切通理作 |
『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』 (新潮文庫 ****年) |
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タイトルに偽りなし、「ウルトラマン」を書いたシナリオライターたちについての本です。 金城哲夫をはじめとするウルトラマンのシナリオライターたちに肉薄することで、自分のポジションとこれから辿るべきコースを模索する、僕よりは2世代くらい上のオタク、切通理作。 93年にハードカバーが刊行された本書は、宮崎勤事件に関する言及から幕を開けます。 「はじめに」で、「『宮崎勤はたまたま〈おたく〉だっただけで、怪獣やマンガのマニアであることと幼女殺人とは関係ない』と反論する人もいたが、意味がなかった。世間が本当に気味悪がったのは、『幼女殺人』よりも『怪獣やマンガを卒業しない大人』のほうだったからだ」「自己弁護してもだめだ。<中略>いかに軽い遊びのフリをしようと、また逆に知的な言葉で飾ってみせようと、そこにこだわっている以上、みんなキモチ悪い〈おとなこども〉でしかない。僕たちはそれをいっぺん認めなきゃならないんじゃないか」と、詭弁的な逃げ道をふさいだ上で、金城哲夫・佐々木守・上原正三・市川森一の4人について、それぞれの脚本の根底にあるものを探る。…というフリをして、実は「迫害される者」は社会といかに関わるべきかを探っていく。 沖縄人として、本土で容れられないものを感じ、理想を追い求めた金城哲夫や、同じ沖縄人としての孤独を味わいながら、個人をひたすら押し出すことで社会を無化する方法をとる上原正三。インテリとして、社会を揶揄することに固執する定点砲撃手となった佐々木守。母のいない子供として培った「底意地の悪さ」で社会を冷たく嘲弄する市川森一。 それぞれの手法を腑分けしつつ、切通理作は、そこに自らの少年時代と、そして現在の自分の位置を重ねていきます。「ウルトラマンのシナリオは、沖縄人や朝鮮人といった『差別される存在』が『いる』ことを叫んだのだ」とする文脈の中で繰り返される、「ぶーぶー文句や理屈を言ってもしょうがないのよ、差別されるように生まれついちゃったんだもんよ」という意味合いの言葉は、彼らの世代のオタクを表現したものでもあります。だからこそ、「反論」や「自己弁護」は意味がなくなり、「『存在すること』そのものを、『存在すること』そのままに描き出す」という上原正三への評価も高いものになっていくのでしょう。 ただ、これはあくまで、2世代前のオタクである切通理作の考え方です。だから、実は2世代後のオタクである僕は、その結論に違和感を感じずにいられない。 彼らはたいていの場合、気がついたらオタクであるしかなくなっていて、しかも気がついたら、宮崎勤事件をきっかけに、迫害される側に回っていた。エアポケットに入ってしまって、その中で気づかないうちに迫害される側に回っていた、という存在です。 しかるに、僕たちの世代というのは、ちょうど小学校高学年から中学生くらいの間に、宮崎勤事件を体験している世代であります。特撮やアニメを卒業するかしないか、そのボーダーラインの年頃で、「卒業しなかったらどうなるか」を強烈に見せつけられてしまっている、そういう世代です。「卒業しろよ」という周囲からのプレッシャーもあったし。 「だから僕たちの世代は、全員、オタクであることを敢えて選んでいるのだ」とは言いません。周囲の環境や、それ以前の性格形成の段階で、オタクであらざるを得なくなっていた人間も多いでしょう。ただ、僕たちには、「このままいくと迫害されちゃうんだな」という結果は見えていたはずなんです。 だからこそ、僕自身、学校ではかなり長い間、隠れオタクとして、昼は他の一般人の友人達と変わらない生活態度を続けたし(趣味趣向の面では、ですけど。性格とかは隠せるもんでもないんでしょうが)、中学校の3年くらいまではアニメなんかも見なくなっていたし(パソコンで遊んでいた関係から、出戻り的に見るようになりましたが)、また、オタクであることを隠そうとしない、つまり学校にTRPG持ってきて騒いでたり、マルチTシャツ着て街をうろついたりするような態度には、結果として迫害を強めるもの、として嫌悪感を抱いてもいました(というか今でもそうです)。 そうこうしてる間に、世の中の状況はかなり変わってきて、暮らしやすくなりましたけどね。 で、少し話を戻しますが、そういう世代の人間である僕としては、「『存在すること』そのものを、『存在すること』そのままに描き出す」という「オタクであることを隠そうとしない、つまり学校にTRPG持ってきて騒いでたり、マルチTシャツ着て街をうろついたりするような態度」につながるような結論は、どうも納得しづらいんですわ。 むしろ「最終的に本人にしか意味のないような現実逃避的なものを書くようになった」と否定的に結論づけられようとも、佐々木守の方法に、納得しやすいものを感じてしまう。これは、大江健三郎や浅田彰、中森明夫、宮崎哲弥といった、本書中に見られる思想家たちが、今や古びてしまいつつあるという流れからのカウンターからくるものもあるのかもしれませんけれども。 (2000.6.17) |
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