古今亭志ん朝(京須偕充編)



『志ん朝の落語6 騒動勃発』
 (ちくま文庫
 2004年2月刊)

●三遊亭円朝と古今亭志ん朝


 6巻にわたって展開されてきた志ん朝さんの高座をそのまま活字にするシリーズもついに最終巻。なので、今巻だけでなく、シリーズ通しての感想のまとめを書くことにしたい。
 落語高座の活字化という試みは、けっこう昔からある。テープレコーダーが普及したことでそうした作業が広く一般化したのは間違いないだろうが、そうした試みの中でも最も有名なのは、明治中期の三遊亭円朝のものだろう。もちろん当時は録音手段がないので、口演を速記したわけだ。
 『怪談牡丹灯籠』や『塩原多助一代記』が、この時期のいわゆる言文一致運動とのからみで取り上げられることは少なくない。坪内逍遥のアドバイスにより、二葉亭四迷が円朝の速記本を参考に、『浮雲』をあらわした云々。
 ちなみに同時代には講談師松林伯円の口演を速記したものなども出ているらしいので、それなりに需要はあったということだろう。当時はテレビやラジオで高座を楽しむなどということはできないから、東京大阪以外の土地に住まいしていた者は、こうした速記本を読んで日々の楽しみを得ていたわけだ。

 本題に戻ろう。
 こうした速記本が、開化期に果たした役割を軽視するつもりはない。しかし、速記であるので自然に「エー」とか「ウー」とかの、言葉としては意味のない発音は省略されることになる。前田愛氏は「三遊亭円朝」で、円朝の高座は、話す言葉自体が比較的、書き言葉に近かったのではないか、と推測しているが、しかしその推測がどれだけ正しくても、おそらく高座においては「エー」「ウー」といったたぐいの発声や、仕草を介して聴衆にニュアンスを伝わらせるために何も発声しない「間」はあったはずであり、それらは速記される際に刈りこまれて書きことばと話しことばのあわいに消えていってしまったのであろうと推定できる。

●話しことばのように話すということ


 そこで、本シリーズである。本シリーズは意図的に、そうしたニュアンスをしっかりと残すことにつとめている。
 たとえば春風亭柳昇師匠は、高座の中で間を繰るのがうまい落語家の一人だと思う。八っつぁんのすっとぼけた発言に、しばし沈黙して目をしばたたかせるご隠居。この沈黙で、ご隠居の突き放したような呆れ具合を表現すると同時に、こみ上げてくるような笑いをそこに生み出す。
 志ん朝さんは柳昇師匠と対称的に、ほとんど沈黙を恐れてでもいるかのように、「ウゥー」といった唸りや、「それを、え?」といった会話の中でのクッションになる問いかけで、間を埋める。
 それが江戸前の軽く小気味のいい会話のテンポを場に生み出すわけだが、また同時に決して書きことば的でない、すなわち円朝式でない方法によって人物造形を確固たるものにしていたのではないかと思う。
 そして、おそらく京須偕充氏は、こうした唸りや問い返しこそが志ん朝さんの高座を生きたものにしていることを踏まえた上で、それらをすべてあますところなく再現したのであろう。

 こうした手順によるテープ起こしの作業は、話の内容を整理しつつ書きことばに起こしていくよりもはるかに疲れるものだ。それは多分、話しことばを普通に会話の中で使う時と、文章を書いていく時とで、頭の中のモードというかコードというか、そういったものが違っているからなのだろうと思う。話しことばと書きことばは、なんだかんだ言ってかなり違うものなのだ。「話すように書け」、という坪内逍遥の言文一致運動は、とりもなおさずそれがいかに大変なことであったかを問わず語りに物語る。円朝が偉大であったのも、裏返して言えば、書きことばのように話すことで、状況を非常に整理して聴衆に提示できたからでもあるだろう。
 だが、話しことばを部分的に整理しないまま残し、話しことばとして「演じる」志ん朝さんの話芸もまた、そうした意味では凄いのである。本シリーズには巻頭に、高座で演じる噺を志ん朝さんが台本にしたノートの写真が掲載されている。ペンで書かれているようで、何度も繰り返し推敲された跡が見える。そうなると、それは必然的に書きことば的に整理を施したものであるわけで、また「ウゥー」などとはどこにも書かれていない。
 それを高座に上がれば、話しことば的に演じるわけだ。その凄さというのは、実際に人前で話す機会の少ない僕などにしてみれば想像でしか語れないのだが、やはりプロの技、名人の技であるのだろうと思われる。
 そしてまた、台本ノートの文面は文面として写真を掲載しつつ、高座での語りそのものが話芸の本質であると見切って、唸りや問い返しをそのままに文章に起こした京須氏の判断もまた、プロのそれであろうと思うのだ。
(2004.11.23)


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『志ん朝の落語5 浮きつ沈みつ』
 (ちくま文庫
 2004年1月刊)
 同じシリーズについて何か書評めいたことを書くのもこれが5冊目となると、さすがに書くことがなくてパソコンの前でウームと唸っている次第である。
 志ん朝さんが生前に遺した音源から「いつもここでもって三度っつ回るんでござんす」(船徳)「じゃアね、きょうはね、え? あの、お前さんの言葉に甘えよう、ねえ」(へっつい幽霊)と、「三度っつ」などの江戸っ子なまりや、「え?」「ねえ」などの合いの手まで、そのまんまに文字に起こしたという京須氏の労作、その第5巻。
 収録されている12編はいずれも古典落語であるからして、筋立てについてあれこれ言うのは、落語の噺そのものについて評するならばともかく、本書の書評としては正しくない。
 やりようがないわけではなくて、たとえば京須氏はそれぞれの噺につけた解説で、「はじめ円朝が得意とした噺で…」といった話自体のプロフィール、「四代目五明楼玉輔から習ったという…」といった志ん朝がどこでこの噺を得たかのエピソード、それに「文楽はここをこうしたが志ん朝はそれをとらずに志ん生の線で演じている」などの他の演者と志ん朝さんとの違いなどを盛り込み、ときには「ひところあんまり(志ん生が得意とした)『火焔太鼓』を註文されるので極力避けていたようだが、やればやっぱり楽しそうだった」など、その噺についての志ん朝さんのエピソードを織り交ぜて、過不足ない一編の解説としている。
 実はこの解説もなかなか本書の読みどころのひとつだろうと思うが、これは京須氏のように落語の世界に精通している人がやってこそできる手法で、僕のような素人がやっても恥をかくばかりだろう。
 そこで話は冒頭に戻って、僕は再びウーム、と唸らねばならないわけだが、まあ、ものが落語である。あまりしゃっちょこばったとらえ方をするのも野暮というものだろうと考えて、楽しかったことのみ述べて筆を置きたい。
(2004.8.1)


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『志ん朝の落語4 粗忽奇天烈』
 (ちくま文庫
 2003年12月刊)

●出先で読むのに都合がいい本


 この『志ん朝の落語』シリーズも、4巻目となる。
 この巻は出張先で、というか移動中のバスの中で読んだ。出先で読むには、このくらいあっけらかんと読める本の方がいい。いくら時間が余りそうでも、ちょっと中身を吟味しながら読まないといけないような本は、持っていくのに適さない。
 おかげさまでこれを読んでいるところを見た人から、歳に合わない、と笑われたが、まあ、落語を楽しむくらいの余裕は、いくら若くても持っていたいし、持っていていいんじゃないかと思う。
 ちなみにこれ、負け惜しみじゃございませんよ。

●粗忽者の面目


 第4巻は「粗忽奇天烈」。実生活で「あいつは粗忽者でね」なんてことはまあ言わないけれども、落語では「粗忽長屋」を代表格として、「粗忽」という性格造形がしばしば用いられ、笑いを誘うことになる。
 ちなみにそう落語を知らない人でも名前くらいは聞いたことがあるはずの「粗忽長屋」は、このシリーズには収められていない。志ん生が得意としていた噺ということなので、志ん朝さんもそれを踏襲する形で演じていたらしいが、まあ偉大な父親に敬意を表して自分の十八番にはしていなかったものだろうか。

 行き倒れの持っていた財布を見て「オウ、こりゃ熊じゃねえか」と長屋にとって返し、当の熊さんを連れて現場にとって返してくる八っつぁん、さらに連れてこられて「そうすると俺は死んじゃったのか」と仰天する熊さんという、「粗忽長屋」の粗忽者2人に代表的にあらわれているように、粗忽者には道理が通らない。
 というよりは、目の前のひとつの道理に気をとられると、あとは何を曲げてもその道理を押し通そうとする。本巻所収の「代脈」の主人公、銀杏などもその典型だろう。医者の卵である銀杏は、師匠の代わりに病家のお嬢さんを見舞いに行き、師匠に教えられたとおりの手順を踏もうとする。

「(前略)……(ものたりなそうに)お手代の前だが、煙草盆が出ていないがな」
「これはこれはどうも、気がつきませんで。ただいますぐに。(煙草盆を持って来て)え、…えー、お待ちどおさまでございました」
「(嬉しそうに)んー、持ってきたな。エッヘッヘッヘ、ところがあたしは煙草を吸わない」
「……召し上がらない? ああ、さようでございますか」
「でも、これが先に出るのがものの順序でしょ? このあとにお茶にお茶菓子が(思わず笑みがこぼれ)、……お茶菓子どうした?」

(p.232〜233「代脈」より)


 師匠が「まず煙草盆が出てきて、それからお茶菓子が出てくる」と教えたのをそのまま受けて、吸いもしない煙草をわざわざ持ってこさせる銀杏の堂々たるとぼけぶりと、なんだかよくわからないことをするなと思いつつも、その堂々とした要求にこのあと恐縮しきって茶菓子の羊羹を持ってくる手代とのコントラストがおかしい。煙草盆のくだりがあるから、お茶菓子を要求する図々しさが生きるのである。
 まさに無理が通れば道理が引っ込むのであり、無理を通すためなら生者を死者にし、煙草盆を持ってこさせた相手に茶菓子までせっつく粗忽者は、ここに面目を施す。道理が引っ込めさせられる、その痛快さが陽性の笑いを産むのだと思う。
 このトリックスターとしての粗忽者がどうすれば生きるか、そのへんを志ん朝さんがどのように考え、演出していたかについては、京須氏の解説が詳しい。
 町人らしい下品さをカットしたうえで、あくまで最終目的に客席を笑わせることを置いている(正直なところ、八っつぁん熊さんとしては品がありすぎてリアリティには欠けるような気がしないではない)。しんみり聞かせる噺よりもカラッと笑える噺を好んだ志ん朝さんのひとつの冴えがあると思う。
(2004.6.8)


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『志ん朝の落語3 遊び色々』
 (ちくま文庫
 2003年11月刊)
●男と女、遊びと女
 「志ん朝の落語」第3巻の副題は「遊び色々」。
 その名の通り、各種の遊びを主題にした噺が収められているが、「三枚起請」など、第1巻の「男と女」に入っていても別にいいんじゃないのというものもあって、そろそろジャンル分けも厳しくなってきたのかなと、余計な勘ぐりをしたくなる。
 遊びにも色々あると言いながら、落語でよく出てくる遊び場所といえば吉原であり、吉原を舞台にした噺で遊女が出てこないと言うのもいささか色気がない。遊女が出てきたって遊びには違いないからというわけで「三枚起請」がここに入ってもきたんだろうけど、それじゃあ『男と女』に収められている「明烏」がここに入っていたらおかしいかというと、そうおかしくはないだろうと思うわけだ。
 いや、余計なお世話ですけれども。

 ちなみに、「三枚起請」は、1人の遊女が3人の男に渡した3枚の起請をめぐる噺。「年季があけたら夫婦になりましょう」という約束の証文が起請で、つまり男としては偽の証文で騙されて熱を上げたということになる。それに気づいた男3人が遊郭に乗り込むという筋立てだ。
 一方の「明烏」は、堅物の若旦那をその悪友が騙して吉原に連れていくという噺。郭についても嫌がって泣き叫ぶ若旦那をなだめすかして、どうにか一晩泊まるんだけども。
 こうあらすじだけ書き出してもおよそ推測できるのではないかと思う。「三枚起請」の方が、遊女が噺の中で占めるウエイトが大きいわけだ。多分、10人が10人、遊女が重要な役割をしているのはどっちだと問われたら「三枚起請」をあげると思う。

●「粋」の雰囲気
 しかしまぁ、これは重箱の隅つつきというものだ。そうやってお重を裏返しにした下に口を持ってきてまで隅に溜まった米粒をあさるようなことを考えるより、パーッと笑って読んだ方がいい本です、これは。じゃあ今までのはなんなんだといわれたら返す言葉もないけれども。
 落語とは一人芝居である旨を前に書いたが、遊びを題材にした噺の場合、演じる落語家がどれだけ遊びの雰囲気を身につけているかが、高座の出来を大きく左右する部分があると思う。それはおそらく男女の機微をあつかった噺や、まして人情話よりも、度合いとしては大きいのではないだろうか。遊びの雰囲気を自家薬籠中のものにしているというのは、言い換えれば「粋」ということだと思ってもいい。男女の機微に通じるのも粋だろうが、遊びの裏表に通じている方が「粋」の度合いとしては高いと思うのだ。
 その点、志ん朝の高座は良かった。実際に遊んだ度合いで言えば、父親である志ん生にはかなわなかったろうけれども、生まれ持ったものがあるのか、江戸っ子の血がそうさせるのか、堅苦しくはもちろんならず、下品にも堕するところがない。ああなるほど、昔の遊びというのはこういう雰囲気のもんだったろうなと思わせるものがあったと思う。
 それがいいことだったか悪いことだったかはともかく、たとえば熊さん八つぁんのような長屋の貧乏町人よりも、むしろ若旦那と幇間のような、浮き世からちょっと離れたところで生きる人たちを演じるのがうまい噺家さんであったと、今になって再認識する。
(2004.5.28)


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『志ん朝の落語2 情けはひとの…』
 (ちくま文庫
 2003年10月刊)
 以前に第1巻の感想を書いた故・古今亭志ん朝の高座をテキストに起こしたシリーズの第2巻。今回は「情けはひとの…」の副題のもと、いわゆる人情噺を11本集めている。
 ちなみに個人的に好きな「井戸茶碗」も入っていて満足。ちょっと説教くさい道徳臭を感じる箇所がないでもないが、武士の矜持というものをさわやかに描いている噺で、べたべたの浪花節的人情話よりも、こちらの方が演者によっては世界観が引き立つというか締まって見える。
 志ん朝は人情噺をあまり好まなかったというのは有名な話で、まえがきにあたる「編者のマクラ」で、京須氏もそれをやんわりと語っている。もちろん人情噺オンリーのこの巻で「あまり好まなかった」などとストレートに書くのは野暮というもので、もっとぼかしておられるけれども。
 しかし、そのあまり好まなかったという人情噺がまた面白い。原作の力もあるんだろうが、合間合間でちゃんと笑いをとる工夫をしているのがいいんだろうと思う。人情噺は要するに「ええ話」であって、何の工夫もなくしんみり語ってしまえば、おばあちゃんたちの涙は誘うだろうが、説教くささ・浪花節臭が漂うことは避けられない。京須氏が「編者のマクラ」で伝える「締めた口調はどうも」という志ん朝の言葉は、どうもそのあたりも踏まえてのことだったのではないかという気がする。
 志ん朝の語り口調をそのまま文字に再現した京須氏の作業は、第1巻と同様に素晴らしい。まぁ、モノがモノだけにこの巻は買ってこの巻は買わない、ということはあまりなかろうが、これ、まとめて買っておくと、たまに引っ張り出してきて1席だけ読む、みたいな楽しみ方もできるのでオススメである。
(2004.5.16)


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『志ん朝の落語1 男と女』
 (ちくま文庫
 2003年9月刊)
 志ん朝の訃報を聞いたときはちょっとショックだった。ちょっとどころでなくショックだった人も多いだろう大名人の噺家さんだったから、ちょっとショックだったくらいで騒ぐなと仰る向きも多かろうが、まぁちょっと聞いていただきたい。
 ショックだったのは、もちろん志ん朝の高座に魅せられていたからだが、もうひとつあるのはまだまだ若かったからだ。
 昭和13年の生まれというから亡くなったのは63、4歳で、まぁ、若いといってもそろそろ年金がもらえるくらいの歳ではある。しかしこの人は、なんだか最初に見たときからようすの変わらない人だった。50代のなかばくらいで時間を止めたかのように、そこから老けていくことがなかった。芸の方も、なんだか見るたびにうまくなっていくような気がしていたものだ。それは円熟というよりも成長であり成熟だったと思う。
 噺家さんにはそういう、ずっと見た目の変わらない人が多い。春風亭柳昇などは初めて見たときから「おじいちゃんやなぁ」という感じだったし、露の五郎も桂米朝ももうずっとあんな感じだ。春風亭小朝はいつになっても30代なかばから40代初めのような気がするし、極端なところで言えば桂歌丸はもう僕が生まれて物心ついた自分から25年近く、いっさい容貌が変わっていない。高座には俗世間とは違った速さで時が流れているとでもいうのか。

 落語を見るのは好きだが、せいぜいテレビなどで、というレベルで、地方に住んでいる悲しさもあって、実際に寄席に出かけていくというところまでいかない。だから志ん朝のどこが良かったと芸のうまさを語れるわけではないが、ひとつあげるとするなら、やっぱりその品格だろう。
 ただ品格があると言っても、それはどういうことなのか。
 笑わせるところはちゃんと笑わせる。それでいて、勢いに頼って笑わせてない。場の雰囲気というか、落語というのは一人芝居でもあるわけだからそれを演劇空間と呼んでもいいのだと思うが、そういうものを作りだす。それが品格というものじゃないかなと思う。
 落語好きには、滑稽噺よりも人情噺の方を高級なものに見たがる傾向が、ややもするとある。ま、僕自身、もっとも好きな演目のひとつに「井戸茶碗」をあげるくらいで、人情噺も好きは好きなのだが、人情噺の趣というのは、そもそものネタの持っている傾向で作られる情趣に頼る部分もある。でもそれに頼っているうちは結局本物ではないので、名人と呼ばれる人になるとどんな滑稽話でも、それこそ「寿限無」でも「つる」でも「子ほめ」でも、自然にそれにみあった演劇空間を作り出すものなのだ。
 志ん朝はどんな滑稽話でも情趣を醸し出していた。演劇空間がしっかりできあがっているから、こちらもその世界に酔って笑えるのである。

 さてマクラが長くなった。
 本書は生前に志ん朝が残した高座の音源から、それを実際に録音した京須氏が、そのままテープおこしをしたもの。おしりに「1」とついているくらいでシリーズである。ちくま文庫からテーマ別に全部で6冊出ている。本書の場合のテーマは「男と女」。
 堅物の若旦那を無理に吉原へ連れて行く「明烏」や、夫婦喧嘩して駆け込んできた奥さんを仲人がなだめて夫の愛情を確かめる秘策を授ける「厩火事」、若旦那が茶店で出会って一目惚れしたお嬢さんを、渡された千載集の崇徳院御製の短冊だけを手がかりに熊さんが探してかけずり回る「崇徳院」など、男女の色恋や嫉妬をテーマにした演目が12編並んでいる。
 テープを起こしたといっても、台本のようにするわけでなく、最低限、身振り所作を注釈としてカッコにくくってト書きにした程度で、あとは本当に志ん朝が喋ったまま。

「おい、うちの倅、罪人じゃないんだよ、ええ? そんな乱暴なことしちゃいけないよォ。ゥ、なにしろお医者様の言うにはね、ゥ、この分でいくってえと、五日と保(も)たないやなんか言ってるんだから、いいかい? 体はすっかり弱り切ってんだから、お前さん、大きな声で耳もとでガンガンガンガンやるってえとね、エ? ん、体に障るから、いいね、なるべく、この、やんわりと…、いいかい、ねッ? うん、やさしく訊いてやっておくれよ」
(p.269「崇徳院」より)

 志ん朝のしゃべりを聴いたことのある人間なら、「ゥ」とか「エ?」で表現された「間」から、あの語り口を即座に思い浮かべ、それを耳元で聴くようにこの完全口語体を読んでいくことが可能だろう。志ん朝を聴いたことがない人にはご愁傷様と申し上げるほかないが、これは嬉しい配慮だ。そもそも志ん朝を聴いたことのない人が買う本でもないだろうから、これはこれで問題ないのかもしれない。
 しかしこの「間」をどう表現するかには、京須氏もなかなか苦労されたことと思う。労作だ。
 噺の後に「三代目圓生が得意とした題目で、志ん生はこれをこう話したが、志ん朝はそれをはしょっている。」といった具合の解説がそれぞれくっついている。志ん朝が「どううまいのか」がわかって面白い。本の趣旨が趣旨なので、ややひいき目もあるかも知れないが、ひとつの題目が噺家によってどう変化して演じられるかを知るだけでも、非常に役に立つ解説だと思う。
 売れているらしいから当面本屋に行けばあるだろうけど、これは志ん朝が好きだった人なら必読必携のシリーズだ。
(2004.3.12)


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古今亭志ん朝(京須偕充編)

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