竹田青嗣



『自分を知るための哲学入門』
 (ちくま学芸文庫
 1993年12月刊
 原著刊行1990年10月)

●哲学のニーズ


 竹田青嗣氏の名前を初めて聞いたのがいつの頃だったのか判然とはしない。『ソフィーの世界』がヒットしていた頃だったかもしれないし、もっと後で大学にいたころだったかもしれない。氏の主著のひとつである『現代思想の冒険』が文庫化されたときだったかもしれない。
 いずれにせよ、氏は当時から「難解な哲学を素人にもわかりやすく解説してくれる人」だった。竹田氏の狙うところは、決して「哲学の素人向けリライト」というだけにはとどまっていない、と思うけれども、でも一般的な受け入れられ方としては、やっぱり紹介者としてのそれであったのではないかと思う。
 『ソフィー』のヒットなどとも関連するが、そうした「哲学をわかりやすく解説してくれる人」というのは、だいたい常に需要のあるジャンルなのではないだろうか。哲学とか思想の世界というのが「ある」ことはみんな知っているし、それが表立ってではないにしても、いろいろと自分たちがふれる小説とか社会全体の動きとも関連していることがある、というのもわかる。でも、いきなり自分で哲学書を読もうと思っても、そうそう理解できるものではない。というか読み通すのすら難しかったりするし。
 それをうまく解説してくれる人、というニーズに合わせる形で、竹田氏も受け入れられたのだろう。

●「自分を知るための」哲学


 竹田氏の考えの射程は、単純なリライト、というだけにはとどまらない、と前段で述べた。それはつまりこの人が「あるべき哲学のあり方」とでもいうべき規範意識を持っていて、その規範にしたがって哲学を位置づけなおそう、というような意図を持っているからだ。
 ちょっと引用する。

 哲学とは何か。
 わたしとしては、この問いに対して三つのことを挙げてみたい。

 1 ものごとを自分で考える技術である。
 2 困ったとき、苦しいときに役に立つ
 3 世界の何であるかを理解する方法ではなく自分が何であるかを了解する技術である。

(p.8-9「まえがき −哲学とは何か」より。下線部は傍点)


 すっきりとしたまとめである。本書において哲学はおおむねこのラインで理解されていく。
 そうそうそんなもんだよな、と同意する一方で、あれ本当にそんだけかい、とも思うわけですよ。
 たとえば、わかりやすくするためにちょっとあげあしとりみたいなことを言うけれども、「2 困ったとき、苦しいときに役に立つ。」というのが本当だとすると、哲学者や思想家というのは幸せに人生を送ってばっかりかい、ってことになる。
 自殺しちゃった哲学者なんていっぱいいる。アルチュセールみたいに頭がおかしくなって奥さんを殺しちゃった人もいる。ヴィトゲンシュタインみたいに、どうも読んでて苦しさを倍増させる哲学もある。本当に哲学というのはすべて苦しいときに役に立つものばっかりなのかいそうじゃないのかいどっちなんだいっ!(なかやまきんに君)

 結論から言うと、それは竹田氏が、哲学とは本来「苦しいときに役に立つもの」であるべきだ、と考えている、ということだ。
 本書はそのセンに沿って哲学を了解するための本なのである。だから、その了解の外側にある哲学、ないし哲学の要素は、ひとまず閑却されている。これはまあ、隠蔽しているとかいったことではなく、そこまで含めてしまうと収拾がつかなくなる、ということだろう。
 でも、本書で取り上げられているのは哲学の一部分にすぎないし、また本書で取り上げられている哲学者についても、それ以外の方向からの了解のしかたがあるんだ、ということはあらかじめふまえておきたいところだ。ぶっちゃけ、このラインで了解できる部分というのは、哲学の中では割と狭いんではないか、と個人的には思う。

 もちろん、そのことは本書の価値を損なうものではない。
 哲学の世界は、前述したようにそもそも大学などでそれなりの訓練を経ていない人間には、読み通すのさえ難儀な本ばっかりである。それをいちいち本格的に勉強しようとしていたら人生が終わってしまう。だから、ソクラテスからアリストテレス・プラトン、デカルト、カント、ニーチェ、フッサール、ハイデガー、ポストモダンと網羅的に解説をしてくれる本書のような書物は貴重なのだ。僕も本書で初めて得た知識は多かったし、そしてなにより文章が平易で、しかもそれほど厚くない、というか割に薄い! いや、冗談ではなくて、初心者向けの場合、ボリュームが薄いというのは大きなポイントだろう。いくら平易でも、この調子で500ページもあったら食傷になるというものだ。
 哲学を学ぶ上での底力というのは、本書のような書物をどれだけこなしているか、という部分で差がつくのではないか、という気がするのだがどうだろう。本書をもってすべてを理解したつもりになる、といった誤謬をおかさなければ、それ相応に得るところはあると思う。
(2006.6.25)


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