池宮彰一郎



『本能寺』
 (角川文庫
 2004年1月刊
 原著刊行2000年5月)

●胸高鳴る冒頭からの頽落


 小説は冒頭、馬で野駆けしてきた織田信長が、将軍足利義昭より使者として派遣されてきた一行の中にいた明智光秀について、どのような男かと家臣に問う場面より始まる。
 野駆けの壮快感と信長の破天荒ぶりが印象的であるとともに、光秀という本能寺の変における一方の主役が信長の前に登場してくる、実にいい場面だ。その後、彼らが最後にどうなっていくのかを知っている読者としては、ここで色々なことを想起せずにはいられない。
 歴史という沃野が目の前にひらけていくのをまのあたりにするがごときドキドキ感がある。この作者は、これからどのような手つきでこの乱世の叙事詩を語ってくれるのだろうかという胸の高鳴りである。
 だが、本作はその後、上下巻650ページにわたって、僕に言わせれば迷走するのである。
 改めて冒頭のシーンを読むと、どこで狂いが生じたのかという慨嘆の念を禁じ得ない。

 池宮彰一郎氏と言えば、ヒネリのきいた歴史小説である。
 この『本能寺』では、「信長に冷遇されて叛旗を翻す光秀」ではなく、「天才信長の後継者と目されながら、信長のビジョンに馴染めず叛乱へと流される常識人光秀」を描いている。
 だが、ヒネリがきいているかどうかはともかくとして、先に述べたように歴史小説としては駄作だ。

●いいわけと歴史小説


 本作は毎日新聞紙上に連載された、いわゆる新聞小説である。
 新聞小説の常として、いささか説明が冗漫であったり繰り返しが多かったりといった傷は本作にもある。
 だが本作の問題点はそうした表現上の欠点ばかりでなく、歴史小説としての姿勢そのもののうちにあると言わねばならない。

 元亀二年から翌三年にかけて、信長は凄まじい繁忙の中に身を置いた。
 公方義昭の火の出るような獗起の催促に、機内と周辺の反信長勢力は次々と攻勢を仕掛け、信長の機動軍団は三乃至四個兵団に分れて東奔西走し、敵味方入り乱れて、時折状況を把握するのも困難となった。
 後世、この時代を専門にする歴史学者でも、信長がいつどこに居て、何を考えどう行動したかを調べるのに、歴史年表を片手に途方に暮れる程の有様であった。
 そのなかで、筆者はできるだけ事態を簡略に説明しようと努力を続けている。
(上巻p.259より)


 話の力点が前半、信長の行動の慌ただしさにあることはわかる。しかしそれは承知で言うのだが、この行間から滲み出てくるような言い訳がましさはいったいなんなのか。
 筆者の努力がいかほどのものかは知らないし、それが称賛に値するものであろうこともおよそ見当はつく。
 だが本書の読者のうちでいったいどれだけの者が、「筆者の努力」などというものに興味を抱いているだろうか。僕個人の、この箇所を読んだときの素直な感想を書きとめさせてもらえば「あんたの努力なんぞ誰が知るかボケ」という身もフタもないものだった。
 本邦では作家の刻苦の姿に読者が酔いたい場合は歴史小説ではなく私小説を読むということが伝統的におこなわれてきているのだから、どうしても努力を誇りたいなら「『本能寺』制作ノート」を別に公開すればよかろう。

 細かいことをあげつらっているように聞こえるかもしれない。しかしそうではないのである。
 歴史小説の作家にとって「努力」とは何だろうか。題材の選択から実際に執筆するときの描写まで色々とあるだろうが、一口にまとめれば、「何を」「どのような史料を用いて」「どう描くか」の3点である。どの史料を採り、どれを採らないか、何を書き何を書かないかは作家の一存に委ねられる。
 そうした判断の努力について作中で明言するのははばかられることではない。だがいま仮に鴎外の史伝ものを見るがいい。どのような史料を採る採らないといった「筆者の努力」が、克明に描写され、そのまま作品の読みどころのひとつになっているのがわかるだろう。もっとも鴎外の場合、何を書かないかについての判断が読者に明示されることは少なく、そこに批判が加えられることもあるわけだが。
 しかし、単に「筆者はできるだけ事態を簡略に説明しようと努力を続けている」などと言われたところで、そりゃあ無学な我々読者のために労を払って下すってありがとうございます、としか返しようがない。
 作者もそんなことを望んでいるわけでもないだろう。

●美意識のない歴史観と小説観


 こうしたことは、物語の舞台裏をどう描くか(あるいは描かないか)、という問題であるが、本作においてはそこに著しい美意識の欠落が見受けられる。
 それが顕著に表れるのが、下巻になってから特に頻出する現代の官僚・政治家その他への批判的言辞だろう。信長はそれまでの世の中が形成してきてしまった既得権益を徹底的に破壊しようとした、既得権益があって当たり前のものになると百害あって一利のないことは現代の官僚を見ればわかる、云々。
 歴史小説作家というのは、一般に自分の生きている現代へのルサンチマンを執筆の原動力としていると言ってもいい。
 かつて、こんなではない世の中もあった。こんなでない世の中を作ろうとした先人もいた。こんな世の中へと傾斜していく悲劇はここにあった。あるいは、今はこんな世の中だが、それをどうにかするヒントは歴史の中にある。
 それは、その実効性を問わずけっこうなことだ。そこから数多くの歴史小説の傑作は生まれたのだし、歴史小説に限って言えば、そういうものがなければ傑作は生まれないのかもしれない。
 だが、本作での池宮氏は、それを生のままで表に出しすぎている。

 信長は職務に狎(な)れることをひどく嫌悪した。留守居は公務である。ために禄を与えている。費えも支給する。
 公務を疎かにすることは、世の乱れの源である。扶持も経費も年貢や冥加金、関銭等の税をもって賄われている。税は庶民が骨身を削り、汗を流し、智嚢を絞って稼いだ金の一部を収納した金である。
 その金を、公務に携わる者は、暮しの費えとして支給される。その代償として税を徴収された者に、全身全霊を捧げて奉仕しなければならない。それを不都合と感ずる向きは、公務に就く事を辞退すべきである。
 ”職務に狎れるな”というのは、それを言う。
(下巻p.92より)


 留守居役が信長の留守に遊びに出かけていたのを信長が成敗した、という故事を受けての官僚批判である。
 別に公務員の肩をもったところで利があるわけでもないが、それ、どうしてもここで言わないとダメだろうか。
 ご説ごもっともではあるが、別に信長の故事にならうまでもなく、池宮氏に筆を執ってもらうまでもないのである。そんなことなら文藝春秋か週刊ポストあたりでいくらでも読めるし、ことしファッション誌から移ってきたばかりのOLにでも、1年目の新人編集者にでも書ける。
 別に池宮氏がそれと同等のことを考えていたってかまわない。問題はそれをはずかしげもなく小説の文章として読者に提示できる美意識のなさである。これを読んで感心してもらえると思っている思い上がった老醜である。この文章は薄汚いと言ってもいい。
 つけくわえて言えば、こうした文章に続けて「信長が、住阿弥・さいの両名を成敗した裏には、両名の怠慢のほかに公邸の公費支出に不正を見つけたせいもあったに違いない。『信長公記』は往々にして筆の足らざる憾みがある。」と史料にない推測を付け加えたうえに史料の性格を批判するというのも、薄汚いと言っていいだろう。

●史料について〜まとめ


 池宮氏は『信長公記』にあまり信をおいていないようだ。
 信長の右筆であった太田牛一が記したものだが、後の世になってから書かれたものだけに記述に遺漏があったり、右筆という立場から書かれているだけに信長の思考の内奥に迫れていないと池宮氏は言う。
 史料の価値判断も作家の有している特権のひとつではあるから、それ自体は構わないが、「これは『信長公記』が誤りである」として、その理由に自分の設定した「信長の性格からして考えられない」と書いてしまうというのはどんなものか。自分の意見が史料と食い違うなら史料を無視すればいい。
 それをあえて史料が間違い、と書いてしまうというのは、歴史にうるさい読者へのカウンターとしても、ちょっと興ざめというものだろう。
 「歯切れがいい」という評価の仕方もあるだろうが、くさいものにフタをしている感はぬぐいがたい。

 最後に感想のまとめをしておくと、本作、読んでいるときにはそれなりに面白く感じられるのも事実である。それは池宮氏の小説化としての技量であり、話題の切り回しかたと読者が飽きる前に次の話題・場面にうつるその見切りのよさによっていると思う。
 しかしながら、「天才信長と常識人光秀」が最後にはいつの間にか「信長と光秀という二人の傑物」になっている構成の揺れなども含めて、小説としてのクオリティはけっして高くない。その意味においてこれが駄作だという評価は覆らないし、池宮氏にはもうちょっと責任をもって仕事をしてもらいたいとも感じる。
 既得権益を排撃する割に、池宮氏は信長自身の権益には無頓着だ。そしてまた、作家の権益に対する意識にも、ちょっと無頓着すぎると思うのである。
(2005.4.27)


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『島津奔る』
 (新潮文庫
 ????年刊)
 池宮氏の歴史小説はこれが初体験となる。
 読後の素直な感想としては、ちょっと作者の得意そうな顔が浮かんでしまうような語り口であるな、というところ。といって、それが鼻について読めないというわけでもなく、その得意げな饒舌がむしろ心地よいという面はある。文庫版裏表紙の梗概によれば、「思いきった人物設定で、戦国武将の内面に鋭く迫り、現代の指導者たちにも熱い共感を呼んだ大作」だそうだが、そういう、雑誌「プレジデント」の「島津義弘に学ぶリーダーシップ」記事のような、訓話的な読み方はむしろこの小説をつまらなくするだろう。
 素直に楽しめばそれでさしたる疵はなし、という気がする。

 これが初体験ということで、あまり池宮氏の小説の組み立て方についてべらべら喋ると、また恥をさらしてしまうような気もするが、それも承知の上で書いてしまうと、おそらく、この人は歴史を機械のように分解し、それをまた組み立てて、その中に、新しい歴史の読み方を探ろうとしているのだろうと思う。
 つまり、慶長の役に始まって関ヶ原からの退却に終わるこの小説の場合であれば、「関ヶ原の合戦を経済の面から位置づける」「それに伴って人物の造型に新鮮さを持たせる」といった着想を基盤にして構成してあると思うのだが、その際、まず「関ヶ原の合戦」という史実を、経緯、原因と結果、等々に分解し、それを、「経済」というキーワードで濾過し、さらに小説という媒体に見合った形へ、また組み立てていく。そうした作業をしているのではないか、と推測する。
 登場人物の性格づけもまた、ある程度、経済面と照らし合わせつつ、特徴をふくらませている。
 吝嗇であり、その吝嗇の原因として小心者でもある家康。吏僚として計算に強く、しかしそれゆえに現場を顧みないため、武将達には嫌われる三成。よく大局を見ながらも現場にあってはカリスマ性を持つ島津義弘。
 この場合、主人公にしておくと、小説として据わりがいいのは、もちろん、家康や三成ではなく、島津である。従って、島津が主人公となる。

 ちらほらと書評サイトなどを見てみると、経済面から関ヶ原を描いたあたりが、現代的であると評価されているようだが、歴史を経済という尺度から位置づけなおすなんてのは、唯物史観の得意分野なので、別に騒ぎ立てなくてはならないほど新しい視点という気はしない。
 人間が2人以上で暮らしていれば、そこには必ず経済が存在するのだ。経済を扱っているから現代的というのは、浅慮も甚だしい。
 …誰に向かって怒ってるんだろうな、僕は。
 また、「現代的な視点で歴史を解釈する」というのは、芥川に代表される手法で、これまた、目新しいというわけではないと思う。かつては、現代人の尺度で歴史上の人物の心理を推し量ったのが、今は経済という尺度で歴史を測量している、というだけの違いだろう。
 それが目新しいと感じるのは、戦後、日本の歴史小説、特にエンターテイメントとしての歴史小説がが、司馬遼太郎に見られるような、「歴史の定型を定型として描きながら、小説の面白さを追求する」という方向に偏ってしまったからだ。たとえば井上靖あたり以前までさかのぼって比べてみれば、司馬遼太郎の「古さ」というのがわかると思う。むろん、これは「新しい・古い」の問題なので、小説としての出来はまた全然別の話だ。事実、司馬遼太郎式の歴史小説が多く書かれたのは、それが小説として出来がよかったからに他ならない。だからこそ、追従する者が現れたのである。
 少し話がずれてしまったが、何を言いたいのかと言えば、この小説の面白さは、別に解釈の新奇さからくるものではないぞ、ということだ。

 本作最大の見せ場、というと、前領主島津義久の命に背いて、島津の兵卒・地頭たちが、関ヶ原の大合戦を目前に窮地に置かれた島津義弘に命を預けるため、てんでに薩摩から美濃へと向かうシーンをあげる人が少なくないに違いない。
 確かに、様々な経済的側面がクローズアップされて語られるこの作品で、損得抜きに、領主へと自分の命を預ける薩摩の兵卒たちは異質である。それゆえに感動的だし、そしてまたそれゆえに島津が主人公たりえるのだ。
 が、僕が一番、印象に残っているシーンは、決戦前夜のそぼ降る冷たい雨の中、石田三成が下痢に苦しみながら、供に数騎のみを連れて、毛利輝元・小早川秀秋といった、西軍武将に名を連ねながらも態度をはっきりさせない武将たちのもとを訪れ、督戦の説得をしていく場面なのだった。
 知っての通り、西軍総大将毛利輝元は、配下の吉川広家が家康と通じていたがために不戦。また小早川秀秋にいたっては、事前の内応もあり、土壇場で東軍方に回って三成を追いつめる、という行動に出るわけだが、そのあたりのくだりを読む段になると、前夜の督戦での三成の姿がだぶる。それらの内応武将が西軍で戦うとの手応えを得、また、序盤戦では西軍有利に展開しているという状況で、計算の上では、裏切るという選択肢はすでにこれらの大名にはない、とまで確信していた三成が、愕然の内に裏切られていく。
 それだけならまだしも、三成配下の島左近、舞兵庫、蒲生郷舎といった武将が奮戦の内に弊れていくのである。
 その心情をつぶさに描くことはしていないが、己の頭の中での心算と、現実に起きている不合理との間に引き裂かれつつ、それでも自らは戦うことの出来ない三成の無力感は、憐れを通り越して文学的である。
 ここでおそらく、三成は他者の存在を発見するのだ、文学なら。エンターテイメントなので、本作でそこまでは描かない。しかし、この題材のとらえ方は見事だと思う。
 何よりも見事なのは、歴史をどう小説の上で構成し直すか、ということではなく、その構成しなおした歴史の上で、どの場面をどのように描けば、小説として面白いか、という、その判断だと思うのだ。

 本作には、たしかに不備な点も多々ある。
 島津の英雄、義弘を英雄として描こうとするあまりか、最終的には戦略的勝利をおさめるものの、関ヶ原での戦いぶりについては「仕方のない展開」という形で不問とされているし(冷静に考えれば、関ヶ原での義弘の行動は、どこまで上策と言えたか怪しいと思う)、途中でいくつかの伏線は消失してしまう(子芳と義弘の交情は、最終的に必然性があったとは位置づけがたい)。また、新聞か雑誌に連載していた形態からあまり手直しをしていないのか、エピソードの紹介に重複が多々見られる。
 おそらく、関ヶ原という、日本の歴史上希に見る一大交差点に向かって集中しているエピソードが多すぎるのだ。それを、完全には捌けていないうらみがある。
 だが、そうした細かい点には目をつぶり、小説としての面白さを味わえば、この作品の場合、問題はおそらく無いのではないだろうか。
(2002.11.6)


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池宮彰一郎

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