押井守



『押井守論 MEMENTO MORI』
 (日本テレビ
 2004年3月刊)

●PR本と呼ぶべきか


 映画『イノセンス』の公開にあわせて作られた一種のPR本、ということで、これもけっこう長い間、本棚で寝かせてた1冊ということになる。
 こういう宣伝のにおいのする本というのは、本来あんまり好きな方ではないが、PR本とは言いながら、本屋でぱらぱらとめくった際に、出来がいいのは確認済み。『イノセンス』に関してはテレビCMもかなり打ってたと思うし、鈴木敏夫氏あたりがきっちりとスポンサーに売り込みをおこなっていたのだろう、かなり宣伝費が潤沢にあった感触を受ける。そこはかとなく漂うバブルの香り。
 でもまあ、出来がいい本が読めるのなら、別にそれはそれでありがたいことだ。

●売り上げは問わざるべきか


 執筆陣が多いから、という理由はあるのだろうが、内容としては相当多岐にわたっている。前作に当たる『GHOST IN THE SHELL』についての言及が多いのは当然としても、ついで言及される回数が多いのがおそらくTV版『うる星やつら』だというのは、単純に『イノセンス』のPRだろうとタカをくくっていると足下をすくわれる事態だと言っていい。だって単にプロモーションの一環としてだけ考えるなら、ここで『うる星やつら』を語ることには意味はほとんどないだろう。まして『紅い眼鏡』とかの実写作品となるとなおさらだ。DVDもあるから今日では見るのに特に苦労する作品ではないけど、「『紅い眼鏡』の監督の作品だから『イノセンス』を見よう」という人がどれだけいるか、と考えると、宣伝効果は薄いもほどがあるというべきだろう。
 つまりだ。おそらく『イノセンス』のプロモーションの一環として企画され、また『イノセンス』の宣伝費のワク内からカネが出てもいる本書なのだが、企画に携わった人間の誰かないしは全員が、カネがあるのをいいことに好き勝手やっちゃったのである。たぶん、もともと押井監督のファンだったのだろう。これ幸いと、ホントに押井守の全仕事を俯瞰するような形での『押井守論』を作ってしまったわけだ。
 僕は買ってはいないが、少し前に『宮部みゆき論』みたいなタイトルで、何人もの論客による宮部みゆき氏に関しての評論アンソロジーが出ていた。本書はあれと同種の代物なのだ。ただし、大きく一点違うのは、宮部みゆき氏についての評論アンソロジーは売れるけれども、押井守氏についての評論アンソロジーとなると、まあかなりひいき目にみても商売としては成立しがたい、というかまあぶっちゃけ売れる要素がないということだろう。
 いや、僕は押井監督好きだし、だから本書もちゃんと買ったわけだが、でもただでさえ高い作品評価の割に、「儲からない」と評されることの多い押井監督作品である。「儲からない」というのはファン層がコアで、広く受け入れられる可能性には乏しいということだ。基本的にあるていどコアなファンだけが買うのを前提とした評論アンソロジーで、もともとのパイの大きさが小さい押井監督をあつかっちゃったら、そりゃ売れないっすよ。

●再臨を期待すべきか


 とはいえ、だからこそいい本になったということは言える。
 というか、本というのは「コレコレの為の本」という目的性がはっきりしすぎているとつまらなくなるものだと僕は思っていて、こういう「映画の宣伝のための本」なんていうのはまさにその最たるものだと言っていいわけだ。だからPR本というのは一般的につまらない。なんだかんだ言っても言いたいことは「映画見ろ」だったりするわけで、興ざめもいいところなのである。
 それをこの本の場合は、作り手側の趣味性の強さでPRという所期の目的をどっかにうっちゃってしまうことで中和しているというか、所期の目的自体がどっかに行ってしまっている。
 まあ、あくまで映画のPRが目的ということで、押井監督作品への悪口はほとんど見あたらないが(それでも気をつけて読むと婉曲に言ってる箇所はある)、そこまでは求めない。
 もーカネもあるし、俺の読みたい本を俺の人選したライター陣で作っちゃうぜ、みたいなバブリーかつ、お祭りわっしょいな雰囲気をこっちで勝手に感じてしまう1冊だが、そんな本なら俺も読みたい、と思える人間にとってはマストバイであろう。そもそも、たぶんこういう本は今後、もう企画される機会がないと思うし。売れないからね。
(2006.7.1)


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『立喰師列伝』
 (角川書店
 2004年2月刊)

●何と豪華な表紙なのか


 何から書いていいものやら、とにかく異様なくらいに豪華な本だ。
 まずたとえば表紙を見るとする。表紙には8人の人物の写真が使われているわけだが、この8人、上段左から順に神宮寺三郎シリーズやバーチャファイターシリーズなどでもおなじみ、日本でもトップクラスの画力を持つイラストレーター・漫画家の寺田克也氏、「ガメラ」の特撮技術監督で著名な樋口真嗣氏、プロダクションI・G社長の石川光久氏(なんと後ろ向きで背中だけの出演だ。ま、本編中にはちゃんと顔入りの写真も使われているが)、アーマーモデリング誌編集長の吉祥寺怪人氏、映画「イノセンス」をはじめ数々のアニメシーンで名曲を生み出してきた川井憲次氏、声優の兵藤まこ氏(代表作って何だろ、ハッチポッチステーションのミスダイアか?)、「マクロス」を代表作に持つ天才メカデザイナーにして監督から脚本までこなすマルチクリエイター河森正治氏、スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫氏という面々である。
 なんなのだろうか、この力の入りよう。アニメをちょっとでもかじった人間で、このラインナップに鳥肌が立たない者がいたらそれはウソだ。
 正直なところ、本書よりもむしろこのメンツで作ったアニメがあったら見てみたい……いや、それはちょっと失言だったかもしれないが。しかし失言だったかもしれないが、ものすごいメンツである。それがイコール押井守氏の人脈のすごさだったりする、といった話はひとまず措こう。
 ターバン巻いて似非インド人になりきっている河森氏や牛丼の丼をかまえて大見得を切る樋口氏の姿が載っている本は、世界広しと言えど本書しかないだろう(他にあったら切腹してやるわ)。それだけでも1700円という定価に見合う価値はある…かもしれない。
 とはいえ、これが小説である以上、問われるのは中身でなくてはならない。

●企画アリ、されど道照らされず


 押井守氏に、立喰師、すなわち立ち食いのプロ、もっと言えば無銭飲食をみずからの職業とした者たちについての物語の腹案がある、というのは、ずいぶん昔から知られていた事実だ。
 公式サイト「ガブリエルの憂鬱」には、本書の、というよりも本書の元となった連載の(?)企画書が掲載されている。それによれば、この企画が産声をあげたのは、実に1990年11月より以前のこと。
 確か、以前に氏がNHKの番組に出演して、「立ち食いのプロについての映画を作りたいんだけど、誰も乗ってくれるプロデューサーがいない」と語っていたのを見たことがある。それも、だいたい同じ時期か、あるいはもうちょっと後のことだろうか。
 さて、その中身は、というと、犬飼喜一なる架空の民俗学者の研究成果を土台とすると称し、戦後闇市の時代から1980年代まで、時代を追って登場する8人の「立喰師」たちを列伝体でもって綴ろうという試みだ。もちろん言うまでもなくこれらの「立喰師」もまた架空であってみれば、砂上の楼閣の屋上また屋を架すがごとき虚構が迷宮をなしてそこに広がるといった次第となる。

 しかし、「月見の銀二」「ケツネコロッケのお銀」「哭きの犬丸」「冷やしタヌキの政」「牛丼の牛五郎」「ハンバーガーの哲」「フランクフルトの辰」「中辛のサブ」といった8章それぞれの主役たちの名前は、押井氏のファンならすぐさまピンとくる名前であるはずだ。
 TV版「うる星やつら」の「必殺!立ち食いウォーズ」に登場した「ケツネコロッケのお銀」「牛丼の牛五郎」「ハンバーガーの哲」「中辛のサブ」(この話の制作には押井氏はクレジットされていないが、話の中身からして強い影響を与えたことは確かだろう。ちなみに監督は鈴木行氏、脚本は伊藤和典氏)、「紅い眼鏡」で故天本英世御大が演じた月見の銀二、そして「御先祖様万々歳」の「哭きの犬丸」。他の者にしてもどこかしらで聞いたような名だ。
 「押井守と立ち食い」というテーマについてなら、なんぼでも詳しい人がいるだろうから、テーマとしてこれ以上踏み込むのは避ける。
 ただ、「うる星やつら」をひとつのルーツというか下敷きにしつつ、その後、発展的に構築された立ち食いのプロたちのキャラクター像を見る読者の胸の内には、押井氏の過去の作品が響き合わずにはいられないであろうことを付記するのみだ。
 なお、誤解のないように付け加えると、これら過去の作品を知らないと楽しめないという意味合いではないので念のため。

●本懐のズレ −「戦後史」から「自己実現」へ−


 さて、小説周辺にまつわるそうしたオカズはひとまず措くとして、それでは、小説としての本作の本懐はどこにあるのか。
 本来なら。それは前述の企画書にもあるとおり、「彼等立喰いのプロの系譜を辿りつつ日本の戦後史を新たな視点から再編すべく企図された虚構の歴史ドラマ」となるはずだったのだろう。
 しかしながら、いや、たしかにそういう側面も、特に連載の初期にはあるのだが、そうした企画意図は、回が進むにしたがい、次第にずらされていくのである。
 そのズレが、そもそものプロットに沿ったものであるのか、押井氏の興味のうつりかわりによるのか、はたまたあるいは「昭和史では読者受けが悪い」といったような雑誌側の注文によるものなのか、そのあたりはさだかでない。
 ちなみに、立喰師の列伝と聞いて人がまず連想するであろうような、そのひととなりから無銭飲食の手口に至るまでを面白おかしく描いた活劇、というラインからは大きく離れている。ま、これは押井作品ならやむをえぬ、というところだろうが、タイトルをつけるにあたって意識されたであろう種村季弘『詐欺師の楽園』『ぺてん師列伝』(前述の企画書末の参考文献に、『詐欺師の楽園』をもじったタイトルの書名が見える)の路線からすればちょっと意外でもある。

 少し話がそれた。
 そもそも、立喰師という存在は、本書においては、単に無銭飲食常習者を指しているわけではない。無銭飲食は、その場において彼自身が食べた食料そのものとしてしか彼に利益をもたらさない。すなわち立ち食いの見かえりに金銭を得ることも、また供された食料を換金することも基本的にはもちろん不可能であり、それどころか日に3度の食い扶持にありつくことすら難しいことは想像するに難くはないだろう。
 本書が語るところによれば「確かに実利という観点に立つならば、立喰師なるものがそのゴトによって獲得するものは常識的に言って実利と呼ぶに程遠い」のであり、それゆえ、彼らは「実利の追求からその特殊技能を媒介として独自の系譜と社会階層を形成した集団とは自ずと異なる価値観の提示が必須と為らざるを得ない」(p.33「闇市からの出発 月見の銀二」より)。
 つまりだ。実利追求的な集団あるいは社会階層、それすなわち戦後民主主義に対し、立喰師はそれと「異なる価値観の提示」を無銭飲食という行為によって成し遂げたのだという論理構造なのである。
 再編された戦後史に、その戦後的なものの破壊者、アンチテーゼをその身でもって実践しながら立ち食いというフィールドの限定性によって最終的には敗れ去っていかざるをえない者たちとしての立喰師たちの物語を添い寝させるという目論見は、彼ら立喰師が、立ち食いによって何を唱えたのかを、あるいは本書の言葉を借りるならいかなる「自己実現」をなしたのかを問うという内容を、必然的に伴うことになる。
 そしてさらにそれは、個人という実体をともなう以上、不可避的に後者、つまりかれら立喰師の「自己実現」のあり方にウエイトをおいたものになっていかざるをえない。

●本懐のズレ2 −「自己実現」から「対システム戦術論」へ−


 そうした構造が明白となるのは、「第三夜 『東京オリンピックの悪夢』哭きの犬丸」から「第四夜 『自己否定の悲喜劇』冷やしタヌキの政」にかけてだろう。
 これが、東京オリンピック前夜から学生運動はなやかなりし安保闘争の時代にかけての話であることは、押井氏の来歴を考え合わせるなら単なる偶然とは呼びがたい。
 しかしいずれにせよ、戦後史の再編成から立喰師の「自己実現」のあり方へとシフトした本書の主眼は、「第五夜 『予知野屋解体』牛丼の牛五郎」にいたって、再度のシフトチェンジがはかられることになる。
 それを端的に娯楽路線への転向と位置づけることも出来なくはないだろう。実際、「引用」と称して牛五郎のゴトの実際が小説調に描かれるパートが、それまでよりもケタ違いに増加し、それに伴って読者が本書を読み進むスピードは、ここで一気に加速するはずだ。小説調であるだけに娯楽味も増す。
 シフトチェンジの理由のひとつに編集側の要請が邪推される所以でもある。
 ただ、もうひとつ理由を考えてみるなら、第四夜までと第五夜移行とでは、立ち食いの舞台となる店が、個人経営の小さな店か、それともフランチャイズ化されたチェーン店であるかが、時代相のうつりかわりとともに決定的に異なっているという点もあげられる。つまり、店主の食い物屋としてのプライドに訴えかけて、出されたソバが金を払うに値しないと論破するといった戦術はここにいたってほとんど不可能になるのであり、これ以降はフランチャイズ店側のシステムをいかに食い破るか、という点に、ゴトの実体が移行する、という筋書きだ。

 ただし、理由がいかなるものであれ、こうした主眼のズレは、小説としては収まりが悪いのに相違なく、ややもすれば破綻を招きかねない。
 本書中、幾度か予告された「最終章」は、ついに書かれず、替わりに「追記」として短い文章が掲げられるにとどまった。それが果たして破綻によるものか、それともあらかじめの計画通りなのか、そうしたことは不明だが、個人的な印象で言うなら、プロットが拡散してまとまりがつかなくなってしまったという感もぬぐいがたいものがある。
 もっとも、一巻を通して見ればまとまりの悪さがあることは否定できないが、それぞれの章別に見るなら、これはこれで十分に面白い。また何より、立ち食いに関しての押井氏のこれまでの歩みをひとまず総括している1冊でもある。ここは「ファンなら買い」とファミ通のクロスレビューのような台詞で、このまとまらない感想を締めくくってみたい。ファンでなくても面白い、とは思うが、保証はしかねる次第である。
(2004.10.3)


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