/ 1 「―――――――――」 ……呆気ない、と彼は云った。 彼に言葉はない。喋れないのではなく、言葉の発し方を知らない。 しかし未来永劫、彼には言葉というものは必要ないだろう。 必要なのは、磨きに磨き上げた殺戮技術だけ。 そうしてその殺戮技術の“最後”の餌食となったのが、目の前に横たわる少女だ。 「―――――――――」 ……まさかこの程度のものだったとは、期待はずれだ。 彼は無表情でその亡骸を睥睨する。 白い躰だ。華奢なほど細い手脚は彫刻のようで、触れるだけで崩れてしまいそうなほど脆く見える。 彼が眼を惹かれたのは、なんと言ってもその漆黒の髪である。 艶やかで腰まで届きそうなほど長い。まるで頭上から墨でも流したかのような、闇にさえ映える黒だった。 それも今は赤い血液で濡れている。彼の攻撃は完全に左胸を貫通しており、そこから夥しいほどの血が溢れていた。 「―――――――――」 ……これでは私がわざわざ出向いた意味がない。 殺戮―――いや、そんな残酷なものではない。牽制のつもりで放った一撃目が致命傷に繋がってしまった。 もっと愉しめるものだと思っていた。 なのにどうしてこの少女はこうも簡単に死んでしまったのだろう。 彼は脱力した。肩の力が抜け、残ったのは遣り切れなさと不快感だけだ。 死体と化したこの少女は、遥か昔、鬼種と交わり長く土地を治めた豪族の末裔だと聞く。 現在はこの地で財閥めいたグループを組織するほどの資産家であるらしい。 『混血』の宗主――――――そしてその血を受け継いで当主となった彼女は、彼にとっては強敵になるに違いがなかった。 いや、少なくとも彼はそう認識した。 だからこうやって遥々東の最果てまで足を運んだのだ。 それなのに―――――。 それなに、この少女は悲鳴ひとつ上げることなく、成す術もないまま、それが必然であるが如く、殺された。 安易に、容易に、簡単に。 期待はずれ、拍子抜け、骨折り損のくたびれもうけ。 こんなモノを敵視していた自分が莫迦らしくなる。 「―――――――――」 ……これが、遠野の現当主か。腑甲斐無い。 彼―――――“スタンローブ、カルハイン”は、表情を壊さずに身を翻した。 / 2 スタンローブ、カルハイン。 果たして彼のことを憶えているものがどれだけいるだろうか。 捕食公爵と呼称される彼は、祖の一人として数えられてはいるが、もう生きてはいない。 そう。彼は亡霊なのだ。 だから正確に言えば、スタンローブは“存在している”に過ぎない。 そうしてその存在していられる期間も、そう長くはないだろう。 やがては消滅する躯。意識や精神といった根源を成すモノさえも滅亡の一路を辿っている。 だからスタンローブは最後に何かを遣っておこうと思った。考え抜いた末、やはり自分にできる事は殺戮だけだと思った。 生涯最後の敵だ。選ぶのならば強い者ほどいいだろう。 そうしてスタンローブが選出したのは、日本に根を張る『混血』の宗主“遠野”。 その現当主である遠野秋葉だった。 それが二十七祖たるモノの厳格なる判断かといえば………そうではないだろう。 所詮は小さな島国の一角を支配して喜んでいる連中の頭だ。その程度の人間を殺しても、何の意味もなければ何の特にもならない。 まして、生涯最後の敵として選ぶには、絶対的に不十分である。 けれどそれを考える余裕も思考力も、スタンローブには残されていなかった。 それほど彼は耄碌していたのだろう。それが“悩んだ末の決断”であるかさえ怪しいものだ。 何にせよ、死徒二十七祖の第十一番、“スタンローブ、カルハイン”は、遠野秋葉を殺すことになった。 もう姿さえ顕現していない彼が日本にやって来た時節は夏だった。 深夜でも気温は下がらず、毎晩のように熱帯夜が連続していた。亡霊であるスタンローブには関係のないことだが。 そうして探索すること数週間。目標を発見したのは、浅上女学院という古めかしい建物の中だった。 周囲が暗くなるのを待ち、彼女が一人になったところを背後から攻撃した。 これまで綿密な計画を立ててきたのだ。呆気なく死なれては困る。 だから、初めの一撃は相手を威嚇するもののはずだった。 なのに。 なのに――――――。 「―――――――――」 言葉の無い彼は、結局運命などこの程度のものだったのか、と嘆いた。 運命なんて単語の意味はもうとうの昔に忘れてしまったが。 「―――――――――」 ……この地の夜はなんとも短いものだ。 山際が段々に白く輝きだした。じきに朝が訪れる。 夢とは必ず覚めてしまうモノ。 ならば、自分が視ていた遠野秋葉という生涯最後の敵は、それと同じ幻像だったのだろうか。 結局、その幻像すらも殺してしまったのだが。 / 3 太陽が天空の頂上に差し掛かった頃、身を潜めている(スタンローブの姿は誰にも見ることはできないので、実際は隠れてなどはいないのだが)浅上女学院が慌ただしくなってきた。 耳を欹てると、行方不明だとか遠野だとかという単語が飛び交っていた。 「それで晶ちゃん、いなくなった時間とかは判らないの?」 スタンローブが初めに目にしたのは、眼鏡を掛けた男だった。顔はまだ若い。優しそうな風貌ではあるが、眼の奥底には冷たい獣じみた狂気が見え隠れしている。 「同じ部屋の先輩たちに訊いてみたんですけど、朝起きたらいなくなっていたらしいです」 晶と呼ばれた少女はおどおどしながら答えた。 「ということは深夜に自ら部屋を出たってことになるね。誰かが無理矢理連れて行こうとしたなら、同じ部屋の娘たちが気づいている筈だし」 「部屋を出て、それから事故に遭ったってことになりますね」 「アイツのことだから、誘拐されたってことはまず在り得ないな」 「そうですね。そうだとしたら、今頃は誘拐しようとした人の死体が発見されている筈ですから」 「それにしても一体どこに行ったんだろうな、あの愚妹は」 「案外屋敷に戻っているのかも・・・・・って、先輩に限ってそれはないか」 どうやら誰かが行方不明になったらしい。 どうやら眼鏡の少年はその少女の兄であり、晶という少女は後輩にあたるようだ。 ・・・・・・・兄妹。 そういえば、遠野秋葉にも兄がいた筈だ。 確か名前は、遠野志貴―――――――――。 「じゃあ俺は学院の外を探してみるよ。晶ちゃんは学院内をよろしく」 「はい、わかりました」 / 4 「―――――――――」 ……夜はいい。 濃厚な闇に老いた身を晒すと、爽快感を伴った夜気が膏肓に染み入る。 何はともあれこの身体には夜という時間帯が必要なのだと改めて思う。 スタンローブは夕刻のうちに学院を出て大通りに来ていた。 辺りは静まり返り、人の気配はまるでない。 こんなに大勢の人が住む街でもこんな時間帯があるものなのだなと彼は感心した。 ……静かな夜は好い。 この闇の中でならば、誰にも負ける気がしない。 ―――――もっとも。 スタンローブが戦うことは二度とないのだが。 ◇ 何かに導かれるようにして、スタンローブは裏路地へと足を運んだ。 そこは、圧迫してくるかのような空間だった。 空気の動きが完全に止まっていて、それが一箇所に詰められているような息苦しさを感じる(感じるだけであって、実際には呼吸はしていない)。 何故今になって、こんな気分を味わうのだろうか。 疑問は沸々と湧き上がってくるが、それに解答が出せるほどスタンローブの脳は若くはない。 気を紛らわさせたくて視界を上に持ち上げた。 見上げた夜空は淀み一つ無く、煌びやかな星辰の瞬きは歪んだ空気さえ圧倒している。 空は、まるで彼方にある別世界だ。手で触れることのできないそれは憧れというのだろう。 憧れの象徴である月は、セカイの混沌を映し出しているリフレクターのようだ。 戦慄を覚えさせる濃い夜闇でさえ鮮明に炙り出す。 ――――――その反射鏡の下に、少女が立っていた。 墨を流したかのような漆黒の髪は風に靡き、対照的に肌は病的な白だ。 建物の陰に囲まれて捕らえづらい相貌は、神秘的で闇のように儚い。 彼女の服はそれこそ闇に近い黒色で、肌以外の部分は空間に溶けているかのようだ。 ―――――――――は。 息を呑んだ。 その美麗さに、一瞬間だけ、心を奪われてしまった。 「あら、こんな所で誰かと出会うなんて、私も運がいいのだか悪いのだか」 やれやれといった感じで少女は肩を竦めた。 「―――――――――」 ……オマエに私の姿が視えるのか? 驚かない筈がない。 少女の眼はしっかりと常人には視えないはずのスタンローブを睥睨しているのだから。 「そうよ。それどころか貴方の声だって聞えているわ。見かけや精神は若いみたいだけど、内臓や脳は完全に老い果てているみたいね」 言葉の端々に滲み出ている殺気。 今にも噛み付いてきそうなほどそれは強く、スタンローブは思わず一歩だけ後退りした。 「貴方を探して、どこかのバカが毎晩兄さんを攫っていくのよ。本当は、こういう仕事はシエルって人のほうがよっぽど似合ってるとは思うんだけど」 その殺気は―――。 「でも、どうやら貴方の目的は、この私みたいだから」 その殺気は―――スタンローブ、カルハインが想像していた遠野秋葉と一致する。 「そういえば、挨拶がまだだったわね」 少女の漆黒の髪は一瞬にして血の紅へと変わっていく。 それを、スタンローブは識っている。 しかしそれは、昨晩殺した遠野秋葉のそれのはずだ。 他の人間に、“これ”ができる筈がない。 そうだとすれば。 そうだとすれば、この目の前にいる少女は誰なのか。 「―――――はじめまして、誰かさん。そしてさようなら」 解かりきっているコトはひとつ。 完全に、完璧に。 当然に、必然に。 自分がここで、この少女に殺されるという事だ。 スタンローブ、カルハインの脳味噌は老い耄れていた。そのため、目標の顔を見間違えてしまったのだろう。 そうでなければ、焦燥の念が彼を囃したててよく確かめもせずに攻撃してしまったかのどちらかだ。 いずれにせよ、スタンローブは計算を誤っていた。 その中でも最大の計算外は、自分が“殺される側”に回ってしまったことだった。 ――――――果たして、遠野秋葉の略奪が始まった。 / 5 「最近は深夜にお出掛けになりませんね、兄さん」 久し振りに二人揃って朝食を摂ったあと、秋葉はティーカップを片手にそう言ってきた。 俺は思わず悲鳴をあげそうになって、どうにか抑える。 「バ、バレてたのか」 「当たり前ですよ。私をあまり甘く見ないで下さい」 額から嫌な汗が一滴落ちてきた。幻覚だろうか。秋葉の髪の毛が赤っぽい。 遠野志貴ちん、ぴんち? 「どうせ兄さんのことですから、また厄介ごとに巻き込まれていたんでしょうけど」 「そ・・・そうなんだよ。ちょっと大変な事になってさぁ。でもそれはもう片付いたんだ。誰かに先取りされちゃってね」 「先取り・・・・?」 「いや、いいんだ。秋葉は心配しないでくれ」 先月末からアルクェイドと一緒に、上陸している筈の二十七祖の一人を探していた。 しかし今週の頭にアルクェイドから連絡があり、どうやらソイツは死んでしまったらしい。 正確に言えば、何者かに殺された。 もっと正確に言えば、存在を消された。 ソイツを殺したヤツが誰なのかははっきりしていない。シエル先輩に訊いてみたが、どうやら彼女でもないようだ。 「厄介事といえば、浅上のほうでも事件があったんだって?」 「どうしてそれを兄さんが知っているんですか?」 「それがさ、浅上女学院の生徒が行方不明になったとかで、その生徒のお兄さんに偶々出会ってね。 大通りを歩いていたら、妹を探しているんですけど、って写真を見せられたんだ」 「えぇ、そうなんですよ。瀬尾たちと一緒に私も学院内を探していたんですが見つからなくて」 「その娘、髪型が秋葉に似てたなぁ。でも秋葉のほうが少し長いか」 「みんなそう言うのよね。私はそうは思わないのに」 秋葉はいじけたらしく窓に視線を移してしまった。 隣で琥珀さんがあらあらと笑っている。俺も苦笑するしかなかった。 「・・・・・・何にせよ、これで当分は兄さんと一緒にいられますね」 「――――――え?何か言ったか、秋葉」 俺がそう言うと、秋葉は急いで立ち上がって玄関に向かってしまった。今度は髪ではなくて、顔が赤くなっているように見えた。 「一体何なんだ?」 混乱していると、隣で翡翠が志貴様お時間のほうがと急かしてきた。 俺は秋葉の背中を追うように、屋敷を飛び出した。 The end of "Non stop AKIHA". *スベテヲナイムネニササゲル。 T O P |