海野十三



『海野十三敗戦日記』
 (中公文庫
 2005年7月刊)

●「作家の日記」ではない


 昨年末あたりからぽつぽつと読んでいる海野十三。その海野が戦中、それも昭和19年の末から昭和20年の末にかけて、すなわち戦争末期につけた日記「空襲都日記」をまとめたのが本書。
 ただし、こういう言い方はどうかなあと思うけど、そういう日記だと思って読むと面白くない。そういう日記というのはつまり、「作家の日記」としての価値とか面白さのことを指して言っている。
 作家の日記にもいろいろあるが、一番有名なのは永井荷風の『断腸亭日乗』か森鴎外の『独逸日記』『小倉日記』あたりだろう。
『独逸日記』『小倉日記』はちくま文庫に入っているのを読んだ。これもさらっと読んで面白いものではないが、「鴎外がそのときどんなことに興味を抱いていたか」ということに焦点を絞って読むと、小説と実生活の関わりなども含めて考えられ、面白くなってくる。最初に鴎外というネームバリューありきという形。
 一方、『断腸亭日乗』は、なんせ40年間にも及ぶ代物なので全部読んだことはもちろんなく、せいぜい興味のある箇所だけを拾い読みしたていどだが、これは文章自体がよくて読んで面白いタイプの日記だと思う。偏奇館主人を名乗り、万巻の書物に埋もれて暮らした荷風が、空襲でその書物のほとんどすべてを失うとともに気力をも失い、日記の記述もどんどん簡素に衰えていくあたりなどは(まあこれも荷風という作家を知っていてこそかもしれないが)読んでいて涙を誘う。
 日記というのは元々他人に読ませるためのものではないが、昭和になると作家の日記を出版するのが流行する。となると作家の方でも「読まれることを前提とした日記」が書かれるようになる。私小説からの実生活をさらけだす流れの末端であろうが、太宰治は『もの思ふ葦』の中でこうした傾向を、それをありがたがる読者もろとも痛烈に非難した。もっとも、言っているのが太宰であるのでそのまま受け取っていいのかどうか迷うところではある。ちなみに、この流れを部分的に汲むのが、インターネット上のWEB日記でありブログであることは言うまでもないと思う。

 海野の日記はどうであるのか。
 「後日の用のため、記録をとっておくことにした。」と海野自身が「はしがき」に言う。「後日の用」がどういったことを指すのか不明だが、元が私小説作家ではないから、後々になってこれが出版されることがあると考えたわけではないだろう。実際、これが出版されたのは海野の死語22年たった1971年のことだ。海野自身が後々になって読み返して生活の変化を振り返るという意味合いに素直にとってよいと思う。
 書きぶりとしては簡潔な部分もあるが、淡々としすぎない部分もあり、特に空襲の様子については細かく描写されている。
 ただし、荷風のそれのように日記自体が文学になっているという感じは受けない。これはまあ、言っては悪いが作家としての力量の差だろう。また、海野十三という作家に格別の興味を抱いていればともかくだろうが、鴎外の日記のように「海野の日記だから」といった楽しみかたもしづらいと思う。作品とのつながりもそこまで深くはないようだ。
 じゃあ何なのかというと、科学に対して開明的なところはあるが、それ以外では筆が立つほかに取り立てて特別なところがない、当時の一都民の日記、ととらえるのが適当ではないだろうか。戦争の是非や戦局に対するとらえ方などは特にそうだが、割に一般市民の実状をよく伝えていると思うのだ。

●海野十三と戦争


 日記の内容は、まず生活内容、どこそこに行ったとか誰と会ったとかの記述。それと空襲の規模や被害状況についての記述。そして何の値段が高くなったとかいった時勢についての記述。およそ書かれている内容はこの3種類だが、先に述べたように描写自体は割に丁寧に書かれていて、読んでいて面白みもある。
 興味深いのは昭和19年3月10日の大きめの空襲を境にして、戦争の先行きに対する見方が右肩下がりに転換すること。
 それまでは、何十機か来たアメリカ機の十数機を落としたとか、そのくらいのことでこっちが引くくらいにはしゃいでいる。「錐もみて墜つる敵機や暮の空」とか俳句をひねったりして、まあ戦後の今になってから論評するのも酷なんだけれども、暢気なもんですな。戦争の行く末に対してもすごく楽観的。小説でもそうなんだけれど、この人は戦争自体に対しては割にポジティブにとらえている。
 真珠湾攻撃の当時、純文学の作家でも「とにかくこれで進むべき方向が決まったのだ」として、それまでの膠着に近い外交状況が、敵味方とすっきり割り切れるものに変わったことを好感した人は多かったらしい。国としての進む方向についてその是非を問うことをやめるのはある種の思考停止だったが、それを糾弾することは本稿の目的とするものではない。ただ、そうした傾向は一般国民だけでなく知識層にまで及んでいたのだという事実を確認したい。
 そして、海野もそうしたとらえかたをしていると考えていいのではないだろうか。戦争という行為の正当性についてはこの日記でもあまり触れられていないし、当時に発表された軍事冒険小説の記述をそのまま海野の主張と同一視もできないが、それでも書かれたものから判断する限り、戦争の是非については、割に無邪気に大東亜共栄圏とか八紘一宇的なスローガンを受け入れていた印象を受ける。

 一方で勝敗の帰趨については記述が多い。「これからは飛行機による空爆に備えるべき」「原子爆弾の開発に成功した方が勝つんだ」といった科学的な予想自体は割に正鵠を射たものが多いんだけれども、それが国力差とか実際の日本の植民地の状況とかと結びつかずに遊離してしまった印象がある。まだ空襲が始まる前からいちはやく防空壕を掘ったり(ということは、早いうちから東京の空に米軍機がやってくるという危機的な事態を予想していたわけだ)と、先見の明は確かに持ち合わせていると考えるべきだろうが、しかし敗戦が決まると一家心中を図ろうとするなど、どうも敗戦という事態を深刻に予測しえていたとは考えにくい。
 しかし地下に潜って空爆を堪え忍べば戦争に勝てるかというとそういうものでもないだろう。あるいはベトナム戦争でのベトコンのような消耗戦に引きずり込む戦略を考えていたのかもしれないが、当時の日本の占領地の広さを考えると現実的な案とは言えないのではないだろうか。
 まあ、当時の大本営発表の弊害でもあるんだろうけれど、大岡昇平とか火野葦平とか、実際に従軍報道作家としてではなく兵士として戦地に行った作家と比べてしまうと、どうしても認識の甘さが目立つ部分かな。

 で、3月10日、それまでの偵察がてらにちょこちょこっと焼夷弾とかを落としていくみたいなのではない、本格的な空襲で浅草一帯が焼け野原になる。その様子を実際に現地で見てきたのが3月14日で、この日を境に日記の様相が変わる。
 もっとも、これで敗戦を覚悟するわけではなくて、「今は苦しいがやがて盛り返すだろう」みたいな、まだちょっと楽観的な見方をしていたらしい。
 最終的には広島に「新型爆弾」が落ちたというのを知った時点で、それが原爆であることを察知し、敗戦を覚悟して一家心中をひとたびは決意するというところまでいくわけだが、まあその様子をどう評価するかはともかく、このへんも割に一般の国民の受け止め方に近かったのではないかと思われる。
 当時の一般の人の日記、それも生活回りのことだけでなく、戦況に対しての認識を書いた日記を読む機会というのはほとんどないわけで、そういった意味では貴重な一冊だと言っていいのではないだろうか。
(2007.3.6)


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『海野十三戦争小説傑作集』
 (中公文庫
 2004年7月刊)

●軍事SFと海野十三


 海野十三には探偵小説作家の他に日本SF小説界の草分け的存在としての顔もあり、現在ではむしろ「日本SFの父」として言及されることが多い、というのは以前の『怪奇探偵小説名作選5 海野十三集』の書評でも書いた。
 また、その折にもちらりと触れたが、海野はまた、少年向けを主とした冒険小説なども手がけており、この方面でもファンが多い。松本零士氏が少年時代(だと思う)に海野のファンだったことから、『宇宙戦艦ヤマト』の沖田艦長の名前が「十三」になったというのは有名な話である。
 多ジャンルにわたって活躍する作家というのは、現代でも栗本薫氏や宮部みゆき氏などがいるし、外国に目を向ければアシモフやル・グィンといった例もある。
 ただ、こうした作家と海野の違いは、現代のジャンル横断的な作家が「ミステリもSFも冒険小説も好きなので書く」といったスタンスであることが多いのに対して、海野の場合は「本当はSFが書きたい。でもSFでは載せてくれる雑誌がないので探偵小説にしたり冒険小説にしたりする」といったスタンスだったことだろう。海野の場合、主軸はあくまでSFなのである。

 そう考えると、太平洋戦争当時、海野が軍事SF小説を量産したというのは肯けるところではないだろうか。
 戦争当時の小説というと、とかく軍部による抑圧や物資の不足によって小説が書けなくなっていった状況が問題とされることが多いが、実際のところ、太平洋戦争の初期段階あたりまでは、むしろ戦意高揚などを目的とした軍事小説などは新たなジャンルとして拡大していた。また軍部の抑圧についても、実際に検閲が厳しくなっていったのは昭和16年あたりを境に戦争も末期に入ってからで、それまではむしろ出版社などが自主的に規制をかけていたことの害の方が大きかった、と野口富士男らは証言している。いわゆる「バスに乗り遅れるな」というスローガンにしたがい、作家たちにしてもむしろ自主的に戦争協力へと寄り添っていった側面もあったわけだ。
 いずれにしても海野にしてみれば、公然とSFが書ける場ができたわけである。軍事小説・戦争小説といっても、純文学もあり、スパイ小説仕立てのものもあり冒険小説もあり、切り口は様々だ。しかし、海野の場合、戦争小説の代表作である「金博士シリーズ」をはじめ、多くはSFをからめたものだった。「新兵器」というフレーズが少年たちの心を躍らせるのは今も昔も変わりない。その新兵器にSF的なアイデアを盛り込めばいいわけである。
 そのことに気がついた海野は嬉々として執筆に取り組んだ、という想像は突飛すぎるものだろうか。しかしひとつの事実としてあげるならば、この時期、海野の作家としての作品量はぐんと増えているそうである。それがいかなる心性によるものだったかは本人に訊いてみなくてはわからないにしてもだ。

●それぞれの作品について


 本書に収められているのは昭和12年から19年にかけて発表された短編11編。掲載順に「空襲下の国境線」「東京要塞」「若き電信兵の最後」「のろのろ砲弾の驚異」「アドバルーンの秘密」「独本土上陸作戦」「今昔ばなし抱合兵団」「探偵西へ飛ぶ」「撃滅」「防空都市未来記」「諜報中継局」となっている。
 無国籍の天才兵器発明家、金博士が登場するのが「のろのろ砲弾の驚異」「独本土上陸作戦」「今昔ばなし抱合兵団」の3編。帆村荘六と風間女探偵という海野の生んだ2人の探偵が登場するのが「東京要塞」「アドバルーンの秘密」「探偵西へ飛ぶ」の3編である。もっとも、このころの両探偵は軍事スパイみたいなこともしていていささか興ざめ、という気もする。
 それぞれの作品が持っている意味合いについては編者でもある長山靖生氏が解説で述べているので僕としては詳述しない。長山氏も述べているように、科学的に彼我の戦力を比較しようとするスタンスが保たれているのは評価すべきところだろう。今日から見ると戦争協力的な部分が目につきやすいが、当時の小説をいくらか読んだ人間として言うなら、このていどは許容範囲、というより大衆小説としてはかなりスタンダードな姿勢だったと思う。
 もっとも、「諜報中継局」などの戦争協力的な筆致に日本の指導部層への批判を内包しているという長山氏の見方は、少し贔屓目が入っているようにも思う。この次に読んだ『海野十三敗戦日記』などから察するに、海野の場合、いわゆる大本営発表が戦果および被害状況を正確に報道していないことに対しての批判的スタンスは持ち合わせる一方で、最終的な勝敗とか日本の国情の是非といった大局的な部分では、海野はかなり後になるまで状況を見誤ったままだった、と僕は考える。もちろんそれは今日だから言えることで、当時はそれがスタンダードだったわけだが、そうした部分を見誤らなかった作家たちもいたのだ、ということは考えあわせていい部分だろう。「神国日本が負けるはずはない」などという妄信的な考えには至らない一方で、やや近視眼的な部分も持ち合わせていたという評価でいいのではないか。

 作品としてどれが優れているというのは一概に言えないが、やはり「東京要塞」や金博士シリーズのようなSF色を盛り込んだものの方が面白いと思う。「空襲下の国境線」「若き電信兵の最後」などはいかにも子供向けの「ユウカンナヘイタイサンノオハナシ」といった趣でオリジナリティに欠ける。
 面白いのは「今昔ばなし抱合兵団」や「防空都市未来記」で、繰り返し、空襲で地上は焼け野原になるので地下に都市を築いて持久戦をする、というアイディアを展開しているところだろう。木造建築の多い日本は空襲に弱い、というのは海野が繰り返し主張していたことらしいが、だから地下に逃げよう、という考え方には現実性はない。費用面とか食料はどうするんだとか、子供でも気づくような問題点も多いし。ただそれでもそういうアイディアを作品にしたというのは、作家として抱えているなにものかがあったんだろう、というのは想像できる。
 長山氏の解説によれば「紀田順一郎氏は海野の空襲小説に神経症的傾向を認めている」のだそうだが、納得のできる話だと思う。もっとも単純に「神経症的傾向」と言ってしまうと言葉が足りないような気もするが、でも他にいい言葉も見あたらないしなあ。とにかく、海野が「戦争」という状況に対して感じている不安感みたいなものが「空襲の恐怖」に集約されているというのは確かな点だと思う。そういうところが面白い。
(2007.2.14)


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怪奇探偵小説名作選5
海野十三集
三人の双生児

 (ちくま文庫
 2001年6月刊)

●マイナーメジャー


 いわゆるマイナーメジャーとでも言うのか、一般にはそれほど広く人口に膾炙している作家ではない割に、細かいジャンルの中では高い知名度を誇る作家というのがいる。この海野十三もその一人だと言っていいだろう。探偵小説・SF小説のファンの間では名高い作家だが、とりわけ「日本SFの父」という呼び名が端的に示すように、戦前からSFに取り組んだ作家としての評価が高い。「宇宙戦艦ヤマト」の沖田十三艦長の名前はこの作家からとられたという説もあるそうで、そのあたりからも影響力がうかがえるというものだが、もっとも今回読んだのはSFではなくて短編探偵小説集だったりする。
 「怪奇探偵小説傑作選」としてちくま文庫からリリースされたもので、前に姉妹シリーズの「怪奇探偵小説名作選」に入っている佐藤春夫集とか小栗虫太郎集のは読んだけど、まあ、それとほぼ同じく、現代ではなかなか読めない昔の探偵小説を掘り起こしてまとめようという趣旨の1冊。ちなみに「傑作選」が最初に編まれて好評を博し、後になって「名作選」が作られたらしい。

 しかしこの本が出るまではなかなか触れることが難しかったようなマイナーメジャーとは言え、海野の知名度は高い。
 Googleで「海野十三」を検索してみると82100件とかヒットして、これはなんていうかマイナーメジャーとしちゃ結構すごい数字であります。一般的には知られてないけどそのジャンルが好きなら知ってないと恥、みたいな作家(よく考えなくても失礼なくくりだけど、まあ、僕個人の主観ってことで、失礼なのは僕個人であります)を任意にセレクトして検索してみると、龍膽寺雄で701件、牧野信一で31600件、現代にきて佐藤亜紀で78000件。
 純文学系じゃあ全然太刀打ちできない感じ。じゃあ大衆小説で、ということで白井喬二では23400件、押川春浪で22100件、ファンの多そうな探偵小説の仲間でも小酒井不木で33800件、久生十蘭で55000件、木々高太郎で33300件。
 岡本綺堂になるとさすがに135000件という数字になってきますが、ここまでくるともうマイナーメジャーとは言えないでしょう。大メジャーだ。
 別にGoogleのヒット数イコール知名度ってもんでもないですが、それは承知で海野の82100件という数字はなかなかすごいヒット数だと言っていいと思う。
 何がこのヒット数になってるかって言うと、あれでしょうね。探偵小説・SF小説・冒険小説と、戦前の大衆小説界の多ジャンルで活躍しているということ。だから、言及される機会が多いんだと思う。SFファンが言及し、推理小説ファンが言及し、というので、色々と足しあわせた数字が8万件になってるんじゃないかと。マイナーメジャーだと思ってるのは僕だけで実は超メジャーだ、というこっぱずかしいパターンはないと思う。実際、この人の作品が読める場というのがほとんどない、というのでこの短編集が出たわけだから。

●科学と変格 -「爬虫館事件」-


 僕自身、この人の作品を読んだのはこれが初めてになる。ざっと読んでの感想としては、ファンの人から顰蹙を買うことは承知の上で言うなら、探偵小説としては可もなく不可もなくといったところ。
 黎明期の探偵小説の雰囲気をよく伝えているとは思うものの、逆に言えば現代の水準と照らしてどうか、となると弱いわけで。
 また、当時の小説としても、いわゆる大衆読み物のレベルを抜け出るようなものはなかったように思う。乱歩とかに感じるような業の深さみたいなものは感じなかった。もっとも、それゆえに愛好者が多いというのは頷けるところで、ほら、あれだ、ブリキのおもちゃとかに人気が集まったりするようなもんじゃないかと。だから、凄みはなくてもこれが琴線に触れるんだよ、という読者はそれなりにいるものだろう。僕はそうではなかったが、というそれだけのことだ。

 傾向としては、「私の推理小説は、文学の衣装を着た科学である」という本人の言が示すとおり、トリックに科学的な知識が使われているものが多く、読者が謎解きを試みようとするのであれば、読者の側にも相応の知識が必要となる。
 小説内で登場した情報のみで謎解きが可能であるのが本格の条件である、という定説に従うなら、そうした意味ではこの人の探偵小説は基本的に変格であるということになろう。もっとも、デビュー作である「電機風呂の怪死事件」や表題作になっている「三人の双生児」など、本格としても読みごたえのあるものもあり、変化球一本槍だけではない懐の広さはうかがえる。
 探偵小説としての完成度とこの作家らしい個性が十分発揮されたものとして、本書所載のものでは一番に押したいのが「爬虫館事件」。
 動物園の爬虫類館を舞台にした殺人事件を扱った短編で、ページ数としては短いながら、死体の隠蔽、アリバイ崩し、犯人のフリーキーな性格造形、周到な伏線と趣向が盛りだくさんで、科学知識を用いたトリックと本格としての構成が見事に融合されている作品だと思う。
 全般に、本書に収められているもののなかでも「振動魔」「赤外線男」などの変格ものの場合、キモの部分が科学知識だから、トリックに用いるアイディアひとつで1本の作品に仕立てているものが多い。こういうものは、そのアイディアをぬきとっちゃうと作品として成立しないわけで、構成としては単純なものであると言ってよかろう。そこをまぬがれているのが「爬虫館」で、このレベルのものが量産できるようだと、もっと違った高い扱いを現代でもうけていたかもしれない。

●日本SFの黎明


 海野はもともとが科学者ということもあり、本来はSFを書きたいと思っていたらしい。とはいえ、当時の日本ではSFを発表する媒体の受け皿がなく、しょうがなしに探偵小説を書き、その中で科学的なトリックを扱ったものを発表するようになった、といったいきさつがあるそうな。筆名が高まるにつれてSFも発表できるようになり、その流れで冒険小説も書いたということらしい。
 そうして紡がれていった作品群にはロボットや宇宙船、地下都市、人工臓器といったまさしくSF的なギミックが数多く描かれた。「日本SFの父」とも呼ばれる所以だが、だからこの人の場合、本領はSFの方にあるわけだろう。本書でも、ほぼSFと言っていいだろう「蠅」「不思議なる空間断層」などが収められていて、乱歩の怪奇小説あたりとも似通った雰囲気があり、これも面白い。
 なお、「爬虫館事件」などには帆村荘六という名探偵が登場する。シャーロック・ホームズの名前をもじったものだそうで、海野の生み出した名探偵としては、この帆村と、風間しのぶという女流探偵が有名らしい。名探偵もののはしりのひとつと言っていいと思うが、短編が主ということもあってか、残念ながらキャラクターとしての魅力には乏しいような印象を受けた。変装しての内偵が得意だったりと、捜査方法にはクセがあり、そこは魅力的なのだが、人格的な部分で描きこみが不足していて、「探偵役」という以上のキャラクターにはなっていないように感じられる。
(2007.1.6)


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海野十三

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