「不味い」



[[[砂糖だらけ]]]




 ジェームズの片眉が跳ね上がった。
「…なんだって?」

 真昼のグリフィンドールの男子寮塔。普通なら生徒は全員授業に出ている筈なのに、コソコソと身を寄せ合う影が二つ。
 正確に言えば、うち片方はベッドに横たわっており、もう一方はそのカーテンの内側に入り込んで、甲斐甲斐しく世話を焼いている様子だ。

「聞こえなかったか? 俺は不味いと言ったんだ。こんなモノが食えるか、阿呆」
「………な…ッ!」
 あまりの物言いに、一瞬頭に血が上りかける。折角、授業をサボって屋敷しもべ妖精がいない間に厨房に侵入し、『コレ』を調達してきてやったというのに。


 ――落ち着け、コイツの口が悪いのは、いつものことだ。


 そう自分に言い聞かせ、彼は無理矢理笑顔を作った。
「ふ〜ん、そんなこと、言うわけ」

 如何に仲間内で鈍い鈍いと言われていても、不穏な空気は感じるのだろう。
 スプーンを握り締めて熱々の湯気の立った皿を抱えている相手は、やや及び腰になりながらも、
「…だって、不味いものは不味いんだ」

「仕方ないだろう。僕料理なんて作った事、ないんだから」
 面白く無さそうに言い放たれた言葉に、グレイアイズが零れ落ちんばかりに見開かれた。



 シリウス・ブラックは現在、風邪をひいていた。
 その理由が誠にバカバカしく、野兎を追いかけて湖の氷を踏み抜いてしまったというものだった。彼は動物が好きで動物に好かれもするが、なんともお粗末な理由だ。
 当然、プライドと意地だけは人一倍の彼が医務室の世話になるのを是とする筈も無く、ジェームズ始めリーマスやピーターにも固く口止めし、何とか一人で治すと頑張っているところだった。

 勿論三人はしつこくマダムポンフリーの世話になるよう勧めたが、本人は頑として譲らず、結局シリウスの意地が勝ち、最終的にジェームズが看病をすることになった。

 シリウスはそれも断ろうとしたのだが、
「お前を一人で置いとくと、僕のほうが不安なんだよ」
 との言葉に、渋々頷いた。

「あーあ、勝手にやってなよね、もう」
 とは、その場にいたリーマス・ルーピンの言である。

 そして今、シリウスの目の前でホカホカと湯気を立てる御粥は、
「…うう、俺風邪引いてる時脂っこいの駄目〜。もっとアッサリしたモン食いてェ」
 と、病人特有の我侭を全開させた彼の言葉を真に受けたジェームズが、透明マント着用で厨房から調達してきたものだ。

 せいぜい出来合いのパイか、もっとお手軽なフルーツだろうと踏んでいたのだが……よりによって、まさか『手料理』が飛び出すとは。


「は、初めてって……お前、味見はしたのかよ!?」
 信じられない思いで相棒の顔を見遣れば、即答された。

「してない」

「げ。…しろよ!! それくらいッ!」
 睨みつけても、知らぬげに視線を逸らされる。

 ――この野郎。
「オマエ、これ一回自分で食ってみろ」

 皿とスプーンを突き出す。口調と目つきが、剣呑になるのは仕方が無いだろう。ベッドに腰掛けた相手は不貞腐れた様子で、顔を見ようともせず腕だけをのばしてそれを受け取った。

 ジェームズは手に持った皿の中身を凝視する。白い湯気が立っている、何の変哲もないように見える御粥。

 ――完璧じゃないか。一体何が不満だっていうんだ。

 しかし、ひとさじ掬ってそれを口に入れたことで、その疑問は氷解した。

「………うわ、甘…」
「どーだ、俺が不味いって言うのがわかるだろ?」

 熱で潤んだ灰色の瞳が、どこか勝ち誇ったように覗き込んでくる。ほんのり塩味がする筈のソレは、強烈な甘味を持っていた。
 どうやら――

「オマエ、塩と砂糖間違えただろう。ジェームズ」
 荒れた唇がニヤニヤ笑いの弧を描く。相棒の単純過ぎるミスが、楽しくて仕方ないらしい。
「なんで、味見しなかったんだよ? 気付くぞ、普通。」

 視線を合わせようとしない相手の首に、言い訳ぐらい聞いてやろう、と背後から腕を巻きつける。火照った肌に低い体温が気持ち良くて、隙間ない程ぴったりとくっついた。

「…………ったから」
「ンー? 何だって? 聞こえねーよミスター・ポッター」
 意地悪く耳元で囁く。

「…お前が心配だったから、早く戻ろうとしたんだよ」
 それに、御粥も冷めるといけないしな、と気まずげに続ける。全く格好悪いったらない。

 数瞬後、ジェームズの耳を熱い息が勢いよく掠めた。
 どうやらシリウスが吹き出したらしい。密着した体が、小刻みに震えているのがわかる。

「…ブフッ! ……お、お、面白すぎだぜ、ソレ……ッ」
 ひー苦しー、などと言って身を捩る彼は、本気で笑っているようだ。なんだか、腹が立つより無性に空しくなってくる。

「笑ってないで、いい加減離れろ、風邪っぴき。僕はコレ片して来るから」
「…い、いい、いい。俺食うし」
 喉の奥でまだ笑っているシリウスが、手を差し出す。
 ジェームズは微かに顔を顰めた。

「こんなの食べられないだろ。捨ててくるよ」
「いいって。勿体無い。俺食う」
「無理するなよ。お前甘いもの苦手なくせに」

「俺の為に作ってくれたんだろ?」

 首を伸ばしてハシバミの双眸を覗き込めば、またふいと視線を逸らされるけれど、頬の赤みは見逃さない。

「Thank you very mach」
 ふざけてその頬にくちびるを押し付けると、乱暴に皿とスプーンが突き返される。
「…よォし、言ったな? 残さず食えよ?」

「残すか、バーカ」

 とは言え、砂糖入りの御粥はやはり相当不味かったらしく、
「…やっぱまじーよ、コレ」
 だの、
「ったく、オマエってば信じらんねー」
 だの、
「バカじゃねぇ?」

 だのと文句連発で、食べ終わる頃には甘味に中てられたシリウスが、ぐったりと寝台に身を埋めていた。
 気持ち悪そうに胸を押さえて、顔色も心なしかさっきより悪くなっている。

「大丈夫かい?」
 訊いても、胡乱気に手をパタパタ振るだけ。無理にでも捨てておけば良かったと少し後悔した。

 とりあえず空になった皿をサイドテーブルに置いて、湿った肌に張り付いた髪をかき分けながら汗を拭ってやっていると、随分疲れたのだろう、シリウスはうつらうつらし始めたようだった。

 それを妨げないようにそっと立ち上がり、皿を厨房に返しておこうとベッドを離れる。

「………なぁ…」
 その布団の中から、気だるげな声がかかった。振り向いて見てみると、赤い顔のシリウスが一生懸命目を開けようとしているところだった。

「寝てなよ」
「あのさ、」
 更に起き上がろうとし始めた彼を止める為、ジェームズは慌ててベッドに戻った。
「寝てなって」
 肩を押さえつけて強めに言えば、とろんと銀灰の瞳が見上げてくる。

「……オマエの、作ったメシ、まじで不味くて、サイアクだったけど……」

 ―まだ言うかこいつは。

「…でも、なーんか、嬉しーよなぁ、そーゆーの」


 そんだけ、とへにゃり…と蕩けた彼の飾らぬ喜びの表情。
 呆気にとられて見ていると、幸せそうな顔ですうすうと寝息をたて始める。


 ジェームズ・ポッターは料理を極める事を決心した。


「それにしても…」
 最高のタイミングで、一番欲しい言葉を吐いてくれる。
 気まぐれな彼の言動に、何だかんだで結構喜んでる自分がいて。そんな関係も悪くない。

 ――悪くはないが、
「……アイツ、もしかしてわざとやってんのか?」

 罪の無い彼のスキンシップにさんざん煽られたらしく、その足元はややおぼつかなかった。



[[[Sugar Sugar]]]


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