かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に鶴と亀が滑った
後ろの正面、だぁれ?
「籠の中の鳥」
くだらない歌を思い出した。
本当にどうしようもなく、そしてどこか今の自分の状況を表しているかのような、そんな歌だ。
籠の中の鳥。
それは、例えば、いつまでも旧い戒めや鎖によって束縛された者のことや、幼さ故に意思や行動を他人に依存する者のことを比喩する言葉である。
今の私はそれだ。
私―――里村茜は、折原浩平という幻像に囚われて身動きができなくなっている、籠の中の鳥なのだ。
全てから忘れ去られ、総てから消え去り、凡てから葬り去られた、幻像。
もう覚えているのは、世界でもたった一人。
それが故の悲しみ。
それが故の苦しみ。
それが故の絶望。
それが故の束縛。
それが故の――――――想い。
◇
そして今日も雨が降っていた。
私はいつものピンクの傘を差して、いつもの空き地で、いつも通り独りで立っていた。
寂しさと寒さで、頬が熱を失っていく。
おぼろげな意識を宙に彷徨わせていると、ひとつの影が視界に入り込んできた。
その影は、浩平に似ていた。
似ているが故に、彼ではない影。
「こんにちは」
「―――だれですか?」
彼は私の顔を見て少し驚いた風だったが、すぐさま取り直し、「氷上シュンといいます」と笑った。
笑顔まで似ていた。それがどうしようもなく切なく、どうしようもなく憎い。
「なんの用ですか?」
「用って程の事じゃないんだけどね。何をしているのかな、って」
「ラジオ体操でもしているように見えますか?」
「いいや、さすがにそうには見えないね」
彼は再び笑った。いや、笑顔というものが常らしい。
「―――待っているんです」
私はそう言って、少しだけ後悔した。
何を待っているの?と訊かれるのが嫌だったからだ。
けれど彼はそう訊いてはこなかった。ただ、へぇ、と笑うだけだ。
「待ち人なんだ。切ないね」
「あなたに私の気持ちなんてわかりません」
「うん、それは勿論わからないさ。それとも、わかってほしかったのかい?」
彼は、今度は意地悪な笑顔を浮かべた。
私は黙るしかなかった。
「他人の気持ちなんて、理解しようと努力したってそれは無理だよ。たとえどれだけ境遇が酷似していようとも、たとえどれだけ二人の距離が近かろうとも」
「用が無いのなら帰って下さい」
「つれないね。少し話しに付き合ってくれてもいいじゃないか。そうだ、問題を出そうか。いい暇潰しになるだろう?」
「私は暇じゃありません」
「あぁ、そうだったね。それじゃ、勝手に問題を出させてもらうよ。第一問。他人の気持ちを理解するにはどうしたらいいでしょうか?」
「それはさっき、あなたが無理だと言いました」
「うん、そうなんだけどね。でも、もし可能な方法があるとしたら、それはどんなことだと思う?」
まるで、彼に心を読まれているような気がした。勿論錯覚だろう。
私は逡巡した後、小さな声で答えた。
「愛すること、でしょうか?」
「さてさて、それはどうかな?」彼は笑う。「家族、兄弟、親子、友達、師弟。そして、異性。人間は稀に、他人との親しい間柄をその言葉で表すことがある。それは自分がそう思っているからであって、言い換えれば"思い込み"だ。なぜなら他人もそう思っているとは限らないからだよ。だから"愛"という言葉は諸刃の剣なんだ。わかるかい?」
――――――ズキリ、と体のどこかが痛んだ。
「何が言いたいんですか?」
「自分が愛していても、他人は愛していない。自分が求めていても、他人は別の何かを求めている。"愛"なんて陳腐なものは、いわば幻想だよ。そんな単純なもので結ばれていなきゃ保てない間柄なんかじゃ、他人のことなんて理解できないよ」
「それじゃぁ、答えは一体なんですか?」
「それは答えられないな。では、第二問」
見かけによらず卑怯な人だ。
「約束と契約はどう違うと思う?」
「一問目とは違って、今度は具体的ですね」
「さて、それはどうかな?」
「また答えは秘密、ですか?」
「いいや、今度はちゃんと答えてあげるよ。その前に、君の答えを聞かせてほしい」
約束と契約。
その言葉を心の中で反芻すると、再びどこかに焦げるような痛みが走った。
彼は、私の弱いところを攻撃してくる。
「契約も約束も同じようなものです。ふたり以上の人間の合意で決定される事柄のこと、でしょう」
「うーん、はずれ。それは契約のことだよ。約束はもっと違う意味をも孕んでいる」
「違う意味?」
「つまりは、宿命―――」
―――ざくり、
と、今度は刃物で背骨を抉られた。思わず俯き、小さく呻き声を上げてしまう。
「約束とは宿命だよ。完全に決定されて、そのまま動くことのない完璧な決定事項。契約とは違い、人間がどうこうできる問題ではないんだ。それは人間の意志を超越した、自然に取り決められている絶対契約。回避不可能。逃避不可能。敢えて換言するならば運命。人間が言葉を交わしただけで決められる簡単な"契約"とはわけが違う―――」
痛い。
痛い。
痛い。
「―――それじゃぁ、」
それじゃぁ、私が浩平と交わした"約束"は、"約束"ではなくて"契約"だって言うの?
消えないなんて嘘?いなくならないなんて嘘?
もう戻ってはこないの?もう帰ってはこないの?
「―――私は一体何のために、」
吐き気がした。
もし目の前に彼がいなければ、私はこの苦しみと圧力に耐え切れずに嘔吐していただろう。
けれどなんとか持ちこたえた。口を押えて、涙を堪えて。
絶望からも逃げ出さず、ただただ現実の全てを受け入れた。
それはとても辛く、それはとても痛い。
どうして私が、こんな悲しみを背負わなければいけないのだろう。
「それは、君が籠の中の鳥だからだよ」
彼は笑っていなかった。
「辛いのは、君がいつまでも閉じ籠っているから。苦しいのは、君がいつまでもその場で滞っているから。切ないのは、君がいつまでも記憶しているから。寂しいのは、君がいつまでも思い悩んでいるから」そして彼は笑う。はじめて見る、彼の本当の笑顔。
「哀しいのは、君がいつまでも逃げているからだよ」
雨の音が鼓膜を叩いた。
「―――それじゃぁ、」
その刺激が脳にまで達し、私は私を忘れた。
「それじゃぁ、私はどうすればいいんですかっ!」
叫んだ。
脳から分泌された熱い塊が、喉を通って外へと吐き出される。
怒り。いいや、そんな感情ではない。
これは迷いだ。
迷っている自分が、私が思っている本当の悩みが、言葉となって放出された。
誰にでもない。
まして彼にでもない。
ただ虚空に、私の言葉は吸い込まれた。
「最後の問題です。籠の中の鳥は、どうすれば飛びたてるでしょうか?」
彼はそう笑って、私の視界から忽然と消えた。
私は空き地に独り取り残された。
「どうすれば飛び立てるか――――」
涙で視界が濁った。世界がぼんやりと、虚ろ気に浮かぶ。
かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に鶴と亀が滑った
後ろの正面、だぁれ?
私は後ろを振り返ってみた。
勿論、そこには誰もいない。
The end of "Birdcage days".
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