白井喬二



『富士に立つ影 4巻』
 (ちくま文庫)
 白眉は4巻末、主人公である熊木公太郎が、佐藤兵之助との論戦に敗れ、父である伯典や妹のお園に、そのおおらかな性格からくるたくらみの無さを難じられて、一言も言わずにただその場を後にするシーンだろう。
 理路整然たる伯典の台詞や彼のふがいなさを難じながら、うまくとりなすから家を出ずにいろと「世間的」に、かつ饒舌に説得するお園に対して、公太郎の沈黙は「…………」の文字で示される。実に14回の沈黙は、伯典やお園が感情的になっているという状況とも相まって、彼らから様々な言葉を引き出す。その伯典・お園の言葉は、公太郎の沈黙と対照されることで、その虚飾をはぎ取られ、その言葉を発した伯典やお園の卑俗な実体を、次第に浮き彫りにしていくだろう。
 解説の井家上隆幸氏は『好漢公太郎の「虚無」』という解説のタイトルで、公太郎が作品中で持つ意味を見事に言い表す。すなわち、のれんに腕押し、ではないが、とにかく押しても引いても手応えのないおおらかさで、対する人々からその本性を引っぱり出してしまう、そのブラックホール的な吸引力。それは、読者である我々には、暗黒の穴ではなく、強い光で相手の性格を隈なく照らし出す、太陽のようなものとして見える。「虚無」的な偉大さは、「絶対者」的偉大さにつながっていくのだろう。
(1999.9.8)


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白井喬二

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