猪瀬直樹



『ペルソナ 三島由紀夫伝』
 (文春文庫
 1999年11月刊
 原著刊行1995年)

●オッサン臭



 東京証券会館は、日本橋茅場町にある。ビルを二つばかり西へ行けば地名は日本橋兜町、ニューヨークのウォール街に匹敵する金融センターである。東京証券取引所を中心に名だたる証券会社のビルがひしめき合う。
 日本銀行は日本橋本石町にあり、近くには高速道路によって風景を遮られた恰好のコンクリート造りの日本橋が架かっている。東京証券取引所から七百メートルほどしか隔たりがない。
 ……僕は東証理事長を辞めたばかりの人物と東京証券会館三階の応接室で向かい合っていた。ソファーも絨毯も新しい主のために新調されたもので、淡い色合いで統一されており、壁に掛かったマリー・ローランサンの画と釣り合うよう気配りされている。

(p.7 「プロローグ」より)


 本書の「プロローグ」冒頭のこの一節を読んでオッサン臭を感じないとすれば、その人は文学的には蓄膿症であると診断しても良い。
 猪瀬直樹は、現在では作家としてよりもむしろ小泉首相の外郭ブレーン的な位置づけて、メディアに登場することが多い。本書の底本が上梓されたのは1995年で、まだ実際に政治の世界に顔を突っ込んではいなかったが、なるほどこの人はそういう方向に行きかねないな、とうかがわせるものが、すでにこの冒頭の一節にはある。
 オッサン臭がするといっても、どこが匂いの元であるのか、それは大きくわけて2つある。
 まずあつかっている題材と小道具がいきなりオッサンくさい。インタビューの場所である東京証券会館を説明した一文だが、まず茅場町の地名から入り、そこからすぐ近くに兜町があること、兜町にある東京証券取引所、そしてその近くにある日本銀行と日本橋へと視線を移す。
 経済の中心地という素材自体がオッサンくさいが、まぁ、それは猪瀬氏の責ではない。むしろこの部分は、あとで再度説明するが、本書を流れているモチーフと密接にかかわるので、外せない部分でもある。
 問題はその後に続く淡い色合いのソファーと絨毯、そしてマリー・ローランサンだ。
 マリー・ローランサンは20世紀前半を生きた女性画家で、エコール・ド・パリの一角を占める存在であるが、その作風は郷愁を誘うような色調で少女などを描くという、毒っ気のないものだ。日本で言えば金子みすずのような雰囲気の絵画である。上品な色調のソファーや絨毯にはよく合うだろうが、部屋の風景に沈潜してしまって面白味はない。
 この部屋はオッサンの部屋である。それをあえて取り上げる猪瀬氏の視線もまたそれに同化している。ここにはそうした退屈さへの批判的な視線が欠けていると言ってもいい。

 そしてもうひとつのオッサン臭の源は文体だ。比較的修飾の少ない短文で構成されながら、省筆というのではなく色々な情報をそこに盛り込んでいる。兜町とマリー・ローランサンでは、明らかにローランサンの方が説明が必要であろうが、それはカットして兜町の説明を「ニューヨークのウォール街に匹敵する金融センター」とする。これで、このインタビューの場が金融の長たる者がいる場であるということをアピールしている。ローランサンは小道具に過ぎない。
 何を小細工をしとんねんと突っ込みたくもなるところだが、これが「週刊ポスト」に連載された文章であることを踏まえれば納得がいく。オッサン向けの文章なのである。言いたいことを直接、あるいは簡単なレトリックでもってあらわし、適度に小道具を入れて卑俗に落ちすぎないようにする。雑誌での一般の記事の場合は、それでいて、基本的にはオッサンが所属する世間を否定しない、という条件がくっついてくる。
 猪瀬氏の文章は、さすがに週刊ポストの記事ほどには俗臭芬々たるものではないが、折々に引用される三島の文章と比べると、その作家としての天稟の欠如はいかんともしがたいものがある。引用していて悲しくなってはこなかったのかな、という気もするが、ま、余計なお世話か。

●官僚制の歴史と漂着点


 さんざんオッサンくさいの文がヘタだのと言っておいて手のひらを返すようだが、評伝としての出来と文章の如何はさして関係がない。
 実際、関係者に直接話を聞いたり、資料にあたったり、といった調査作業はかなり細かくおこなっているようで、読みでがある力作になっていると言っていいだろうと思う。
 もっとも、解説の鹿島茂氏が指摘するとおり、評伝の焦点は作家としての三島由紀夫ではない。祖父である平岡定太郎から三島に至る三代の歴史を時代順につまびらかにすることにより、明治から昭和へ続く日本と日本の官僚制度の歩みを記し、その焦点を三島に合わせて描き出すところが本書の眼目となる。
 鹿島氏の解説は、原著の刊行当時に毎日新聞に掲載された氏の書評を踏まえて依頼されたもののようだから、「割腹自殺を大団円に置いた『近代日本と官僚制』という題の大河小説と見てよい」という氏の読みは、猪瀬氏の意を得たものと考えていいだろう(この解説自体はちょっと過褒だが)。
 平岡家が官僚の家系であるというのは有名な話だ。しかし、猪瀬氏は、官僚の中でも失敗者の家系と位置づける。
 平岡定太郎は、後に総理大臣をつとめる原敬に近い筋の官僚として樺太庁長官などを歴任するが、やがて権力闘争の中で野に下り、鉱山などの投機的な事業に手を出しては失敗して零落。
 三島の父、平岡梓は農商務省で水産局長までつとめたが、同期入省の岸信介が後に総理大臣になったのと比較するまでもなく、無能であったという。
 三島自身は頭脳明晰であったが、大蔵省入省からほどなく、職業作家としての道を歩むべく職を辞する。もっとも、人づきあいのことなども考えると、三島が官僚としてどのていど有能であったかは不明だ。三島の同期入省者には、冒頭のプロローグに登場する「東証理事長を辞めたばかりの人物」、”大蔵のドン”と呼ばれた長岡實がいる。
 ここでプロローグの一文について付け加える。
 本書が近代日本の官僚制の歴史を底流として描いているとするなら、このプロローグは、三島の死後まで含めた明治から150年ばかりの間に、日本がどこに漂着したのかということを場所でもって表現していると見なすことができる。
 150年をかけて、日本の中心は兜町近辺の経済の中心と同一化した。ここでで延々と、地名と、その場所の経済の中での役割が述べられるのは、1995年現在で、日本が漂着した地点が経済なのだ、ということを現しているのだと見たい。

●それも心々


 三島自身が作中、あるいは随筆の中でもほとんど祖父である平岡定太郎について触れることがなかったという事実の中に、三島の隠蔽の意図を見いだし、文学研究の領野ではあまり触れられることがなかった定太郎の零落について洗い出すくだりなど、ひとつの仮説としてなかなか面白い。
 作家の生まれから、その作家の心中を忖度し、さらにそれを作品の読解へとフィードバックさせると言った作品研究はもうはやらないが、猪瀬氏が検証したような事実があったということは、まぁ踏まえておいていいのだろうとおもう。
 もっとも、鹿島氏の言うように、これを大河小説として読むにせよ、その大団円を三島の自殺に置く必然性というのが今ひとつよくわからないというのは争えない気がする。それはつまり、論理的に飛躍している箇所がどこかにあるということだ。

 思うに、小説的なまとまりをつける必要というのは、実は特になかったのではないか。官僚制の歴史が残した瑕瑾を三島に読むにしても、小説からの引用が評伝としては極度に少ないことからもわかるように、そうした瑕瑾が三島の小説の中に残した痕跡はそう多くない。であれば、何も三島の自決を、平岡家三代の必然の末路としてたどる必要はなかったのではないか。
 三島の自決について語ったラストと、それまでの一連の文章とは、どうもしっくりとつながっていない印象を受ける。というのはつまり、三島の自決はこのコンテクストの中では説明がつきづらい場所に位置しているということに他ならないだろう。
(2004.4.27-30)


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猪瀬直樹

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