪なのか。
 日本にも死刑制度があることは周知の通りで、主に凶悪な殺人犯などが死刑判決を受ける。しかし、死刑に該当する犯罪には殺人等の他に、内乱罪といったものも含まれている。戦後、現在までに内乱罪で死刑になった人間はおらず、戦前においても五・一五事件と神兵隊事件の2件にしかこの罪は適用されていないそうだが、仮にクーデターが起きた場合、そのクーデターが成功すれば彼らは英雄であり、失敗すれば死刑囚なわけだ。たとえ一人の犠牲者も出さなかったとしても、である。死刑という制度が国家システムの維持のために存在していることを明確に証言しているといえるだろう。
 死刑制度の是非については軽々に結論できる問題ではないわけだが、死刑という制度は、一方で必ずシャルル−アンリのような死刑執行人を必要とする、というのは揺るがせない事実である。ちなみに、シャルル−アンリ自身は、死刑執行人であった時から一生を終えるまで、死刑制度廃止論者として生きたそうだ。
(2006.11.14)


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