水中カイロとはなんぞや。

秋である。

高い青空には鰯雲。
夜になると虫が鳴き、
明るい満月がすすきの穂を照らす。
人々はジャケットを引っ張り出し、
忙しい年末を控えながらもどこか落ち着いた日々を過ごす。
そして我々はラマダーンの月を迎える。←分かりにくくてごめんなさい。

実は秋というのはダイビングのベストシーズンである(諸説あるが。)。
と、いうのはこの時期は水温が一年で一番高く、透明度も目に見えて上がり、魚影も濃くなる。少なくとも「海の中」を楽しむためなら一番良い時期が秋なのだ。

しかし問題がある。
さきほど水温が高いと申し上げたが(だいたい伊豆で24度)、陸上はそれなりに寒いのだ。気温はせいぜい20度前後だが、海水で濡れた体に海からの冷たい潮風は非常に厳しい。快適なダイビングを終えて陸に上がったとたん、体の芯からの震えが止まらない、ということがよくある。

と、ここで水中カイロなるものの存在を耳にした。
通常のカイロは通気性の良い袋に入った鉄粉が酸素と結合することにより発生する熱でもってあったかくなります(後述)。つまりホッカイロがあったまるには空気が必要なわけで、水中でカイロを開こうがいくら揉もうがいっこうにあったかくなりゃません。
しかしこの水中カイロは酢酸ナトリウムの凝固熱によってあったかくなるため水中でも使用可能とのこと。これがあれば寒い水中でもあったかくダイビングが楽しめるではないかっ!素晴らしい発明である。

しかし気になるのはその仕組みである。 酢酸ナトリウム?凝固熱?過冷却?
理系っ子魂が疼きます。



材料
酢酸ナトリウム:82g(1mol)
蒸留水:60mL

まずはこの酢酸ナトリウムの入手に苦労しました。
中野のありとあらゆる薬局を訪問したのですが、最近の薬屋は素人に簡単に薬品を売ってくれないようで、「何に使うんですか?」と怪訝な顔をされた挙句けんもほろろに断られること20数件。実際我ながらよくやるよ。
唯一売ってくれそうなのは東急ハンズでしたが、こちらは量り売りはしてくれないので断念。
結局身近なところから拝借させていただきました。すいません。


で、材料をペットボトルに入れ、湯煎していきます。


こんな感じ。笑。


ちょっと怖いので中火で。
今回作る酢酸ナトリウム三水和物の融点は58℃ですがPETは80℃付近にガラス転位温度を持つので注意深く加熱する必要があります。


温度が上昇してきたら蓋を開けて。
内壁に白くこびりついてるのが酢酸ナトリウム三水和物です。


15分経過。だんだん溶けてきた。


20分経過。無色透明(ちょっと黄色?)の液体になってるの、分かります??


この状態で冷めるまで待ちます。


室温に冷めたとき。ただの液体ですよね〜


さて。ただのペットボトル内はただの液体なのですが、これをえいっとばかりに振りかぶって一振りすると…!!!!!!!????



じゃーーーーん!
ってわかります?汗
液体が突然一気に結晶化して中身が真っ白になってます!!
そして見る見る温度が上昇し、熱くて持ってられなくなるくらい発熱します!!
すげー!!!!!!


ちょっとアカデミックなうんちくコーナー

酢酸ナトリウム三水和物(sodium acetate trihydrate)は融点を58℃にもつため常温では固体として存在します。しかしこの相変態(この場合は液体→固体)では原子が不規則配置から規則配置するために「駆動力」が必要になってきます。


無駄に透過gifで作った自由エネルギー図


この図で横軸は温度T、縦軸は自由エネルギーGといい、これが低い方が「安定」であることを表します。上のグラフから見るとちょうど融点Tmを境に液体状態の自由エネルギーGLと固体状態の自由エネルギーGSが入れ替わります。すなわち温度がTmより低いと固体状態が安定であり、高いと液体状態が安定なのです。ちなみにこの図は今年の国家1種理工Tにもばっちりでてます。


まず自由エネルギー変化僭はエンタルピー変化僣とエントロピー変化儡により

とかけます。
ここでエントロピーの定義

により、

となります。

このように相変態には儺が必要になるわけです。つまり相変態は融点ちょうどで起こるわけではなく、融点から儺だけ低い温度に至ったとき起こるのです。これを過冷却といいます。

今回用いた酢酸ナトリウム三水和物の融点は58℃であり、室温は20℃程度なので実に38℃もの過冷却が起きており、これをペットボトルごと振ることにより不均一核生成が起こり、一気に凝固が始まったと考えられます。過冷却されている液体の凝固が始まるとその温度は融点に戻ります。すなわち発熱している時、温度は融点の58℃になっています。

ちなみにこれを再び湯煎で加熱すると溶け、またカイロとして再利用できるのです。面白いね〜。
たとえば水は0℃で凍るとよく言われていますが実際には冷凍庫の中でマイナス数℃くらいまでは液体のままで存在しています
別の例もあります。以前トリビアで登場していた、「ジンジャーエールを1時間半冷凍庫で冷却してから蓋を開けると突然中身が凍りだす」というものも過冷却現象の一つです。

何事にも「きっかけ」が必要でありますが、物質の凝固にも過冷却という「きっかけ」が必要なのです。実は自然現象の中にはこのように定常状態から平衡状態へ持っていくのに「きっかけ」を必要としているものが他にも数多くあり、なんとも示唆的だなぁと思わずにはいられないのです。

結局今回作った水中カイロはちょっとの衝撃で凝固が始まってしまうので実際にダイビングに持っていくことはできなそうですが、また気が向けばいろいろ調べて改良していきたいと考えていますのです。
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