上田浩二



『ウィーン -「よそもの」がつくった都市』
 (ちくま新書
 1997年3月刊)
 んー、正直言って、楽しくなかったぞ。
 これがどういう本なのかというと、ちくま新書から出ているウィーンについてのガイドブックなのだが、これが本当にただのウィーンの歴史のガイドブックにしかなりえていないのがつらい。都市ガイドは、たしかに都市のガイドブックでなくてはならないが、そこに著者の立場やスタンス、視座というものが加わって初めて、面白いものになる。それは多分、単にガイドブックを作ろう、という視点とは、またちょっと違った視点からのアプローチなのだ。
 それはつまり、都市をどのように読むか、という問題なのだと思う。

 少し前に、田中充子の『プラハを歩く』というのを読んだ。田中充子さんは建築史家で、自然と、プラハを建築史の立場から解体し、読んでいく。
 確かに、その課程の中で、素人にはついていきづらいような隘路にまで、解体が及ぶことはあったし、それについては僕も、わかりづらい箇所もある、と述べた。が、そうした細かい部分までの腑分けの作業は、それが文章として示されるかどうかは別として、著者がひとつの都市を自分のスタンスから読んでいくという行為の中では必要なものだと思うし、それがあってこそ初めて、誰にでもは書けない内容が書けるってもんじゃないだろうか。
 古都ウィーン、伝統の都ウィーン。
 本書は、実はその伝統のほとんどが、それこそプラハから、トルコから、あるいはイタリアからやってきた「よそもの」によって作られたものであることを主張し、ローマ帝国の古代から20世紀まで、ウィーンの歴史を、「よそもの」との関わりから振り返っていく。
 しかし、その振り返り方が、あくまで概括的なものにとどまっているがために、これがただの歴史ガイドブックになってしまっていると、僕は思う。

 本書の著者である上田浩二さんは、多分、真面目な人なんだろうなと思う。
 たしかに、あまりに著者の興味が出すぎて、記述される時代が恣意的に選ばれてしまっては、本書が主張したい内容が、十分に読者に納得されないだろう。
 それを避けるため、内容がやや浅くなっても、概括的に歴史を並べていく方法をとったのだと思うし、それはそれで、一応、納得のできる話ではある。
 しかし、その結果として主張されることが、「ほーら、こんなによそものが」というだけのことだったら、それはすでに本書が冒頭から主張していることの繰り返しに過ぎない。
 そうではなくて、それをする過程で、副次的に出てくる著者の興味の焦点となっているような部分こそが、都市ガイドの面白さではないだろうか。それを省くことで、より丁寧になるように気を配ったのだろうとはおもうのだが、それは結果的に、本書の食いたりなさとなって疵を残す結果となってしまった。
 たとえば、もうちょっと列伝的に、何人かの「よそもの」をクローズアップするといった方法がとられれば、ガイドとしての正確さはそのまま、もう少し娯楽性が高くなったのでは、という気がする。
(2003.5.18)


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上田浩二

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