オースン・スコット・カード



『エンダーのゲーム』
 (野口幸夫訳
 ハヤカワ文庫
 1987年11月刊
 原著刊行1985年)
 1985年のヒューゴー賞・ネビュラ賞をダブル受賞したSFの傑作とされている1冊。
 2次にわたる「バガー」と呼ばれる異星人の侵略を受け、それをからくも撃退したのちの地球において、地球軍の司令官となるべく選ばれた1人の超天才児エンダーの成長を描くのが本作の内容だが、物語も結末部にはいると、それまでつづられてきたエンダーの成長ぶりについての描写がひとまずそこで中断され、今度は、エンダー自身にとって、その成長にどんな意味合いがあったのかが問われる。
 この最後の場面にいたって、僕としては「いやー、アメリカ人は体力があるなあ」とほとほと感心してしまうのであった。
 最後の20ページあまりは、ほとんど何かの宗教説話のようであり、事実、「エンダー」の時代以後に栄えるであろうひとつの宗教の初源でもある。
 とはいえ、全体の構成からして言えば、これはやっぱり破格と言うべきで、決してこれがあるゆえに全体の構成がきゅっと締まるという手合いのものではない。それでも、テーマ性をはっきりとさせるという意味合いもあるだろうが、それを書ききってしまうというのは、何とも恐るべき体力である。感心するというのは、だから諸手をあげて「これで感激しました」といった意味ではない。
 が、ともあれ、これは体力と呼ぶべき資質だと思う。

 518ページの本文のうち実に300ページあまりが、世界各地から集められた俊才たちとエンダーが「バトル・スクール」と呼ばれる施設でサバイバルゲームに励むようすを描いている。ゲームであるからしてルールがあり、チーム戦であるゆえに戦術があり、戦略が生じる。それを細かく描いていく。
 とはいえ、いかに緻密に戦術戦略が語られようと、これらはすべて将来、エンダーが司令官へと成長するためのシミュレーションなわけで、つまりは助走なわけだ。その助走の部分がそのまま本作の読みどころであり根幹となっているのだが、そして実際、その助走ははたから見ていて、非常に面白くもあるが、しかしこれだって、思いつくには誰でも思いつくだろうが、実際にそれを描ききるというのは体力が要る。
 次から次に、エンダーに対して新たな状況を、しかも容易にはクリアできないような難関を提示し続け(クリアした瞬間にはその難関をそれ以上描く意味はないのだから)、そしてエンダーが必ずそれをクリアするようすを描かねばならない。そこに必要以上の逡巡を織り込めば、エンダーの天才性が損なわれる。難関を提示すること、かつ必要以上にその難関に手こずらせないようにエンダーを動かすこと。カードはこれを同時にやってのける。
 しかも、それが将来の実戦へ向けた助走でしかないことを知っている読者に、飽くことなく読ませ続けねばならない。実力のある作家ならできない作業ではないだろうが、300ページに渡ってそれをさせ続けるというのは、いや「よくやるわ」といったところだろうか。

 ベトナム戦争を契機とした厭戦的な主題を、「戦争の司令官になるために育てられる少年」というモチーフの中で描く、割に直球なテーマ性は、ま、この時代のSFが持っていた批評性の表れだと考えるべきだろう。(それが20年してああも変わるかね、と2004年現在のアメリカを眺めるのもアリだろうが、ま、しかしテキサスカウボーイの大統領が政府の公式発表を操作して作り上げた世論に、全アメリカ人が納得していると考えるのは浅はかというものだ)
 テーマ性が直球すぎるという批判はあってしかるべきかもしれない。
 また、最後のどんでん返し的な種明かしも、時間が経ってしまったせいか、それ自体はありきたりだ。
 他に日本語版の欠点としては、改版がないためもあるだろうが、少年同士でのスラングの訳に「〜だよ。ちゃう?」などという訳語を当てる感性の古さも、またいささか読みにくい翻訳文体もある。
 だが、それでもなお、本書はエンターテイメントの傑作としての価値を失ってはいない。それは著者の体力という資質と、それにもとづく批判的な価値観に拠っている。いずれにせよ、構成それ自体を見聞きする限りでは決して面白いと思えないのに、それを上質の物語に仕上げる力量には、呆れつつも賛辞を送るしかないだろう。
(2004.3.21)


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オースン・スコット・カード

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