小松和彦



『京都魔界案内
  -出かけよう、発見の旅へ-』
 (光文社 知恵の森文庫
 2002年2月刊)
 他の大学や研究室でもそんなことをしているのかどうかわからないが、かつて、僕のいた大学の日本語日本文学研究室では、年に1度の研究室旅行の際、旅行先の土地に関わる文学作品について学部生が調査をし、その上で現地に乗り込んでいた。
 まぁ、調査と言ってもたいしたことはやってない。しょせんは学部生だし、学部生の持っているノウハウの中でわかることを調べるわけだ。山陰なら志賀直哉の「城之崎にて」、青森なら太宰治の「津軽」とか。もちろん、近現代だけではなくて、富山であれば大伴家持とか、それぞれの学部生が自分の興味を持っているジャンルの中から調べものをする。「こんな作品があります」だけでは「トリビアの泉」よろしく「へー」としか言えないので、成立時期から小説であれば作品の成立した背景、問題点などを調べてみたりする。いま思うと、あれは旅行の下調べにかこつけて、ひとつのテーマを考えはじめるとどんどんおさえておくべき領域や問題の系がひろがっていく、ということを実地で勉強していたのだなぁ、と思う。
 で、現地へ行って、ああここがあのとか、誰それはここの景色を見ながらこの作品を書いたんですねとか、そんな楽しみ方をする…のだと思う。いや、実は調査にあたったことはあれど、実際に旅行に参加したことはないのだ、僕自身は。体調の都合もあったし、ヘタレてやめたこともあった。
 まぁ、僕自身の思い出などどうでもいいのだが、本書はそのようにして京都を旅行するのなら非常に便利な1冊である。
 案内人は、いま妖怪・怪異を語らせたらこの人をおいて他にいないであろう小松和彦先生。場所は千年の古都、京都である。陰陽師を持ち出すまでもなく妖異譚なら掘ればいくらでも出てくるような土地柄なのだ。
 晴明神社や一条戻橋といったいかにも怪異譚のにあう場所から、貴船神社や北野天満宮、三十三間堂など、大メジャーの観光地まで、それこそ現世と魔界を行き来して天皇と閻魔大王に仕えたといわれる小野篁のようにかろやかに、小松先生が案内してくれる。面倒な調べものをしなくても、これ1冊持っていけば、けっこうディープな楽しみ方ができるだろう。
 自分で調べる楽しみというのも、それはそれで代え難いものがあるのだが、ガイドブックくらいはないととっかかりがわからないものだ。
 小松先生としては本業をやや離れた分野でのお仕事だろうが、とっつきがいいのでそれはそれでありがたい。
 ちなみに同じ知恵の森文庫には、シリーズ的な位置づけとして「日本魔界案内」「東京魔界案内(三善里沙子氏との共著)」がある。
(2004.2.20)



『憑霊信仰論』
 (講談社学術文庫
 1994年3月刊
 原著刊行1982年・1984年)
 小松先生の考え方は、構造主義的なのだな、と今さらに気づく。「憑きもの」という<現象>が、実際には人間関係の一種、すなわち<構造>であるというのが、論考の基礎になっているわけだ。
 こうした考え方は後の『異人論』にも共通するものだが、小松先生が偉いのは、一貫して、「構造主義者」ではなく「妖怪好き」として研究にあたっている点。
 さて、巻末の収録論文解題で、小松先生みずからも書いているように、最近の小松先生の本、例えば『日本妖怪異聞録』とか、ちょっと時代が前になるけれど『悪霊論』と比較して、内容に一貫性が欠けています。
 まぁ、論文集というのはえてしてそうなりがちではありますが、それにしても、主題として取り上げる対象が「憑き物の意味→犬神憑き→陰陽師→式神→護法→妖怪の位置づけ→呪詛の意味→付喪神」と変転していく様は、流れとしては一貫しているものの、一冊の本のまとまりとしては、論文集にしても散漫だと言えるでしょう。
 もちろん、これには理由があります。この本の最初の論文、「『憑きもの』と民俗社会 -聖痕(スティグマ)としての家筋と富の移動」は、修士論文を発表した直後に、それを踏み台としてまとめあげられたものだそうです。で、このことでもわかるように、底本の出版当時、小松先生の研究は、まだ急速な発展を見せようとしている、その初動段階だったわけですね。
 つまり、ここに収められている諸論文は、小松先生の知性が飛翔しようとしている、まさにその瞬間の足跡であるわけです。

 さて、本自体の意義についてはこのくらいにして、内容です(民俗学上・人類学上の意義については、語れるほどの考えも知識もありませんので割愛しましょう。この分野にレヴィ=ストロースの方法である構造主義を取り入れようとした点に画期的な物があったであろうことは推測できますが)。
 先に挙げた「『憑きもの』と民俗社会」は、小松先生の考え方の俯瞰図と言えるでしょう。その中での核といえる「憑き物」について、高知県物部村での犬神憑きを実例としながら、実証的論考は進みます。このへんは、少し押さえておくと板東眞砂子の『狗神』なんかを読むときには参考となるでしょう。
 さらにそこから、憑き物を「呪詛」の結果としてとらえるという民俗社会での構造、そしてその呪詛を調伏する陰陽師の存在と、その陰陽師が使役する式神・護法に話は及びます。
 式神・護法を用いる病気治療、つまり、平安期の加持祈祷とか、そういったものについて、小松先生はひとつの新説を立てています。
 従来、護法を使っての治療っていうのは、「陰陽師が護法を呼ぶ→護法が患者の中に入っている物怪をぶん殴って追い出す→物怪は憑坐(ヨリマシ)にとりつく→護法が再びぶん殴って物怪を追い出す→完治」という流れをとると考えられていたわけですが、小松先生は、「物怪を追い出すため、護法が一時、患者の中に物怪に替わって入っているのではないか」と考えるわけです。もちろん、陰陽師や当時の人々の認識の上で、ということなんですが。
 さて、こうした仮説を裏付ける記述が文献の上に見えないことを、小松先生は「人びとによって『護法』が『物怪』の憑いている病人の体に乗り移ると考えられてはいても、それはあくまでもそう考えられているに留まり、第三者に観察可能な形での憑依状態を示さないため、行為のレベルでの記述ができないことに原因があるのではないか」という理論で説明しようとします。
 そして、この『第三者から確認できない』ことに多少なりとも信憑性を持たせるために、「『物怪が、自分の体に入ってきた護法に追い出されたよ』という内容の夢を病人当人がみる」とか「物怪が追い出された後に入り込む(つまり、物怪が病人からは離れた、と証明する)憑坐の存在」が、陰陽師によって用意されているのではないかと、推論を展開するわけです。
 これは、とても構造主義的な考え方であると言っていいでしょう。例えば、レヴィ=ストロースの、南アメリカの各種神話の間に成立する相互関係の研究。
 文献上ではそれと直接に指摘されないけれども、データを集めていくと、どうやら異なる部族の間の2つの神話には何らかの関連がありそうだということが見えてくる。そこで、両者間では神話がどのように変奏されるか、その変換コードを推理していく。
 その変換コードのあり方こそが「構造」という概念なのですが、小松先生の上記の推論も、「憑きものとは人間関係の中でのひとつの構造ではないか」という「『憑きもの』と民俗社会」で述べられている考えから、逸脱したものではありません。「病人治療」という儀礼の中で「憑き物」という構造は、仮にレヴィ=ストロースの神話論のように文献上では直接に指摘できなかったとしても、やはり存在しているのではないか、というわけです。
 ただし、こうした「圧縮前と圧縮後を見比べただけでは、圧縮アプリケーションそのものは見えないけれど、それでもやはり圧縮アプリケーションは存在している、というのと同様、文献上での明確な指摘が無くとも、変換コードとして『構造』は存在している」という考え方は、文献をより重視する立場からはなかなか首肯しづらいものですし、またそう主張する当人にとっても、実は割に確信しづらいものである(レヴィ=ストロースが、「自分のことについてはよくわからない」と老年になって述べるような悲観主義者であり、そこから来る文献不信が構造主義の源泉のひとつであることを思い出しても良いでしょう)ことを考えるとき、僕は、小松先生が実は茨の道を歩んでいるのだな、ということを思って、一段と尊敬の念を深めるのです。
(2000.2.22)



『悪霊論』
 (ちくま学芸文庫
 ****年月刊)
 ずいぶん昔に買ったまま、なかなか手が出せなかった1冊。どうして手が出せなかったかと言うと、難しげな本だからである。「面白そう」で、かつ「難しそう」というのが最初に抱いていた印象だったわけだが、こういう印象を抱いた本というのは、「面白そう」の比重が「難しそう」を上回らないと絶対に読まない。「面白そう」と思えるようになるためには、当然、こっちの準備も必要である。ちょいと難しめの本に慣れるとか、「悪霊」というジャンルへの関心がなんらかの要因で高まるとか。
 とりあえず、「面白そう」と思えたので、書棚に積んであったのを引っぱり出したわけだが、実のところ、ページを開けば、そこまで難解ではなかった。
 以前、NHK人間大学で『日本人と異界』というシリーズを担当されて以来、僕は小松先生の密かなファンなのだが、その時も語り口は平易なものだったし、用語法の点では案ずるほどのこともなかったわけだ。フォークロアは門外漢の僕にも、非常にわかりやすかった。何より注釈が丁寧なのが嬉しかった。論文の読みやすさというのは、こういうとこでも違ってくるもんだ。
 この本の前作にあたるもので、同じちくま学芸文庫に入っている『異人論』というのがあるらしいのだが、本書も、それと関わりの深い(らしい)「異人殺し」に関する論文からスタートする。「村に旅の僧がやってきた。それを泊めた家の者が、持っている金目当てに僧を殺し、金持ちになった。やがてその村に不幸が相次ぐので祈祷師を呼んだところ、僧の霊が降りてきて過去の悪事を話した」という類の伝承。
 しかし、小松先生によれば、実はこれは「村に不幸が相次いだので祈祷師を呼んだ」「祈祷師が、ある金持ちの家の昔の悪行を語った」という構造が、伝承されるうちに変容したものだということである。
 つまり、最初に起きた事件はあくまで「村に起きた不幸」である。「村に旅の僧がやってきて…」は、祈祷師が語ったものにすぎない。これが伝承されるうち、より「わかりやすい」説明のために、2つの別の物語が1つに融合され、時系列が逆転する。
 すなわち、因果応報譚の完成。
 ここに小松先生は「物語」の発生を見、異人殺しの家とレッテルを貼られる「急成長した金持ちの家」への、民衆のねたみまでを示唆する。
 異人殺し譚に続いて、村八分と御霊信仰、妖怪、悪霊などにも考察がなされるが、一貫するのは前述の「祈祷師が関与した物語発生のシステム」という着想である。なるほど、と納得させられる。ただ、ちょっと何もかもがすっきり片付きすぎる一面があるのは否定できないのではないかと。
 ところで、この本の中で一番面白いのは、鬼だとかお稲荷さんに関する部分。小松先生がいかに妖怪好きであるかがうかがえて、なんだか微笑ましい。
(1999.4.18)



小松和彦

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