小島俊明



『おとなのための星の王子さま』
 (ちくま学芸文庫
 2000年5月刊
 原著刊行1995年)
 サン=テグジュペリの『星の王子さま』の解説書…なのだが、いまいちピンとこなかったというか、少なくとも僕は、この本によって何か新しい示唆を『星の王子さま』に関して与えられるということがなかった。
 この本で何か「星の王子さま」の解釈について深く感銘を受けたという人もいるかもしれないので、あんまり文句をつけるのもどうかな、と思うが、これを読んで感銘を受けた人は、できればもうちょっといろんな本を読むべきだろうと思う。
 僕にとっては、普通、そんなん言われんでも気づくやろ、というありきたりすぎる指摘と、「星の王子さまステキ!」という宗教的信仰心の表白オンパレードに過ぎなかった。ちょっと読んでて気分が悪くなったくらいだ。

 「はじめに」で筆者は、『星の王子さま』が様々な技法に富んだ物語であるとかたり、メタファーとシンボルとアレゴリーについて解説する。『星の王子さま』が、さまざまな暗喩と象徴と寓意に彩られた本であることは僕自身も否定しない。しかし、いまどき「これこれはナントカのメタファーです」で読者がへぇーと驚くかね。昭和30年代かよ、という話である。
 大体がこの調子で解説が進む。例の象をのみこんだウワバミの絵については、次のように解説される。

 こんなわけで、「中の見えないウワバミ」は、この物語を読み解く一つの鍵になっている。つまり、象が描かれていないのに象を見る超能力が問題である。「ぼく」は、「中の見えないウワバミ」をいわば一つの判じ絵として用い、おとなを試し、内部に象を見ることのできない大人をからかっている。「ぼく」は「ぼく」の描かなかったものを見抜いてくれることを求めている。つまり、目に見えないものを見る能力を要求しているのである。いってみれば、これがこの物語の主題である。
(p.26 第一章「王子さまの星」)

 いやいや、と。普通に読んでたらそのくらいわかりませんか?
 いっくらなんでも読者を舐めすぎている気がする。あるいは、もう書くことがなくてやけになっているのかもしれないが。
 と思えばこんなのもある。王子さまと薔薇の花との別れのシーンだ。

 「さようなら」を王子さまに二度まで言わせてから、やっと口を開いた彼女の言葉は、「あたくし、馬鹿でしたわ」である。ほんとは好きだったのよ、そしていまも好きなのよ、と愛を告白しながらも、自分から折れて出て、行かないでくださいと懇願するには、気位が高すぎる彼女。王子さまが行ってしまえば泣けてくるくせに、「そんなにぐずぐずしてないで。じれったくなるわ。出発することにお決めになったんでしょう。さっさと行ってしまいなさいよ」と強がりを言う彼女。「そんなにも勝ち気な花」が、実にいきいきと描かれている。
(p.85 第一章「王子さまの星」)

 フェミニストの人が読んだら激怒もんだよ、おい。実際にそういう寓意が元からあるにしても、著者はそれに素直に感動しているらしいし。ホントに昭和30年代である。1995年にもなって無批判にこんなこと書いてたらダメなんじゃないの。
 本書全体を通して、筆者には『星の王子さま』に対する批判的なまなざしが欠けている。別にいいとも悪いとも言わないならそれでいいのに、このおっさんは随所で感動を隠そうともしないのである。「これは何と美しいイメージだろう!」とか言って。
 問題点が多いと言われる、岩波書店版の内藤灌の訳を底本とせずに、ガリマール書店のフランス語版を自身で訳しながら執筆しているあたり、それなりに真面目な姿勢があったんだろうとは思うのだが、どうにも一人合点が多すぎるというか、この程度のことなら、別に教えてもらわなくてもいいです、という感じの1冊になってしまっていると思う。
(2004.2.22)


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小島俊明

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