ガストン・ルルー



『オペラ座の怪人』
 (日影丈吉訳
 ハヤカワ文庫
 1989年5月刊
 原著刊行1910年)

●小説版ってどうよ

 昨年(2005年)のはじめに映画版が公開になった『オペラ座の怪人』。映像美がなかなか好評だったらしいが、未見である。
 『オペラ座の怪人』という名前ばかりは抜群に有名だし、どんな話かも一応は知ってる、という人は多かろう。でも、ぶっちゃけ有名なのは、ロイド・ウェバーが作り上げたミュージカル版。小説版はそれほど広く読まれているとは言えないのではなかろうか。
 だって、オペラ座の怪人て言ったら、なんといってもファントムと歌姫の悲恋物語みたいに思えるじゃない? 主役はファントムじゃない? やまない雨はないじゃない?
 でも、今回、ファントムの悲恋だ、というのを頭に置きながら小説版を読んで感じたのは、そのへんの人間関係に対しての違和感でした。原作ではファントムって、けっこう純然たる悪役になってる。
 たしかにね、本作でもって、もっとも存在感を示すのはファントムに他ならない。美貌と天性の歌の才能に恵まれた歌姫クリスティーヌに恋いこがれる、オペラ座の地下に住まう神出鬼没の怪人。本作のキーになっているのは何と言ってもここで、この恋をどのていどまともなものとして描くか、どのていど報われるものとして描くかで、ファントムが小説版になるかミュージカル版になるかが変わるんだろうと思う。
 小説版では、ファントムは相当に痛い人に描かれていて、その恋愛へのアプローチもストーカー的な不気味さが主旋律になっている。三角関係どころじゃない。ほとんど怖がられてばっかりで、ちょっとだけ憐憫の情を与えてもらっているだけ。悲恋は悲恋かもしれないけど共感はしがたい。
 ミュージカルの描き方とどちらが深みがでるか、というのは一概に言えることじゃないのかもしれないが、少なくとも小説版、ちょっと僕としては退屈でした。
 まあ、ミュージカルを見たことがあるわけではないので、どっちがよかったとか、こうした方が深みが出たとか、比べられないんですけど。

●恋愛小説なのか

 小説版が期待よりも詰まらなかったのは、ファントムが痛い人だったからだ、と仮定してみると、本作の構造が見えてくる。
 ファントムが痛い人になってしまうと、どうして話がつまらなくなるか。それはファントムがただの恋の障害になりさがってしまうからだ。
 本作の主要登場人物は4人。主人公のラウル・ド・シャネー子爵、歌姫であるヒロインのクリスティーヌ、ファントム、そしてファントムと因縁浅からぬ謎のペルシャ人ダロガ。
 ダロガは、後半、オペラ座の地下での冒険行に突入した際、お坊っちゃんのラウルを導く先導者であり、そういう場面では役に立たないラウルに変わって、ほぼ主役級の扱いを受けるキャラクターだ。しかし、この人はクリスティーヌとは一切からまないので、舞台や映画ではカットされることも多いそうな。まあ、ラウルがもっとしゃきっとすればいいだけの話だからなぁ。
 でも、それはつまり、ダロガがいなくてもこの話がどうにか成立するということを証だててもいるわけだ。
 そこで、ダロガをひとまず念頭から外し、「ファントム」という言葉を「恋の障害」と置き換えてこの小説のあらすじを説明するとすればどうなるか。
 才能に恵まれながらトップスターになれずにいる歌姫クリスティーヌと、彼女の幼なじみでもあるオペラ座のパトロンの一人ラウル子爵が、恋の障害に悩まされつつ冒険の末に結ばれるお話。
 それってよくある恋愛物語じゃね? と思わないだろうか。
 つまり、小説版『オペラ座の怪人』は、本質的には恋愛小説なのだ。しかし、このありがちな筋立てに波紋を投げかけるのがファントムであり、彼の存在が本作をして歴史の中にこの小説を屹立させることとなった楔であるというのは間違いない。だから本作の本質はファントムというキャラクターの存在にこそある、とも言いうる。
 惜しむらくは、やはりその造形の粗さだろう。人知れずオペラ座に住み、館内ならば神出鬼没、己の醜さに絶望するがゆえに仮面をつけて、よなよな巨大な劇場の中を闊歩する謎の怪人。誰しも彼から目を背けずにはいられないほどの醜さと、その天才的な歌唱力、芸術への愛。
 オペラ座の地下に広がる巨大な迷宮、という舞台設定と共に、とてつもなく魅力的ではあるのだが、ミュージカル版の設定と比べると、「クリスティーヌへの報われない愛」という一点に設定が集中していかない憾みがある。だから、時にとても魅力的な怪人物に見える一方で、時に(特に終盤では)ただのマッドな人になってしまう。
 ミュージカルの「オペラ座の怪人」が名作と謳われ、ウェバーの最高傑作とも賞される一方、小説版が必ずしもそう呼ばれず、「ルルーの最高傑作」はどう見ても『黄色い部屋の謎』だということになってしまうのは、小説版でファントムの造形が絞り切れていないからに他ならない。
 その点で、この怪人物を創出したルルーのすごさは認めつつも、結論としては「ウェバーはえらいな」というところに行き着かざるをえない、と思う。
(2006.6.6)


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『黄色い部屋の謎』
 (宮崎嶺雄訳
 創元推理文庫
 1965年6月刊
 原著刊行1907年)

★ネタバレ注意★

 『オペラ座の怪人』の作者としても名高いルルーによる、密室犯罪もの推理小説の傑作である。ちなみに『ぷよぷよ』で名高いお姉様キャラのルルーとは無関係だ。
 日本では横溝正史の『本陣殺人事件』(金田一耕助シリーズの第1作だ)にも、金田一と登場人物の1人との推理小説をめぐってのやりとりの中に名前がうかがわれ、これが推理小説の黎明期から非常に高名な作品であったことがわかる。

 事件は、ある重要な研究がようやく完成段階に近づいてきていた科学者の屋敷で起きる。夜、その科学者の娘の部屋から、悲鳴と銃声が聞こえる。科学者と老僕が鍵のかかった娘の部屋へと押し入ってみると、何者かにこめかみを強烈に殴打されて昏倒している娘が発見された。
 ところが、その娘の部屋へと通じるのは、鉄格子のはまった窓と、父親である科学者と老僕が、悲鳴の聞こえたまさにその時に在室していた実験室へ通じる扉だけ。
 もちろん犯人はその場にはいなかったし、怪しい人物も目撃されていない。

 この事件の解決に乗り出す探偵役は、フランスきっての名探偵とうたわれたフレデリック・ラルサンと、そして主人公である頭脳明晰な若き新聞記者ジョゼフ・ルールタビーユ。この2人がときに鎬を削りつつ、ライバルとして事件の解決を図ることになる。
 主人公がルールタビーユなので、推理はもっぱら、この青年新聞記者の友人である弁護士サンクレールの筆を借りつつ、ルールタビーユ側から展開され、あるいは検証されて進められる。探偵役が2人以上登場する場合にしばしばそうであるように、ラルサンは当て馬といったやくどころになる(もうちょっと重要な役割を果たすが、ラルサンが正面きって名推理を述べるという場面はあまりない)。

 さてところで本作、「密室犯罪もの」と最初に書いたが、珍しいことに、密室で襲われた科学者の娘マチルド・スタンガースンは、病院に運ばれて命をとりとめ、けっきょく最後まで死なない。
 だったら彼女に誰に襲われたのかを聞けば事件解決…となりそうなものなのだが、そう一筋縄でいかないあたりが傑作たるゆえんのひとつ。登場人物はこのマチルド嬢を含めて、みな一様に口が重い。重要な秘密を知っていそうな人物ほど、被害者だったりスケープゴートだったりする当人の立場にもかかわらず、知っていることをひたすら秘匿しようとする。
 キーになってくれそうな証言だけが欠落した状態で、ルールタビーユは物証と報告されている事実から、真実がいかなるものであったのかを推理することになる。

 面白かったのか? そりゃもう言わずもがなでしょうなあ。
 ただし、僕は中学生時代に幾何の授業を受けていて気がついたのだけども、空間把握能力が人よりも劣っているらしくて、本作のように建物の見取り図を示されながら話を進められても、なかなかその話についていけないところがある。きっとそのへんで損をした読み方をしていると思います。
 でも、本作で使われた重要なトリックのひとつが、『金田一少年の事件簿』で、しかも最初の事件である「オペラ座館殺人事件」でそのまま使われていたとは。先述の通り『オペラ座の怪人』がルルーの作品であることを考えると、なんかもう、「まんまじゃん!」といった感じでありますが…。
(2004.8.14)


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ガストン・ルルー

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