ジョナサン・H・ピンカス



『脳が殺す -連続殺人犯:前頭葉の”秘密”-』
 (光文社
 田口俊樹訳
 2002年10月刊
  原著刊行2001年)

●コリン・ウィルソンを知ってるかい


 今は昔の話だが、90年代のなかば、ディアゴスティーニから「週刊マーダー・ケースブック」という、毎号殺人事件をとりあげて、その犯人に焦点をあてた記事で誌面を構成する雑誌が発行されていたのをご記憶だろうか。
 最近ではラジコンカーだの水彩画だの世界遺産だの、すっかりおとなしめのホビーを扱うことが多くなったディアゴスティーニだが(ただし、今月から発売される「週刊 ガンダム・ファクトファイル」には、僕自身、心が揺さぶられていることを告白しておこう)、1990年代の後半は「マーダー・ケースブック」以外にも、世界の超常現象を扱った「週刊エックスゾーン」など、当時の流行を受けてサブカル系の匂いのする雑誌も手がけたりしていた。
 これ言うとかなりの高確率で悪趣味呼ばわりされたもんだが、僕はこの「マーダー・ケースブック」が大好きで、当時木曜日になるとせっせと本屋まで出かけて、結局全号そろえたもんだ。今でも全部補完してある。いやいや、面白い雑誌だったのよ、これはホントに。

●娯楽としての殺人事件


 殺人事件は娯楽だ。
 正確を期すならば、娯楽的要素・娯楽的価値がある、と言い換えてもいいだろう。もちろん、娯楽であるというだけではない。実際に当事者になってしまった人にとっては悲劇以外のなにものでもないだろうし、殺人が許しがたい犯罪であることに異議を差しはさむつもりも毛頭ない。
 だがそれでも、たとえばワイドショーで見る殺人事件に、我々が娯楽性を期待していないと言えば、それはウソになるだろう。
 日本なら瓦版、西洋なら旅人の語りにおいて、古来より人は殺人事件を娯楽にしてきたのだし、もっと時代が下れば推理小説の勃興期に、推理小説とあわせる形で「犯罪実話」という読み物ジャンルが興隆してきたのも、同じ興味のあり方のバリエーションだと言える。さらに下れば、いわゆるクライムサスペンス(D・E・ウェストレイクの『斧』など)のたぐいは、人々のそうした興味をフィクションのワクの中で満たすがゆえにエンターテイメント小説として成立しうるわけだ。

 本書は、臨床医として100人以上の殺人犯と実際に接してきた著者が、人間を殺人に駆り立てる要因について考えを述べた本だ。ただし、仮名を用いてさまざまな殺人事件のケースを実例に挙げることで、本書は娯楽読み物としての性格も有している。
 おそらくは著者もそれを否定しないだろうし、殺人事件の要因となる家庭内での虐待を減らすためにも、娯楽として本書が広く読まれるならそれは歓迎すべきことだと言うだろう、と僕としては勝手に思っている。

●三つの特殊と一つの普遍


 ピンカス氏が指摘するところによれば、殺人を犯してしまう人間には、3つの要因があるという。
 それが『児童期の虐待』『精神疾患』『脳(前頭葉)の損傷』であり、これらの要因が複合した時、人間は自分の暴力性を理性で押さえ込むことが出来なくなり、殺人を犯すに至ってしまう可能性が跳ね上がる、というのが氏の主張だ。
 前段で「マーダー・ケースブック」の話を持ち出したのは、この雑誌で取り上げられたさまざまなケースにおいて、「ああそういえばあいつも児童虐待を受けてたよな」と思い当たったからだ。
 僕はもちろん「こんなことに気がつきました!」なんてくだらない自慢を叫びたいわけではない。
 たぶん、あの当時、同じ雑誌を読んでいた人なら、誰でも同じことを思うのではないか、と言いたいのだ。おそらく、色々な実例を知っていれば知っているほど、思い当たることも増え、本書が面白く読めるのではないかと思う(実際、僕は殺人事件フリークを名乗れるほどこの世界には詳しくないのだし。もっと詳しい人はいくらでもいるだろう)。

 実例にマッチしているからピンカス氏の説明には説得力がある、と言ってしまえばあまりに早計だが、説の妥当性はひとまずおいといて(そもそも妥当性を検討するノウハウを一般の人間は持ち合わせない)、自分の知っている、あるいは本書にも挙げられているような実例を、氏の説につきあわせてみるだけでも、僕の言う「娯楽性」というのがどういったものであるのか理解してもらえるのではないかと思う。
 人間は、ときに故意に同じ人間を殺害しうる生物であり、一定の条件さえ揃えば、僕もこれを読んでいるあなたも殺人犯たりえていたかもしれない。と同時に、被害者たりえる可能性もまた厳然と存在する。
 だからこそ殺人事件は一定の普遍性を持つ娯楽になるのではないだろうか。
 僕たちが犯罪をおかしも、また巻き込まれもせずに生きているというそのこと自体、どこかしら断崖の上を歩いているのに似た危険性を伴うものだということを実感するために、僕たちは殺人事件について知りたがるのかも知れない。
(2004.9.21)


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ジョナサン・H・ピンカス

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