前田愛



『近代日本の文学空間 -歴史・ことば・状況-』
 (平凡社ライブラリー
 2004年5月刊
 原著刊行1983年)

●カルチュラル・スタディーズの先駆?


 平凡社ライブラリ版の帯には「カルチュラル・スタディーズの先駆!」みたいなことが書かれてたけど、それはちょっと違うかなあという気がする今日この頃。
 前田愛氏の思索は、基本的には常に小説や批評をいかによく読むか、というところに収斂されるわけで、小説や批評から社会状況を腑分けしていくカルチュラルスタディーズとは、方法論としては似通っていても、結局違うものなのではないかなと。
 いや、そもそもカルチュラルスタディーズのことをそれほどよく理解しているわけじゃないから、あまり突っ込んでいると墓穴を掘るのは僕自身、ということになるのかもしれないけど。

●『都市空間の中の文学』と『近代日本の文学空間』


 さて、まず本書の来歴を、巻末の「あとがき」ならびに成田龍一氏による「解説 越境する前田愛/前田愛への越境」から拾っておこう。
 本書の底本が出版されたのは1983年。『幕末・維新期の文学』『近代読者の成立』『樋口一葉の世界』『都市空間の中の文学』などに続く、前田氏の単行本の一冊としてのことだ。それに「前田が生前に刊行した単行本のテーマに沿って、ときには単行本の編成を壊し論文を入れ替えるなどの作業を行い、前田の追求したテーマを再編集するという方針」で編まれた『前田愛著作集(全6巻)』のひそみに倣って、論文の入れ替え作業をおこない、再編集が施されている。具体的には「原著は三五編の論文が三部に分けて収められ、五〇〇ページ近く、原稿用紙一〇〇〇枚を超える著作であったが、ライブラリー版では、論旨の重なりを持つ論考や短文、予備的な位置づけを持つ論を削り、新たに原著には未収録であった一編、『明治二三年の桃源郷』を加え」ている。

 書名としては『都市空間の中の文学』と似ているが、本書の場合、『都市空間の中の文学』を単行本として上梓するのと平行して企画が持ち込まれ、『都市空間』に収まりきらなかった同時期の論文を三部に分けて収録したものだとのことで、最初から2冊セットの姉妹編として構想されたものではないらしい。
 そこに集められた論文は「それまでの著作の『発想の原型』が示される諸論稿であり、『姉妹編』『補遺』の様相を持つ」と成田氏によって定義されているわけだが、しかし前田氏の著作そのものが部分的に入手しづらい状況になってきつつある現在、単純に補遺的な論文というだけにとどまらず、他の論文へと手を伸ばす入口としての意味合いも本書には期待されるところだろう。
 実際、僕自身、為永春水の人情本を明治期以降の文学と地続きのものとして、連続した文脈の中でとらえようとするいくつかの論文には、目を開かせられたところが大きかった。
 同様の着眼点を持つ論文は、式亭三馬の「浮世風呂」から十返舎一九の「東海道中膝栗毛」、春水の「梅ごよみ」ときて、最後に荷風の「すみだ川」までを瞥見しつつそこに江戸から明治にかけての都市空間が連続的に映し出されていることを説いた、『都市空間』に所載の「ボク[さんずいに墨]東の隠れ家」などがある。
 しかし、本書所載の論文には、よりダイレクトに、春水らの戯作が明治期の文学に陸続きに受け継がれていることの指摘がある。
 それを「ナマ」だとも言えば言えるだろうが、江戸と明治の文学が陸続きだという認識なくしては、そこに描かれた都市空間の性格まで思いはおよばないだろう。そうした意味でも、本書の価値は十分にある。

●構造の表層としてのことば、波濤の源としての基礎研究


 ところで、これまでに述べてきたことでも明らかなように、本書の論文は、『都市空間』に進むための基礎研究であると言うこともできる。もちろん、これで「基礎」だというのが、ほとんど空恐ろしい事態であるのは言を待たない。
 ただし、基礎研究であるということは、ほとんど逃れがたい宿命として、割に地味だという特徴を持っているということでもある。割に、と言うか、たとえば『都市空間』と比較してしまうとその地味さは一目瞭然というレベルだろう。前田愛氏らしい軽やかさは、本書に収められた諸論文には少ない。それを「つまらない」という言葉で言ってしまえばお叱りを受けるだろうが、何というか、優雅に浮かんだ白鳥の水面下での足のもがきといった風情ではある。
 それは、例えば、小説を小説たらしめようとした時代の思想を、語りの構造、すなわちその構造の表層としての文体のレベルから解きほぐすことを試みた「幕末・維新期の文体」「明治の表現思想と文体」などの論文に特に顕著だ。
 こうした土台を根元に置くことで、例えば氏の樋口一葉論などがしっかりとした足場を持つのであろうことは容易に想像できるが、しかしそれと面白いかどうかということとはちょっと別問題だろう。
 しっかりした基礎の上に立ってさらなる飛翔を求めようとした前田氏の研究者としての正しさには頭の下がる思いがする。土台をしっかり固めたという意味においても、またさらなる飛翔を論に与えようとする冒険心を忘れることがなかったという意味においてもだ。だが、本書はやはり、『都市空間の中の文学』という発展系と読み合わせることなくしては正当に意味を汲むことが難しい本でもあると思う。
(2004.12.7)


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『近代文学の女たち -『にごりえ』から『武蔵野夫人』まで-』
 (岩波現代文庫
 2003年7月刊
 原著刊行1984年)

●いい仕事


 1984年の1〜3月にかけて、朝日カルチャーセンターの新宿センターでおこなわれた講義を文章におこしたもの。
 カルチャーセンターでの講義という今から考えるといささか不毛な場での講義ながら、間口の広い、かつ作品の奥底にまで触れることができるという非常に行きとどいた内容の講義になっていて、前田氏の人柄をしのばせるものがある。
 最初、光村図書出版から『女たちのロマネスク -『にごりえ』から『武蔵野夫人』まで-』のタイトルで1984年に上梓され、それが1995年に岩波書店から復刻、この岩波版を底本に、岩波現代文庫から文庫化されたのが、僕が読んだ版だ。
 この岩波現代文庫版は、編集担当が良かったらしくて、表紙をめくったところの折り返し部分に書かれている梗概が、本書の魅力をよく伝えていると思う。短いものなので引用してみよう。

『にごりえ』のお力、『金色夜叉』のお宮、『雁』のお玉、『或る女』の葉子、『痴人の愛』のナオミ、『武蔵野夫人』の道子−−日本近代文学を彩る六人のヒロイン。明治から戦後へと移り変わる時代風俗とともに女性の意識と心理を鮮やかによみがえらせ、著者独自の身体論、文化記号論を自在に援用して、作家の意図と小説の仕掛けをときあかす。物語を読む醍醐味を満喫させる名講義。

 いずれも数多くの登場人物論を持つヒロインだけに、本書ではどこに特色があるのかをアピールする必要がある。それをまとめるのに身体論と文化記号論(一部で用いられている都市論もここに入るかな)をもってきて、さらにヒロインを通して小説の仕掛けを味わうという講義の趣旨を紹介する手際がなかなか鮮やかでいい。

●一葉『にごりえ』論


 さて、いつまでも表紙を開いてぼーっとしているわけにもいかないんでページを進めると、まず樋口一葉の『にごりえ』を扱った1限目がはじまる。
 前田氏は一葉の小説を非常に高く評価しておられて、以前に読んだ『都市空間の中の文学』にあった「たけくらべ」論なども丁寧な読みこみで出色の論攷となっていた。
 本書での講義は、主婦層などを主な相手としたカルチャーセンターで、文語文カギカッコなしの一葉を取り上げるということで、文体の説明、それから舞台となる街の解説を詳しくやっている。講義の直前に蜷川幸雄の演出による「にごりえ」の舞台が日生劇場で上演されたということで、この舞台版の説明をマクラにもってきているあたりも配慮と言うべきだろう。
 まえがきには「『にごりえ』では、明治時代の裏長屋、年中行事のお盆や閻魔の賽日に目配りを利かせてある。これまでの批評や研究では、どちらかといえば軽く見られていた、そうした生活の細部にこだわることで、あたらしいコンテクストが把えられるのではないか」とある。つまり一葉が実際に体験したり、あるいは身近に触れた裏長屋での生活、遊女たちの生活というものが、単に小道具としてでなく、作品の構造を支える仕掛けとして、作中に取り込まれているのではないかという読みが提出されているわけだ。

 白眉と言うべきは、お力が結城に「お前は出世を望むな」と突然言われて「ゑッ」と驚く、その驚きを、自分が決してこのどん底の世界からはい上がることができないと知っているお力が、結城から出世云々という埒外の概念を突然浴びせられることで、自分と結城が決して相容れない別々の世界にいるのだと認識した驚きである、と指摘した箇所だろう。
 このくだりは、前に前田氏が書いた文章(『樋口一葉の世界』あたりが出典かと思うけど、未読なので自信はありません)が援用されている。木下順二の『夕鶴』で、つうが与ひょうから「もっと反物を織ってくれれば、それを売って金持ちになれる」と言われるんだけれども、それがつうには理解できない、その断絶と同じ断絶が、お力と結城の間には横たわっているんだ、というのだ。
 この説明が「なるほど」と腑に落ちるのは、続けて『にごりえ』の結末、お力と源七が死んでいたのを街の人が合意心中か無理心中かと噂して推測しあう場面について、本当は合意だったか無理矢理だったか、という問いは読者には意味がない、それよりお力がこうした無責任な噂話でもって葬送された無情にこそ意味があり、またいきいきとしていたお力がここで突然死んでしまう、そのやりきれなさを、噂話で真相を推理するという方法で癒そうとしているのだ、と説明されるからだ。
 ここで提出されているのは、結城の台詞の場面での断絶、無情、それがお力の死の場面での無情感と呼応する、という読みなのだろうと思う。まさにその照応構造を保つためには、結城の台詞にお力が断絶感を抱いたという読み方をしなければ説明がつかない、ということになるわけである。

●「新しい女」と「モダンガール」


 この調子で6回の講義すべてについて書いていっても間延びするだけだろうが、実際、やろうとすればそれができるだけの面白さが毎回の講義にあるというのはすごいことだ。
 お宮に裏切られた腹いせとばかり高利貸しとなる貫一、という見方でなく、お宮の側にもまた、自分の美貌を一種の資本として金持ちに嫁ぐ資本主義的な考え方があったと、鴎外の評を引用しながら語る『金色夜叉』。
 すべてが偶然からはじまった決定的な別れであったように見せつつ、実はそうした偶然が無くても別れはあらかじめ予定されていたと鴎外のからくりを説明する『雁』。
 このあたりで講義の方も興が乗ってきて、葉子の肉体の変調を足がかりに、「新しい女」である葉子が性愛へ流れていく意識の構造を説明した『或る女』と、時代をちょっと下って「モダンガール」のはしりであるナオミにおける同種の意識構造を併置した『痴人の愛』で、ひとつのピークを迎える。
 そして最終回が、武蔵野という土地へのトポロジカルな視点(大岡がスタンダリヤンであったことを考え合わせるべきだろう)から、ロマネスクな物語の構築とそして破壊というモチーフを導いた『武蔵野夫人』となる。

 特に『或る女』は、結局、その次の回の『痴人の愛』に内容がくいこんでいる。
 規定の時間内で収まらずに、『痴人の愛』の回の時間にくいこんだ、とまえがきでは言っているが、結果的には、この2作品にその時代の最先端の女性が身体面から描かれているということで、ワンセットの講義となっていてまとまりがついているので、なかば意図していたのではないかという気もしなくはない。ちょっとくいこみが長すぎたという反省はあるのかもしれないが。
 この講義での『或る女』論は、身体論から見た葉子論で、僕的にはちょっと苦手なアプローチだ。しかしそうは言っても、このアプローチがなかなか興味深い方法論であることは理解できる。

 まずあげたいのが「有島の場合には、女性の体にかかわる想像力というものがことのほか豊かであったということです。」(p.165)という指摘で、これはちょっと僕には意外だったのだがどうだろう。
 これは僕の勝手な思いこみだが、有島というと、白樺派で、内村鑑三に師事したキリスト教徒でもあり、浪漫主義的ではあるけれども、あまりエロティシズム的な部分とはかかわって連想されない気がする。女性の身体性に対する想像力の豊かさとエロティシズムは別個のものではあるが、また無関係でもないだろう。現代のエロゲーとかでも、女性の身体を欲望の対象としてでなく身体そのものとしてうまく描く人というのは、男性ではあんまりいない。
 それはともかく、その有島の想像力から、葉子の身体性は形づくられている。

 葉子を疎外する明治社会……田川夫妻・木村

  I 傷ついた自意識 = 理性
     ↓        ↓
  II 錯乱←幻影   = 想像力・逆上・めまい・嘔吐
     ↓        ↓
  III 官能の昂揚   = 性愛

 愛情……倉地・岡

(p.131 第4話 有島武郎『或る女』より)


 前田氏はこのような図式でもって、葉子の体の変調を物語の構造の中で位置づける(ただし、HTMLの特性上、上に図式を引用してはみたものの、多分ずれてます)。
 つまり、「新しい女」である葉子は、田川夫妻、あるいは木村ら、明治社会の、あるいはブルジョアジーの常識を担うような人々により、疎外される。プライドの高い葉子はそれによって自意識が傷つけられる。そうすると精神上のダメージから、極度に想像力が働いたり、まためまいや嘔吐など、肉体の上での変調が起こる。その象徴が、葉子の見る幻影であり、そうすると葉子は、社会の側からはじき出されてしまったものだから、よりどころとして男性を求め、性愛とか愛情を求める方向に流れていく。
 そうしたことを、有島の想像力でもって、葉子の身体を通して描き出したのが『或る女』であるというわけで、前田氏はここで『或る女』のテーマは、実は葉子の身体性の上で象徴され描かれている、と指摘している。
 『痴人の愛』のナオミは、葉子を裏返しにした形ということで読まれていて、明治期と大正期の「新しい女」と「モダンガール」が時代相の上で対置されることになる。

 こうしたアプローチから、前田氏は常に読みの可能性を探っている。
 『武蔵野夫人』に至ってはほとんど登場人物論ではなく、作品中の仕掛けから作品の構造を読み解くことに焦点が絞られている。それらが常に新鮮な驚きをもたらすとは限らないにせよ、小説の読みの可能性を探ることは欠かしてはならない読者の特権だ。
 生前、前田氏が遺した読みの冒険は、今も多くの人々に受け継がれている。願わくばその末端に僕自身も連なっていることを。
(2004.5.3)


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『都市空間のなかの文学』
 (ちくま学芸文庫
 1992年8月刊
 原著刊行1982年12月)

●一幅の光線画


 さて、なかなか感想を書くのが難しい本である。
 交差点のような、迷宮のような、そんな本なのだ。読んでいると、その端々から、いろんなところに考えが及ぶ。自分の専門分野の方向に考えが進んでいくこともあれば、取り上げられている作品の読解についてなるほどと思ったりもする。一応は文学評論書なのだが、全体としてテクスト主義の方法論を志向する中で、文学という領野を離れて、文学を飛び越えて、いろいろなことを考えさせられる。
 「いい本」というのはこういう本のことをいうのだ。

 手近に目についたところから引用するなら、例えば成島柳北の「柳橋新誌」と服部撫松の「東京新繁昌記」を照らし合わせることで、後に永井荷風が下町を歩きつつ懐かしんだ開化期の東京がどのような都市であったかを確かめようとする「開化のパノラマ」という一文は、次のような一文で始まっている。

 小林清親の「東京名所図」のなかに、「海運橋(第一銀行雪中)」と題された光線画の逸品がある。海運橋の東詰に聳えたっていた第一国立銀行は、明治五年七月に完成した三井組の為換座を新政府が買収したもので、明治初年の錦絵・銅版画・石版画にくりかえしとりあげられた東京新名所のひとつだったが、清親の作品がただよわせている一種の沈鬱な表情は、おそらくおびただしい類作のどれにも似ていない。画面の中央には、昏い灰色の空を背景になかば雪でおおわれた五層の西洋楼閣がそそりたち、手前にはそれと向いあうように番傘を肩にして、海運橋を渡りかけようとする婦人の後姿が描きこまれている。寒色で統一された画面ぜんたいの色調のなかで、きわだったアクセントをかたちづくっているのは、この婦人が締めている臙脂色の帯だ。この臙脂色の鮮かさにひきつけられた私たちの視線は、海運橋の向う側にある第一銀行の建物の線を辿り、ついでその背後にひろがる雪ぐもりの空を翔び交っている三羽の鳥の黒い影へと吸いこまれて行く。こうした斜め上方に向う視線のうごきは、五層の楼閣の第二層目までを橋の蔭に沈め、上部三層の塔屋をふりあおぐようなかたちで描きだした構図のきめ方と見事に照応している。
(p.119〜120「開化のパノラマ」)

 名文と言うしかない。
 清親の一幅の絵をあしがかりに、まず俯瞰的にその絵に描かれた第一国立銀行という建物のあらましを紹介し、それが東京の新名所であったことを述べてから、一気に描かれた絵の世界へと読者をいざなう。
 全体の印象を「一種の沈鬱な表情」と表現してから、絵に何が描かれているかその構図を素描し、「寒色で統一された画面ぜんたいの色調のなかで、きわだったアクセントをかたちづくっているのは、この婦人が締めている臙脂色の帯」であると絵の中の一点にぐんとクローズアップで近づく。そこから絵を鑑賞する者の視線の動きを順にたどって、その視線の動きが全体の構図と対照している、と構図の取り方を読みとる。
 それはつまり、清親のこの絵がなぜ「逸品」たりえるのかの秘密を、鑑賞者の視線の動きをあらかじめおりこんだ構図の中から読みとっているということなのだが、一読してわかるとおり、それを説明する前田氏の文章そのものが、この絵を眺める鑑賞者の視線をトレースする構造で書かれているのである。それも、この第一国立銀行がどういう建物であるのかを当然知っていた、開化期の鑑賞者の視線なのだ。

 この短い一文からでさえ、色々なことを考えることができる。
 まず、明治初期に鑑賞者の視線の動きを計算して構図をとっていた清親の技術に、そしてそれを解読していく前田氏の手際に、現代のマンガに通じるものを見ることが可能だろう。
 たしかに、北斎の「富岳三十六景」での「職人が作っている最中の、底のない巨大な桶を通して見た富士」などを見てもわかるとおり、読者の視線の動きを計算に入れた絵画というのは、もっと古くからあったに相違ない。
 しかし、現代に生きる僕としては、その技術に、伝統的な絵画よりもむしろマンガを想起せずにはいられない。
 そして、構図の中に組み込まれた読者の視線を、再び顕在化させる前田の手法に、例えば夏目房之助氏などがマンガ評論でおこなう「コマの間に読者の視線の動きを描き入れる」という手法に相通じるものを見るのは間違いだろうか。
 また、こうした手法によって、絵も、そして都市もまた、解読するべき情報の集積体、すなわち「テクスト」であると見なすという、テクスト主義の方法論が、ここに表現されているのも興味深い。そしてここには同時に、テクスト主義の弱点もまた示されているのもまた、興味深いところである(後述)。

 あるいはまた、そうして清親が描いた第一国立銀行の絵は、何も知らずに見たなら、それが東京新名所であることに我々は気づきえなかった、ということを思うとき、都市とはまた記憶の集積である、といった感慨にひたることも可能だ。
 明治初期の東京人なら、この絵に描かれている建物が何なのか、すぐに気がついたことだろう。また、それがさまざまな形で絵に描かれた名所であることにも、清親の視線が、他の名所案内的な図柄と大きくことなったものであることにも気がついたかもしれない。
 しかしこの建物にまつわる記憶を持たない我々には、そうした情報は開示されないままなのだ。
 したがって、この絵を理解するには、まず開化期の東京の記憶について知らねばならないし、またこの絵をテクストとして読み解くということは、同時に開化期の東京の記憶を発見するということでもある。
 それはまさに本書のテーマのひとつでもあるのだ。

●都市の記憶と「たけくらべ」論


 この本は、端的に言ってしまえば、「文学に描かれた都市」を通して、その文学に隠された秘密を解き明かす、一種の探偵譚的評論書である。
 ではなぜ、文学の中の都市を、あるいは空間を考えることが、文学の中の秘密を明らかにすることにつながるのか。もっと突き詰めるなら、都市自体をテクストとして読むことが可能なのはなぜなのか。
 その疑問には、本書に引用された安部公房氏の次のような発言が答えてくれる。

「ぼくらの血の中には、古い共同体の言葉が、すぐにも沸騰しかねない圧力をひめて、まだ息づいている。都市を語るときにも、ついその共同体的思考を借用してしまうことになる」(「都市について」)
(p.561「空間の文学へ」より)

 あるいは次のような箇所をあげてもいいのかもしれない。

 住いの空間の中で分離されるオモテ/ウラという二つの領域は、都市空間のレベルでは日常的な世界と非日常的な世界の対立構造に変換される。非日常的な世界は、住いのなかのウラの領域がそうであるように、強力な禁忌、隠微な曖昧さ、無秩序、不浄性、周縁性、体性感覚性といった日常的な世界から分離され、排除された負性の印が集められている場所である。日本の近世都市にそくしていえば、エロスとタナトスの領域として日常的な生活空間から慎重に隔離されていた郭と寺院群、あるいは芝居町、被差別部落、牢獄などがそうした場所であるが、とりわけ悪場所の名で一括される郭と芝居町の組合せは、文学のトポスとしていっそう重要な意味をもっている。広末保によれば、近世的な都市の成立は、この悪場所と呼ばれる閉域に中世の漂泊民が囲いこまれた時点に重なるという。(後略)
(p.68「空間のテクスト テクストの空間」より)

 近世までの衣服(衣冠束帯や十二単にはじまって時代劇でもおなじみの侍衣装、町民衣装にいたるまで)がそうであったように、要するに都市空間にも、それぞれの場所に様々な形で「この場所はこういう場所」というきまりごと、阿部氏の言葉を借りるなら「共同体的思考」が存在していたのである(あるいは現在も形を変えて存在している。斎藤環氏の言うように「渋谷系」と「原宿系」といった形でその都市に合わせたカラーの人びとがそこに集まる、という現象(「若者のすべて」より)は今でもあるのだから)。
 その「共同体的思考」を、あるいは都市の記憶と呼んでも差し支えない。
 そして都市をテクストとして読むというのは、つまり、その都市の記憶をつまびらかにするということに他ならない。
 白拍子や遊芸者などの中世の漂泊民が悪場所に囲い込まれた時点が近世的都市の完成と重なる、という広末氏の指摘もまた非常に興味深いが、その近世的都市空間の記憶が文学に表れた、もっともわかりやすい例を本書の中から探すなら、樋口一葉の「たけくらべ」だろう。
 評論でありながら深い哀調がこめられた「たけくらべ」論、「子どもたちの時間」で、前田氏は次のように述べる。

 もういちど「三人冗語」の『たけくらべ』評をくりかえすならば、大音寺前は、「売色を業とするものの余を享くるを辱とせざる人の群り住める俗の俗なる境」であった。大黒屋から寮の管理を託されている美登利の一家が、大音寺前の住民の中でも、もっとも露骨な吉原の寄生者であることはいうまでもない(美登利の父親は小格子の書記、母親の内職は遊女の仕立物である)。
 (中略)美登利のまなかいには、信如とのあいだをへだてる「仮初の格子門」がある。この門は美登利にとって、「何うでも明けられぬ門」であった。吉原の「大門」と張店の「格子」のイメージが重ね合わされている門だからである(関良一「『たけくらべ』の世界」)。この格子門の意味するものは、美登利の退場と入れかわりに信如に救いの手をさしのべる長吉の役割と呼応している。(中略)長吉は、この場面では吉原からの朝帰り姿で登場する。この長吉の登場の仕方には金銭ずくで犯される対象となる美登利の近い将来が予示されていると看ていい。いいかえれば、格子戸のへだてをこえられなかった美登利はすでに子どものアソビの空間から引きはなされ、大人のアソビの空間にとらえられている。
(p.370〜371「子どもたちの時間」より)

 蛇足ながら補記すると、「たけくらべ」は吉原に隣接する大音寺前の界隈の子どもたちを描いた一葉の代表作の一篇である。美しいヒロインの美登利は大音寺の跡継ぎである少年僧の信如に惹かれているのだが、前田氏が取り上げている場面では、美登利は背中に母親の視線を感じて、信如に声をかけることができない。前田氏は、鴎外・漱石・緑雨による文壇評「三人冗語」での鴎外の発言を引きつつ、ここでの母親の視線は、美登利の恋愛感情へのタブーを課すものとして設定されていると語っている。
 美登利はもちろん、美少女なわけであって、今は吉原の女郎屋である大黒屋からもらう潤沢なおこづかいで子どもたちの中の女王然とふるまっているものの、やがて、日本を代表する「悪場所」であった吉原の遊女となり、色をひさぐ運命を背負わされている。
 物語のラスト、酉の市という祭りの日に美登利は初潮をむかえ、大人のアソビの空間たる吉原へと迎えとられていくことになるわけだが、いまだ子どもたちの時間の中にいる他の少年たちと美登利は、ここで決定的に別の時間を生きはじめることになる。
 ここにどのような都市の論理が描かれているか。
 言うまでもない。それはハレの空間たる吉原は、決してケの空間たる大音寺前の下町とは同一ではなく、それどころか買う買われるのシステムでしか結びつきようがない、という断裂の構図である。
 子どもたちの時間の中では同じ界隈の遊び仲間だった、美登利と、真如や長吉、正太たちとは、酉の市の日を境にして、どこまでも埋めようのない断裂の中を生きはじめなくてはならないのだ。

●都市論からテクスト論へ


 本書に収められた各評論は、1977年から82年までという比較的短い期間に書かれている。解説での小森陽一氏の言を借りれば「一九七七年当時、まだ都市論ブームはおとずれておらず、都市と文学を結びつけ、日本の近代全体を照射しようとする発想そのものが、きわめて孤立したものであった」といった状況の中で、前田氏の苦闘は展開された。
 前田氏の永眠は1987年のことで、実に56歳という、研究者としては脂がのりきった円熟の時代を迎えた矢先の、突然の急逝であったという。
 本書の内容を書きつぐ中で、文学と都市の関係性を問う都市論という方法論が一般性を獲得し、熱病のように近代文学研究の中で広がっていった様子は、小森氏も解説の中で触れられている。しかし前田氏自身は、そこからさらに一歩を踏み込み、バルトやクリステヴァらの文学理論を取り入れて、後に「テクスト主義」と呼ばれる方法論を開拓し、『文学テクスト入門』という名著を遺すことになる。

 「テクスト主義」とは何なのかと言えば、要するに「テクストは能う限りでどのように読まれてもよい」とする考え方だ。それは次のような文章からもうかがえる。

 U・エーコのいうように、「完成され閉ざされた形としての芸術作品は、同様に開かれたものでもあり、無数の異なる仕方で解釈されうる」(篠原資明・和田忠彦訳『開かれた作品』)。一冊の書物はたしかに一個の閉された宇宙として自律しているが、そのなかに集められた言葉のひとつひとつは、原理的にはあらゆる書物の言葉が交信し、交響しあう広大な宇宙へと開かれているのである。
(『増補 文学テクスト入門』(ちくま学芸文庫)より p.15〜16「読書のユートピア」)

 どのように読まれてもよい、ということのやや極端な例として、バルトがひとつの小説を千以上に分節し、それぞれを等価なものとして解釈していった、という話がしばしば引用される。それはテクストの中の言葉はすべてが等価であるということを示すための、やや過剰なバルトのパフォーマンスといった意味合いが強いが、つまり、小説というのはなにも、始めから終わりまでを通して読んで、「作者の意図を読みとりましょう」式に読んでいかなくっても構わないのだ、ということだ。
 「作者の意図」を読むためには、例えば、その小説の主題となっているものごと、自我であるとかプロテスタントであるとか、そういったものと深く関わるエピソード、あるいはキーワードのみが重要視されなくてはいけないということになってくる。それは一定の「正しい読み方」というものを「作者の意図」という錦の御旗の元に仮定して、その他の読み方を「間違った読み」と排斥することに他ならない。
 バルトの実験的な読み方のように、すべての要素が等価であると考えるならば、どのような読みが可能になるか。
 『文学テクスト入門』の解説で、多木浩二氏はそれを「読み(レクチュール)の実践を単に意味生産という、ともすれば恣意的になりかねない方向に拡散させていくのではなく、文学の構造の問題に集中させていくことになる」とまとめている。

 本書で扱われた都市論的評論においても、こうした構造主義的な解体・解読作業は、次のように理論的な援用をされている。

 後に前田自身が明らかにしているとおり、都市をテクストとしてとらえ、文学作品を、そのテクストとしての都市の、メタテクストないしはサブテクストとして考えるということは、「作者や作中人物の内面を中心とする遠近法」を「いったん解体」し、「テクストを構成するすべての語、すべての文」を「原理的には等価なもの」(「〈都市空間〉からの読み」「解釈と鑑賞別冊 現代文学研究 情報と資料」一九八六・一一)とみなすことにほかならない。つまり。実体として扱われてきたある時代の人間の自我を、都市空間とモノと身体と言語の網の目の中で、重層的に決定されている関係性としてとらえる立場である。
(p.641 小森陽一による本書の「解説」より)

 小森氏ら、後に続く優秀な研究者によって、こうしたスタンスに基づく研究が進められたことを、ひとまずは言祝ぐべきだろう。
 ちなみに、従来的な「筋」とか「作者の自我」とかいったコードからの脱出を、構造主義ではなく現象学の立場から、そして読者としてではなく作者として志向している作家として、笠井潔氏をここであげてみたい。

●テクスト主義はなにを目指す


 しかし、一方において、「テクスト主義」というのが、要するに「言ったもん勝ち」といった側面を持っていることも事実である。
 「こう読める!」と言われれば、そこで援用された資料が妥当である限りで、それは正当なわけだ。だが、それとまったく正反対の「読み」でさえも許容しうる可能性をテクスト主義的な読解は秘めている。
 2人の読者がまったく異なるふたつの見解を提出した場合、どちらを支持するか、といった問題にぶつかったときに、結局、その人がどれだけ読者として認められているか、もっとぶっちゃければどっちがえらい人か、というところで優劣が決まりかねない、という危うさもまた、指摘されるところである。
 単純に趣味としての読書ならそれもいいだろうけれども、学問としてはそうもいかない、といったところもあるだろうし。
 最初に取り上げた清親の「海運橋(第一銀行雪中)」の構造分析にしてからが、「確かにそう言われればそうだ」というレベルから脱しきれていない。
 確かに、清親が構図の取り方に一定の意図を持っていたかどうかは、ここではひとまず関係なくて、事実として絵がそのような構成を持っているということのみが重要である。
 事実としてこの絵はそうだ。だから絵自体によって、その分析は証明されているのか。実はそうとばかりも言えないのである。
 絵というのは文章に比べてもその傾向が強い気がするが、受け手側のリテラシーによって、「どう見るか」もまた変化していくものなのだ。このあたりは、マンガ評論などの現場で、「外国の読者はこのコマの配置は読めない」といった言葉がしばしば聞こえることを思いだせばわかりやすい。
 したがって、実際の作品がそうなっている、ということは、単にそれだけの事実を解体して示しただけに過ぎない。それだけでは意味はないのだ。
 重要なのは、そこから何が見えてくるのか、であり、前田氏の説明が非常に妥当なものであるにしたところで、「だから?」という問いはどこまでも有効である。
 その構造を証したとき、そこにどんな秘密が現れるのか。テクスト主義的な読解というのは、そうした目的意識に基づいたときにはじめて有効性を持ってくる。
(2003.11.6-12)


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前田愛

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