内田百



『御馳走帖』
 (中公文庫
 1979年1月刊)

●百闖苑フ験


 内田百閧読むのはこれが初めて。
 これは百閧ノ限らないけれども、漱石山房に集まった人々というのは、芥川を例外として、現在でも読まれている人というのがほとんどいない。森田草平などにしても、寺田寅彦や鈴木三重吉などにしても、名前はよく知っていても、どれだけ読んだ人がいるか、となると疑問である。師匠である漱石の名前と、「漱石山房」という名前があまりに有名なだけに、その弟子たちが作家として大成しなかったこととの明暗が濃い。漱石だけに。
 これは要するに、漱石とその弟子たちとの射程距離の違いで、むしろ漱石の射程距離が呆れるほど長いのに驚嘆すべき場面なんだけれども、なかなかそう素直には感じられないもので、僕なども、寅彦や三重吉はともかく、草平や小宮豊隆、あるいはこの内田百閧ネどは、どうしても「『漱石の弟子』という余録で執筆生活を送った人」という印象を持ってしまっている。実作を読まずにこうした予断を持ってしまうのはもちろん褒められたことではないけれど、同じような印象を持っている人は多いのではないだろうか。そもそも、これらの人の実作に触れる機会自体がほとんどない。
 今回の『御馳走帖』は、ちょっと(と言っても2年くらいだけど)前に、中公文庫で百閭tェアみたいなのをやっていて、そこで買ったものだったと思う。中公文庫は、普段の存在感は異常に薄い割に、ここ何年か面白いフェアを企画していて、どうも有能な人が中にいるらしい。ここと講談社が大手では注目株だろう。ともかく、そんなきっかけでもないと、そうそう手を出す作家ではない。
 そうなってしまったのには、日本の出版界の、売れない本は本屋に並ばない、という状況にも責任があるはずだが、百阮{人の射程の短さにも問題があるのだろう。

●愚鈍にして衒わず


 で、読んでみての感想ということになるわけだけれども。
 前に何かの本で、百閧ニいうのは作品云々よりも人として、悠揚としているところがあってそこが面白い、というようなはなしを読んだことがある。それがなんだったかと思ってちょっと探してみたけど見つからなかった。種村季弘氏の対談だった、と記憶してたけど、違ったようで。読んだのはそんなに前のことでは、なかったはずなのですがね。
 この本に収められているのは食べ物にからんだ随筆なのだが、年代としてはかなり広がりがあるらしい。昭和8年から39年までというから足かけ30年。もちろん1冊書くのにそんな時間を費やしたわけではなくて、その間に出た随筆集から食べ物がらみの話を抜き出して再編集したものだ。
 でも、それだけ長いあいだに書かれたものを集めたにしては、通して読んだときに違和感がない。文章のリズムとか緊張感にちょっと違いがあるけれど、でもそれが違和感にまでならない。
 それはどういうことかというと、多分この人、その30年間でほとんど成長してないってことだと思う。成長していない、というとけなしているように聞こえると思うが、一概にそれだけではない。成長しない、ということには悪い面もいい面もあるのだ。この人の場合も、悪い面もたぶん色々とあるんだろうと思うけれども、いい面もある。悠揚としているとはつまりそういうことではあるまいか。

 20歳で「老猫」という作品を漱石に送ったところ、「筆ツキ真面目にて何の衒ふ処なく」それが「よろしく候」と賞されたことが平山三郎氏の解説に載っている。さらりと読み流してしまいそうになるが、20歳で、しかも作品を漱石のもとに送るような人間の文章に「衒ふ処な」いのは尋常でない。なんとなれば20歳とは衒う処満載下心てんこ盛りのお年頃だろう。
 同時代で言えば、硯友社の人々とごとくである。
 しかしこの人は硯友社流の美文には流れなかった。というよりあちらの水には親しめなかったのかもしれない。
 「老猫」という作品を読んだことはないが、多分この人、このころからそんなに変わってないんだろうな、と思えるのである。
 その変わってなさが、こんにち、この人の作品がほとんど読まれなくなっていることの一因であることに疑いはない。もうちょっと野心的だった方が、書かれる作品の射程を伸ばすことにはつながったろう。先生であった漱石にしても、その衒いのなさはそのままに文業に携わる者としての成長は期待していたのではないかと思う。
 もっとも、仮にそうして才能を伸ばしていったなら、現実にそうだったように昭和46年まで生きのびることはなく、もっと早死にしたかもしれない。第2次大戦中、文学報国会の肝いりで当時の一流作家たちが南方の戦地に従軍文士として派遣されたとき、百閧ヘ日本郵船に会社員として勤めることで南方派遣を回避したという。従軍文士は、別に前線に立つわけではないので、送られていたら死んでいたということはないだろうが、そういう場面に立ったときにリスキーな方を選ばない愚鈍な賢明さを持っていたのが内田百閧ニいう人なのだろう。

●それぞれに楽しみを


 何だ、本の中身についてほとんど触れずにここまできてしまった。
 食べることについての随筆であるが、百閧フ場合、いまのグルメ随筆のように食にこだわることに何か思想的な裏づけがあったというわけではない。またそういう時代でもなかっただろう。
 色々なものを食べていて、シャンパンを飲んだり牛肉馬肉を鍋でつついたり、美味しいものも食べてはいるが、それはハレの日のことで、普段の生活ではむしろ食のリズムのようなものを重んじ、いつもの時間にいつものものを食べる、ということを大切にしていたようだ。だから、急に御馳走を食べるというのは困る。普段の日は普段の通りに普段の盛り蕎麦を食べるのが一番の御馳走だという。
 本書の場合、そういうことを衒いなく言える、内田百閧ニいう変わった性格の人を、食を通じて眺める、という趣旨で楽しむのがいいと思う。同じものを食べていても、凡人では同じことは書けないものだ。敢えていま、この人の作品を読むことに意義を見いだすのは難しい。しかし、読めば読んだ人なりに面白いと思えるのであって、こういうところ、ちょっと時代が下るが山口瞳氏に似ている気がした。
(2006.4.1)


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