福田和也



『悪の読書術』
 (講談社現代新書
 2003年10月刊)

●批評家の仕事


 福田和也氏には裏表両面がある。裏表と言って聞こえが悪いようであればA面B面と言ってもいい。
 師匠である江藤淳氏の衣鉢を継ぎ、小林秀雄から始まった文芸評論家の正統に連なることを嘱望され、また本人もそれを望んでいるのであろう福田氏にとって、『奇妙な廃墟』や『甘美な人生』などの仕事がA面なのだろう。ではB面はと言うと、「SPA!」とか「ダ・ヴィンチ」などでの連載などである。そして「スタイル」での連載記事をまとめたものだという本書もまた、B面の福田和也だ。
 ちなみに、『作家の値うち』はギリギリA面だと思うが、B面の要素も多分にある。何をしてA面だB面だと言っているのかは、後で述べる。

 「悪の読書術」とは何か。
 本を読んでその内容を楽しんだり、あるいはそこからなにかを得ようとする、言ってしまえば自己完結するのが普通の読書であるとするならば、「悪の読書術」とは、それを読んでいるということ自体をステイタスとして活用し、社交術の一部としよう、という読書だと言う。厳密にはそれだけではないのだが、そこが主眼だと言っていい。
 ある本を読む、ということが、他者と自分と本という関係の中でどのような意味を持つのか、と言い換えてもいいが、余計にわかりづらくなってしまっただけのような気もするので具体例をあげよう。
 『声に出して読みたい日本語』などという本を読んでいると、他の人からアホやと思われてもしゃあないでっせ、ということなのである、つまりは。
 もちろん、その本のよしあしとも、ましてその人がその本から何を受け取るかということともまったくの別問題なのだ。しかし、ある本を読んでいる/いないということ自体が、社会的に意味を持ちうることは十分にあるわけで、そのことを意識して本を選ぶべきではないか、と福田氏は言っている。
 ここで重要なのは「選ぶべきではないか」というのは問いかけでも問題提起でもなく、「選ぶべきだ(少なくともそうしない場合に他人にどう思われてもそれは個人の責任だ)」という結論がまずあるのだということだ。そしてそれをして読者を教化しようとしている。つまりは、これは啓蒙書なのである。
 実はこれが福田和也氏のB面で、みずから評論という俎の上に乗って、ある作品ないし作家ないし事象に対して読みを提示し、もって「俺はこう読む」ということを宣言する、批評家としてのA面の仕事をこなしつつ、福田氏は驚くほどたくさん、啓蒙書と言っていい本を書いている。『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』なんてのはまさにそのものズバリだろう。
 啓蒙書なので、批評家としての福田和也氏を考える上で、この手の仕事はバッサリ切り捨てて考えてもほぼ問題ないのだが、それもまた批評家としての重要な仕事である、と福田氏が考えているというのは疑いないだろうし、重要な点だと思う。

●啓蒙される読者


 前述の通り、この本は「スタイル」という女性向け雑誌での連載をまとめたものだ。
 で、僕はこの雑誌のことをよく知らないので、読者がどのていど自覚的なのか、というのがよくわからんのですがね。わからんのですが、この雑誌の読者は福田氏にかなり小馬鹿にされているという印象を受けました。

 けれども、ここが難しいところですが、では、「外出」用の本は、面白さとか理解と無縁でいいかといえば無論そうではなく、やはり読み手が書物とある程度の強い関係をもっていないと、分不相応の鞄をもっているいかがわしいお嬢さんたちと同じ雰囲気をかもしだすことになってしまうのです。
(p.27)

 かなりわかりやすい箇所を選んだので、どう小馬鹿にされているかわかる人が多いと思うけど、一応解説します。
 この文章のポイントは2箇所あって、ひとつは「やはり読み手が書物とある程度の強い関係をもっていないと」という部分。読み手と書物との関係にはあるていどの結びつきが必要である。結びつき、と言って弱ければ、「必然性」とか、「その書物を引き受けるに足る胆力が読者に必要である」とか言い換えてもいい。
 これが一応の要旨なのだが、もうひとつのポイントは「分不相応の鞄をもっているいかがわしいお嬢さんたちと同じ雰囲気をかもしだすことになってしまう」という箇所。
 つまり、「あなた(読者)は、いかがわしいお嬢さんではないでしょう?」と、くすぐりを入れてるわけで、この手のくすぐりが、本書を読んでいると非常に頻繁に出てくる。
 これはもう雑誌のカラーに合わせたくすぐり以外のなにものでもないですね。

 「スタイル」という雑誌は、20代後半以上の女性をターゲットにした雑誌のようで、ということはつまり、いつまでも若ぶっていられない、そろそろ大人の女性として、あるていどの教養も上品さも身につけたい、という女性が読んでいるわけだ。もちろん、自分自身のいまの社会的なクラスや、目指したいクラスについてもかなり意識的であることが予想され、福田氏の文章ももっぱらそこにそこに照準を合わせてる。
 たとえば第1章第1項の小見出しは「須賀敦子はなぜアッパーか」だけれど、須賀敦子氏という一般的とはおよそ言いがたい固有名詞に対して、いきなり小見出しにはアッパーなものとしてブチあげているくせに、その説明はなかなかしない。というか須賀敦子氏自体がなかなか出てこない。
 延々と、どんな本を読むか、ということは社会的に見て階層を規定するのに重要な意義があるし、あるべきだ、てな話をしたのち、ほとんど唐突に「須賀敦子はけしてソワレ向きというようなものではなく、服装で言うなら品のいいコンサバなワンピースだ」と言う。

 なぜ、須賀敦子がコンサバなワンピースなのか。もちろん著者が戦前の東京のインテリ家庭に育ち、一九五〇年代からヨーロッパに渡り、その後ほとんどの時間を文学研究者として現地で過ごしてきたというプロフィールが、まずハイブラウなのです。
(p.25)


 そしてようやく出てきた著者紹介がこれ。「もちろん著者が東京のインテリ家庭云々」の「もちろん」で、「このていどのことは知っとるよな?」と挑発しているわけだけど、その割に略歴についてはかなりしっかりと紹介していて、須賀敦子氏を読者が知らなくても問題ないように書いてある。たぶん、福田氏にしても読者が須賀敦子氏を知っているとは思っていないんでしょう。中には知っている人もいるかもしれないけれど、一般的な知名度と照らしてみても、その割合はけして高くはないだろうと僕も思うし、福田氏もおそらくそう思っている。
 本当に知っていることを前提にして書けると思っているのなら「もちろん著者のプロフィール自体がまずハイブラウなのです」とだけ書けばいいわけだから。
 でもそうは書かない。そこまで突きはなしてしまうと、昨今の読者は自分で調べることをしないから、この文章自体を読んでくれなくなってしまう、という判断があるんでしょう。
 かわりに「もちろん」と言いつつしっかり著者紹介をすることで、「アッパークラスを志すならこのくらいは知っていて当たり前だよ」というメッセージを繰り込んでいる。

 僕はこれを、読者を小馬鹿にしている、と読んでしまうけれども、あるいはそれは僕の僻目なのかも知れない。
 これが啓蒙書である以上、著者は読者よりも上位に立たなくてはならないし、その力関係を明確に読者に意識させるという意味ではこれは有効な戦略ではあるだろう。なんだかんだと言いつつも大学教員をしている人らしい手練手管とも言えるかもしれない。
 それともうひとつあるのは、この雑誌の読者がアッパークラス志向な女性だとすると、そういう女性というのは、必然的に自分がいま属している階級というものにも鋭敏であらざるをえないし、ということはこの手の挑発やくすぐりに対しても、これが挑発でありくすぐりであるということを意識してしまうものなのではないのか、という疑問です。
 もしそうだとすると、こうした挑発やくすぐりというのは、素直にそれによって向学心を燃え立たせる効果を発揮してくれるとは思えない。かわりに、それが見破られることもすべて計算に繰り込み済みで、福田氏も読者もそうした関係性を楽しんでいる、ということなのかもしれない。
 まあ、いずれにしても、僕は読者と作家が語り手と聞き手という以外に関係性を結ぶというのは、本にとってはいびつな形であるのではないかと思うので、やっぱりこれは読者が小馬鹿にされているということなんじゃないかと思えてしまうのだけど。
(2006.3.26)


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『奇妙な廃墟』
 (ちくま学芸文庫
 2002年8月刊
 原著刊行1989年12月)

●批評家の言葉とイデオロギー


 イデオロギーにまつわる話をするとき、あるいは聴くときに、ひとつおぼえておくといい指標がある。
 それは、「自分は(自分の意見は)普通だ」と言う人間は、右翼的左翼的を問わず信じてはいけない、ということで、僕はこの十年来、それに類する言葉が出てくると、何はともあれ眉に唾をつけて話を聞くようにしている。
 人間、何でもないときに「僕の言っていることは普通だ」とは言わないもので、もし明日職場で、開口一番「僕は普通だ」と宣言する人間がいたら、たいていの場合、その人は精神のバランスを崩していると思った方がいい。じゃあ、どういうときに人は「普通だ」と主張するのか。それはつまり、自分が言っていることが平衡を欠いていると、実は自分で認識しているときだ。加えて言うなら、「普通」であることが意見の正当性を保証していると考えている人、簡単に言えば「普通」であることが偉いと思っている人ほど、こうした言葉を吐きやすい。
 言うまでもなく、「普通」であることは、その言葉の正当性、論理的妥当性を保証しない。「論理的に普通に考えればこうなるはず」との意味合いが込められていることもあるが、こちらとしてはどっちでも同じであって、そんな言葉しか吐けない人間の言うことなど信ずるに値しないとしか答えようがない。
 福田和也はどうなのだろう?
 福田和也氏は、批評家として自分の言葉で語ることを過剰に重視するタイプだと思う。それはたとえば、『江藤淳という人』に収められている次のような文章を参照するとわかる。

 要するに何が批評家であるかないかを分けるのかというと、その論じる対象自体の善し悪しだけではなくて、自からの判断基準、価値観を自分でつくれる人が批評家であるということです。ですから、文芸時評にしても、読者にこの本は読んだ方がいいですよという情報を与えるだけではなくて、読者が日常生活の中で疑問を持たないでいるようなことについて思考させることです。思考の経験を与えるということが批評だと思います。
(『江藤淳という人』p.20〜21「慶應義塾と批評家」より)


 もう少し抽象的にこれを表現するなら、『甘美な人生』の冒頭にある「批評私観」で述べられているような、累々たる屍の中にそれでもなお浮かび上がろうとする生きることの意味や美しさこそが批評である、という言葉になるだろうか。
 あるいは、その『甘美な人生』以降での、ほとんど註釈をもうけないスタイルや、あるいはそれと平行してもちいられているほぼまったくと言っていいほど他人の批評に依拠しない(特に研究論文についてはほぼ完全に黙殺する)方法論こそが、その実践と言えるかもしれない。
 他人に頼らないばかりが正しい批評でもないだろうという思いもないではないが、それはそれとして、「普通」であることをスケープゴートにしない点については気概を認めるべきところだろう。

 で、本書である。本書は、第二次大戦前夜から大戦中にかけてのフランスで、ドイツナチズムに協力したとされる、いわゆるコラボ作家を中心にした評伝であり、研究論文だ。評伝なのか研究論文なのかは微妙なところで、福田氏自身、「文庫版あとがき」の中で「書いていた時に、評論と考えていたのか、論文と考えていたのかは、よく覚えていません。おそらく、どちらとも考えてはいなくて、ただ、書けるように書いたというだけでしょう。」と言う。ただし、これが福田氏が大学院修士課程に在籍する中で構想されて書きはじめられ、そしてその執筆過程のなかで「アカデミズムでのキャリアを執筆の途中で断念というより放棄してしまった」という成立過程を持っていることはたしかで、その限りにおいて、当初は研究論文という意識のもとで書きはじめられたものであることは疑えない。
 ただし、途中からだと思うが、そこに評伝的な要素が色濃くなってくることも確かで、それはたとえばピエール・ドリュ・ラ・ロシェルについて書かれた小説『ジル』の次のような一節にあらわれている。

 (中略)死んだ戦友の母親を、礼金ほしさに戦場へ案内してまわるという散文的な設定のなかで、突然よみがえる戦闘中の高揚の記憶という構成は、まさしく小説家としての手堅い手腕を示すとともに、戦争や高揚の賛美におちいることなく、その魔力にとり憑かれて打ちのめされたままでいることへの執着によってしか示されえない誠実さという、いわば小説的な真実の開示に成功している。
(p.294「第四章 ピエール・ドリュ・ラ・ロシェル●放蕩としてのファシズム」より)


 わかったようでよくわからない、いかにも福田氏的なこの一文は、しかしまぎれもなく『ジル』という小説への価値判断をはらんでいる。そしてその判断をしているのは福田氏自身であり、書き手自身がみずからの価値判断で筆を進めるという研究論文では本来見られないはずの行為は、これが評伝の領域での仕事であるという福田氏の意識がそこに発生していることを証明している。
 そこに、大学院を修士課程修了で卒業し(つまりドクターコースに進まずに)、批評家として生きていこうとした若き日の福田氏の覚悟を透かし見てみたい気がする。

●反ヒューマニズムの系譜としてのナチス協力作家群


 先にも述べたとおり、本書が扱っているのは、フランスのナチ協力作家を中心とした作家たちだ。中心とした、という言い方をするのは、大戦前夜よりも時代のさかのぼるアルチュール・ド・ゴビノーやモーリス・バレスといった作家についても前史としてそれぞれに1章ずつを割いているからである。
 こうした、福田氏自身の言葉を借りるなら「呪われた作家」について評伝を書こうとすることの意義や、執筆当時の時代状況などについては、「解説」で柄谷行人氏が詳しく語っており、特にそれに付け加えるべき言葉があると思わない。
 ただ、こうした「呪われた作家」たちを、「コラボラトゥール(ナチ協力作家)」という言葉によって呼ぶとき、そこには言外に彼らをナチズム前後の時期に特有の、特殊な作家であると規定してしまうような精神の働きがあり、福田氏としては、それに異議を唱えるべくゴビノー、バレスを前史として取り上げているのだと指摘しておきたい。
 つまり福田氏によれば、彼らは、ファシズムやナチズム(こうした、今日では十把一絡げにされる当時の国家社会主義の違いもまた、本書では重要になってくる)によって感化されてしまったのではないのだ。そうではなく、19世紀以降、というよりも産業革命ののちに勃興したヒューマニズムに対して、それに異議を唱えた作家たちがおり、コラボ作家たちはむしろ、そちらのアンチ・ヒューマニズムの系譜に連なっているのだ、という主張である。

 ヒューマニズムという言葉が生まれたのは19世紀の初頭であり、それは当初、産業革命によって実用的知識一辺倒になってしまった当時の高等教育を、古代ギリシャ的な人格形成教育に回帰させようというものだった。それがルネサンス文化の再評価という風潮と相まって広がっていったわけだが、その過程において、「ヒューマニズム」という言葉の意味合いが人道主義・博愛主義といった方向に大きく振れていくことになる。
 こうした意味合いでのヒューマニズムには、「正しい人間のあり方」というものがどこかにあり、人間はすべからくその範疇の中において生きるべきだ、という前提が密かに存在している。それは要するに、その埒外で生きる者・生きざるをえない者の排除あるいは修正と踵を接する態度であり、そうした西欧中心的あるいは人間中心的イデオロギーを生み出す温床でもある。
 反ヒューマニズムの系譜としては、ニーチェにはじまり、ハイデガーを経て、レヴィ=ストロースあるいはフーコーへと連なる流れがある。
 だがその一方において、反ヒューマニズムが「国家」「民族」といった概念と結びついていくとき、その流れの中から人種主義(彼らと我々は「同じ」ではない)、反ユダヤ主義が生まれ、ヒューマニズムを根底から覆すための社会の崩壊を望んだ者たちもいた。それが本書で取り上げられるゴビノーであり、バレス、モーラスである。

 本書が主張することの第二は、モーラスやロシェルらののち、明確にナチスドイツに接近、協力し、あまつさえホロコーストを支持しさえしたブラジヤック、ルバテといった世代がいたとして、彼らが政治的になしたことには一片の弁護の言葉さえないとしても、しかしそうしたふるまいもまた、狂気や一時的な過誤ではなく、あくまで人間が理性に基づいた判断においてなし得ることとしてしっかりと見据えることが必要なのではないか、ということだ。
 それでもなお、人間に希望を見いだしうるのか、という問いが、その主張の延長線上には存在している。

●それは文芸評論であったのか


 しかし、本書を読んでみると、現在の「パンク右翼」としての福田氏の振るまいが、本書に取り上げられている作家から大きな影響を受けてのものであることに気づかされる。具体的にこういうところが、と指摘できればいいのだろうが、むしろトータルな印象として、ここに取り上げられている作家たちを戯画的に真似ているうちに「パンク右翼」が出来上がっていた、というような印象を受ける。違いとしては、福田氏は彼らのように、実際に政治の現場に出て行かないという点だろうか。ここらへんに、何というか福田氏の企みのようなものがある気もする。純粋に言論上の戯れ(と言って悪ければ試行あるいは放蕩)として右翼的な言辞がもちいられているような雰囲気がある。
 だが、彼らの政治的な言動を福田氏が真似ているかどうかはさておき、福田氏が最初に彼らと出会ったのは、紛れもなく文芸作品を通してのことだったはずだ。何しろ、彼らの政治的な言動は、戦後、静かに葬られ、ほとんど無かったことにさえされようとしていたのだから、出会いのとば口がそちら側だったということはありえないだろう。
 なぜそんなことをわざわざここで書いているかというと、本書において、コラボ作家たちの文芸作品自体が取り上げられている箇所というのが非常に少ないからだ。「評論と考えていたのか、論文と考えていたのかは、よく覚えて」いないという福田氏自身の言葉にもかかわらず、僕がここで「評論」という言葉を使わず、頑固に「評伝」と書き続けてきたのは、まさにそれが理由である。
 つまり、彼らのような作家と出会ってから本書の執筆に及ぶまでに、何か興味の働いている力点の移動があったのではないかという推測が可能ではないかと思うのだ。

 本書に不満点があるとすればまさにそこで、先に引用した『ジル』についての批評をしているような箇所も所々にあるにせよ、全体としてはそうした箇所はむしろ少ない。これは読みようによっては、「ファシズム・ナチズムに荷担した作家」についての本と言うよりも「小説も書いたファシズム・ナチズム系言論人」についての本として読めてしまう危険性があることを意味している。
 無論、そうした体裁は、意図的に選び取られたものだ。だが、現代において決してメジャーではない、むしろアンダーグラウンド・メジャーとも呼べる作家群を取り上げるに際して、それはちょっと不親切だろうという気はする。
 少なくともこうした作家たちの遺した作品について、それが文芸としてハイレベルなものであることは、何らかの形で読者に納得させなくてはならない(でないと彼らの文芸と政治との間の「分裂」が見えず、ということは、一見「分裂」に見える部分が実は地続きであるという本書の主張もまた生きてこないのだから)わけで、その価値判断が、作品についての説明が少ないがゆえに、事実上、福田氏に一任されているような状況というのは、決して好ましいものではないと思う。何故にその作品が優れているのか、と言った点にもっと筆を割いてもよかったのではないか。

●文学の勝利、あるいはそれを「文学の勝利」と呼ぶこと


 福田氏が彼らに魅せられているのは、読んでいればわかる。
 問題は彼らのどこに魅せられているのか、という点で、ナチスへのアンガージュマンや、ホロコーストへの荷担と言った部分については、慎重に罪は罪として認めなくてはならない旨が明言されてもいる。時代状況などもあったにせよ、このコラボ作家たちが出口のない隘路へと突き進んで行ってしまったことは事実であり、それは否定できるものではない。
 作品に魅せられた、というのはもちろんひとつの正解だろう。
 だが、先に挙げた作品そのものへの言及の少なさ、つまりこれが評伝的な書き方をなされていることを考え合わせると、福田氏の興味の力点は作品そのものから、他に移っているという想定ができる。これが評伝でもあるとするならば、彼らの生き方のなかの、福田氏の定義する批評家としての正しさに魅せられた、と言うのもまたひとつの正解であろうと思えてくるのである。
 たとえば、戦後になってナチスへのアンガージュマンの罪に問われ、死罪となったブラジヤックが、ただ死を待つ獄中においてそれでも人生を称え世界との親和を願う詩を作り続けたことについての、次の一文を見よう。

 ブラジヤックの詩を悲劇的に捉えるか、また当然の報いと捉えるかは、これらの詩の前ではあまり意味がない。ブラジヤックはとにかく、文学者として仮借なく生き、そして忌まわしい党派にくみし、そして敵の手に落ちて殺された。そのアンガージュマンをどのように評価するにしろ、またその死にいかなる意味あいを重ねても、ただ明白に刻一刻と逃れようのない死が迫ってくるのを自覚し、それを認識しながらなお詩作に取り組み、詩作の意志を死に対して明晰なものに保ちつづけることは、明らかに文学の勝利である。
(p.410 「第五章 ロベール・ブラジヤック●粛清された詩人」より)


 ここには、死刑の現場に臨み突きつけられた銃口を前にしてさえ、「勇気!」の一語を辞世の叫びとして死んでいったブラジヤックの、その「たじろがないこと」への賛美と憧れがこめられている。その「文学の勝利」への賛美の言葉は、それがどのように文学の勝利であるのかの説明としてこのあと1ページあまりにわたって続く。
 ここで「敵」と書かれているのが、パリをナチスドイツから解放したドゴール臨時政府に他ならないことに注意したい。
 もちろんナチスに与したブラジヤックにとっては、ドゴール臨時政府と、そこに象徴されるヒューマニズム的なものあるいはパリ市民は、「敵」にほかならなかったであろうが、いかにブラジヤック自身に仮託してこの一文が書かれていると言っても、ここで「敵」という言葉を選んでいるのは福田氏自身である。そこに福田氏の立脚している場所を見たい。
 このようなブラジヤックの「文学の勝利」とは、つまり「累々たる屍の中にそれでもなお浮かび上がろうとする生きることの意味や美しさ」ではないだろうか。それは批評家である福田氏が見いだしたブラジヤックなりの「自からの判断基準、価値観を自分でつくれる人」の姿である。
 もっとも、死を待つ獄中でたじろがずに作品を書き続けることだけが文学の勝利であり正しさなのかというと、僕はそうとも思わないし、人によってはそれを夜郎自大とも呼ぶであろうと思うけれども。

 ところでこうした「文学の勝利」というのは、実は右翼的な思想とか傾向とは実は相容れない。
 右翼にも色々あるとは思うが、おおよそにおいてそれは、国とか共同体への帰属、あるいは旧来的な価値観やイデオローグの保持・回帰を旨とする。後者の項を「ヒューマニズム」に変換すれば場所がくるりと入れ替わって、敵であったドゴール政府が味方になる仕組みだ。
 でも、ここで福田氏が称揚しているのは、そのどちらでもない、ひたすら個人が自分自身の足で立ち続けるというあり方だったはずではないのか。前者は認めるが後者は認めないというのでは、それはただの詭弁でしかない。
 「解説」で柄谷行人氏の言う「福田氏が考えていることを理解できるのは私のような人間であって、いわゆる保守派の人たちではないという確信」というのは、多分、ここらへんのことを指している。
(2005.8.20)


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『江藤淳という人』
 (新潮社
 2000年6月刊)

●江藤淳、最後の文芸評論家


 江藤淳が自裁したのは、1999年7月21日のことだった。
 本書はその江藤淳氏の弟子である福田和也氏が江藤氏について書いた評論を集めて編んだもので、刊行は江藤氏の自裁からおよそ1年後の2000年6月。僕が持っているのは7月に出た3刷目であり、およそ1ヶ月のあいだに3刷というのは、新潮社という宣伝力のある大出版社から出たものとはいえ、文芸評論書としちゃほとんど異例のハイペースである。
 最初の部数が少なすぎたのかもしれないが、まあそれにしたってかなり売れたんであろうなあと推測せざるをえない。福田氏はこういう売れた売れないの推測を汚い低劣なものと言うかもしれないが、一介の本読みに汚いも低劣も知ったことではない。
 福田和也氏のネームバリューももちろんあるにせよ、この売れ行きはむしろ、江藤淳氏が日本の読書界で占めていたポジションの大きさを物語るものに他ならないだろう。僕としてもいまもって、大文字での文芸批評家としては江藤淳氏を最後の一人と考えている。
 何より、小林秀雄に『ドストエフスキイの生活』『私小説論』『本居宣長』があるように、中村光夫に『風俗小説論』があるように、荒正人に『第二の青春』があるように、平野謙に『芸術と実生活』『昭和文学史』があるように、江藤淳氏には『小林秀雄』『漱石とその時代』があるのだ。これは強い。
 まあ、最後の一人かどうかということになると、実は2001年に亡くなった『「戦争と平和」論』の本多秋五氏もいるけど、時代的には江藤氏の方がどうしても後だと思う。ちなみに、吉本隆明氏とか柄谷行人氏とかについては、まあ、ちょっと「文芸評論家」というくくりではないかなあと。

●福田和也いい奴説


 本書を読むのは、実はこれが2度目、再読だ。つっても、最初のうちは再読だということに気づかずに読んでいた。いや、帯もついたままだったし、付箋もつけてなかったので、つい。
 初読は、たしか割に買ってきてすぐだったと思う。ということは2000年の年内くらいだろう。当時は僕もまだそれなりに買ってくる本の量と読む本の量が釣り合っていて、うまくサイクルしていたのである。あらびっくり。
 しかし、僕の書棚の既読未読サイクルはともかく、けっこう早いうちにこの本を手に取ったというのは、なんだかんだ言って僕にしても、江藤氏の自裁という事態に、「うーむ、そーかー…」という一種の感慨というかショックというかみたいなものを受けていたからに他ならない。まあそんなに真面目にその意味だとかを考えていたわけではないけど。
 そして江藤氏の自裁から6年が過ぎ、色々と突きはなした読み方ができるようになってこれを再読し、改めて感じたのは、「福田和也っていい奴だよなあ」ということだった。

 本書の中には、江藤氏が生前に福田氏と「小林秀雄の不在」というテーマでおこなった対談も収録されているので、これを読んでみると非常にわかりやすいと思う。
 福田氏は非常に真面目に、小林がどうやって批評を獲得していったか、みたいなことをベンヤミンとかガダマーを引きながら語っているのだが、重要な示唆はやっぱり、江藤淳氏の方から出てくることのほうが多い。それも福田氏のように1・2・3・4と順に積み重ねて5が出てくるんじゃなくて、1があって、いきなり4あたりに飛んで5が出てくる。
 比喩的に表現してしまうのはまずいのかもしれないが、真面目な院生が先生と話をしていて、生徒の方も頑張って話を広げようとするのだけれども、どうしても先生の方が重要なところをとってしまうといった印象だ。
 年齢とか批評家としての経験の差ということもあると思うし、実際に師弟関係にあるのだからそういう関係性がここに出ているのかもしれない。
 けれどもそれ以上に、福田氏の言葉には江藤氏の言葉が持っているアクロバティックなところが欠けている、という印象を僕は受けてしまう。それは心とか理性の屈折みたいなものの差だ。江藤氏を通して眺められる批評の対象は、福田氏を通して眺める対象よりも、より屈曲しているのである。
 この屈折率の差こそが、福田和也氏いい奴説の要にあたる。

 この対談では、福田氏の側には、「何とか江藤淳を乗り越えよう」というような意識がある、と思う。江藤氏は、それを受け流しつつ、福田氏の発言の部分部分に引っかかるものがあると、すかさずそこから話を広げるほうへと大股に歩いていく感じだ。
 本書に所載の他の批評を見ても、特に江藤氏の生前のもの(「江藤淳氏と文学の悪」など)はそうだが、この時期、福田氏が江藤氏の弟子という立場からの脱却というか、批評家としての独自のポジションを模索していたことはうかがえる。
 しかし、単純に対談の中で見る限りにおいて、またあるいは江藤氏の著作と福田氏の他の著作を見比べてみても、どうしても福田氏の側にこの「いい奴」っぷりが目立つ。
 なるほど、自称「パンク右翼」として、ガラの悪いというか過激な発言も福田氏にはある。でも、肝心の文芸評論という本業の舞台の上ではどうかという話だ。それに、いかに表面的にガラが悪くても、中身的にアクロバティックなものの見方が提示できないようなら、それはあくまでコスチュームに過ぎないと僕は思う。
 福田氏のこれまでの代表作というと『甘美な人生』とか『奇妙な廃墟』になるのだろうか。しかし大看板として代表作に掲げるには、ちょっと小粒な気もしなくはない。『作家の値うち』という批評書としてはベストセラーに入る本も上梓しているにせよ、あれを代表作としなくてはならないようでは批評家としての未来は暗かろう。又本人にもそのつもりはないと思う。
 僕は福田和也という批評家を侮っているわけではない。現在の評論界を支えている人物のひとりであると思うし、それだけの実力も兼ね備えている。
 しかし、本書において確認する限り、その立ち位置的に、小林秀雄に対する平野謙のそれが重なって見えてしまう。これが僕の思いこみに過ぎないのなら幸いだ。
(2005.2.10)


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『作家の値うち』
 (飛鳥新社
 2000年4月刊)
 鈴木光司の『リング』を35点、渡辺淳一の『失楽園』を22点と「採点」したほか、船戸与一については全作品を「採点の価値なし」としたりしたことで、妙にネット上で話題を読んだ評論です。
 しかし、結局、そういうセンセーショナルな面というのは、所詮は一面に過ぎなかったようで、読み通してみれば、この本が「点数」という評価軸を通し、作家の作品数点を年代順に「採点」していくことで、作家論として、文壇論としてまとまりのあるものを提供したものであることは一目瞭然です。
 そして、作家・文壇をどう眺めるか、というその眺め方をもって、福田和也という人自身の文学観もちゃんと現れているのです。これはやっぱり、評論である以上は大事なことですし、1年で590冊以上の本を読んで「採点」する(ということはある程度きちっと読み込んでいるということです)という労力にも、賞賛を送るべきでしょう。他の人には出来なかったんだから。
(2000.5.12)


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福田和也

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