デイヴィッド・ブリン



『知性化戦争』
 (ハヤカワ文庫
 1990年6月刊
 原著刊行1987年)
 SF界では有名であるらしいこの本、ちらちらとあちらこちらの書評ページを見回ってみると、評判はかなりいい。まぁ、でなきゃヒューゴー賞は取れないか。
 ただ、にもかかわらず、今ひとつ、ピンとこないものがあるのはどういうことだろう。
 面白くなかったわけではない。上巻も最後の方に差し掛かった中盤以降は、ラストまでかなり熱をあげて読んだ。珍しく、夢の中でも本の内容を反芻したりしていた。
 ただ、これはおそらく、僕がとてもSFに疎いせいなのだが、物語世界をもうひとつ外側で取り巻いている「SF的世界観」というものをきっちりと把握しきれなかった感がある。

 「知性化」シリーズは、「サンダイバー」「スタータイド・ライジング」に続けて、今作が3作目となる。ちなみに、昨年にはシリーズ第2部というべき「知性化の嵐」シリーズの第1作「変革への序章」が日本訳刊行されて、これも話題になったらしい。
 すでに3作目という、シリーズの重みもあるのかもしれない。巻頭には異星人の種族名に始まって、特殊な用語、登場人物名、ティンブリーミーという異星人の操る情動文字の代表的な言葉一覧がくっついていて、世界の作り込みの密度を感じさせるとともに、「なんかすげぇなぁ」という、いかにも「本格SFですよ!」という門構えにやや圧倒される。
 本作の世界観は、「あらゆる知性体は、独自では文明を発達させ、宇宙に出ることが出来ない」というバックボーンを、大きな特徴として持っている。では異星人たちは、どうやって進化したのか。それは、他の先輩格の異星人から「知性化」という操作を受けることによってだ。
 もちろん、この世界観だと、「鶏が先か、卵が先か」ではないが、「それでは一番最初に『知性化』する技術を身につけた種族は、誰に知性化されたのか?」という疑問に突き当たる。その最初の種族は『始祖』と呼ばれ、彼らの正体に関する謎とその究明が、シリーズ全体を通しての、ひとつの大きな流れを形成するようだ。
 一方で、一応、誰の助けも借りずに進化してきたはずの地球人たちは、作中では「宇宙の鬼子(ウルフリング)」と呼ばれる特殊な存在となっている。特殊だからといって、他の異星人達から英雄視されているわけではない。むしろ、5つの銀河系の共同体である列強諸族からは、どちらかといえばうさんくさい存在と見られている。

 さて、以上のような世界設定について、独創性はもちろん評価しないといけないにしても、「SFだなぁ」という感はぬぐいがたい。
 それは例えば、「5銀河共同体」というのが、アシモフの「ファウンデーション」などから系統を受け継いだものではないかとか、さまざまな個性あふれる異星人たちの姿が「スターウォーズ」からどの程度影響を受けているのか、とか、そういった物語の外側に位置する「SF的教養」といったものに支えられた、ある種の雰囲気であり、世界観であると言えるだろう。
 これは、本作のオリジナリティの欠如を示しているわけではない。太宰を読むときには、日本的私小説の系譜を踏まえて読むべきだし、浅見光彦は推理小説という系譜の上に築かれたオリジナリティであると言うことが出来る。それと同じことなのだ。
 むしろ、ブリンのこの「知性化」という世界観は、どちらかと言えばオリジナリティにあふれたものと言えるだろうし、作者の想像力や筆力とも相まって、カッチリとした説得力のある設定ではないかと思う。
 ところが、僕の場合、SF的な教養の欠如によって、ある程度の系譜・地図が描けないため、「どこまでがブリンのオリジナルで、どこまでが先行SF作品の影響下にあるものなのか」ということさえ不分明なわけだ。
 冒頭で言った「SF的世界観を把握しきれなかった」というのは、そういう意味合いにおいてである。

 ところが、私小説を知らずとも太宰が楽しめ、推理小説にそれまで触れたことがなくても内田康夫のファンになることが可能であるように、優れた小説は、そのジャンル自体への造詣がない人間をも魅了するだけの力を持っている。
 この「知性化戦争」は、おそらく、そういう作品だと言ってよいはずだ。
 バックボーンになっているのは、抜群の、話の構成力であると思う。
 秀逸であるとは言っても、この世界観はなかなか複雑である。冒頭から、「ガース」という地球の植民惑星が他の列強諸族に攻められようとしており、地球とは友好的なティンブリーミーの大使が地球人の惑星総督とともに頭を悩ませている、といった、「濃い」シーンが展開され、さらにはそこに、地球人が「知性化」したチンパンジーやイルカの影がちらつき、かつ主要登場人物が何人も登場して来るというのに、この作者は、それをシリーズ所見の人間に読ませてしまう。それも、少し読み進めれば、ある程度の世界観とか人物間の構造が読みとっていけるように、スッキリと読ませてしまうのである。
 この構成力はなまなかではない。
 ひとつの章を短くし、めまぐるしく場面転換をおこなうことで、読者を飽きさせない、といった工夫はあるし、また、それぞれの出来事を記述する筆致も、目の前にしっかりと、地球に似た異星の風景が浮かんでくる、とても描写力に優れたものになっている(これについては、訳者の酒井昭伸氏の力と努力も大きいと思われる)。
 しかし、そういった文章表現上の工夫もさることながら、これはやはり、作者がどれだけ世界観をくっきりとつかめているか、それを読者に伝えるにはどうすればよいかという2点で、途轍もない苦労をしている証拠であると、僕は思う。
 それが出来ているからこそ、作中でゲイレットという女性のチンパンジーが、知性化の意味、知性の意味について悩み、自分のしていることが猿真似とどう違うかに苦悩するといった文明批評的なシーンも、観念的な物に浮き上がってしまうことを、かろうじて避けられているのだろう。

 上下巻で1000ページを越す分量によるちからわざという部分はあると思うし、アメリカ的な無邪気さを感じさせる部分があるという世間の評に頷ける場面もあるが、しかし、これはやっぱり、作者の労をたたえつつ、エンターテイメントとして、ひたすら作品世界に没入して読むのが正しいだろう。
 SF的な素養を持っていない僕のような人間でも楽しめるし、また、ある程度までSF界の見取り図を描ける人間なら、多分、もっと違った深度でも楽しめるはずだ。
(2002.8.14)


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デイヴィッド・ブリン

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