美しい毛並みのその獣は、

私など軽く食い殺すのだろうか。

 

いいや、こっちが跪かせてやる。

 

 

『 我、獣王の下に跪かんや 』

 

 7月21日。

夏真っ盛り。太陽光は紫外線とともに彼女に降りそそぎ、セミの大音声など耳を焦がしそうな勢いだ。

彼女の夏休みは、不幸にもマーリン・オルブライトの謎の召集によって先送りとなっていた。

当然彼女には、その理由を知る由もない。

 

日本校、校舎に一番遠い練習グリーンで。

「さんじゅう、ななっ」

 パシッ…………ガコン。

「さんじゅう、はちっ」

 バシッ……

 三十八打目は、ピンに当たってカップの縁に落ちた。

 ハーシィ・エポア。キャメロット学院日本校中等部一年。彼女は今、30ヤード先のカップに向かってアプローチショットを打ち続けていた。殆ど全てがチップイン、残りもカップ30cm以内につけている。

(30ヤード以内は……ほぼ100%になったわね)

 どれもこれも、あたちの隠れた努力と才能ってやつよ……なんて少し誇らしげに胸を張ってみる。

そうしてまたカップを見据え、続きを打ち始めようとアドレスに入って、止める。

(そろそろ40ヤードに距離を伸ばしてもいい頃よね)

 そうだ。なにせは、去年のキャメロット杯で107ヤードもの距離からチップインしてみせた。

 

           *        *        *

 

 ただ目的もなく、日本校の敷地内を散策している男がひとり。

 トリスタン・リオネス。キャメロット学院英国校所属。今日は珍しく、豹柄のTシャツなど着ている。

 散策。散歩。探検。この男にこの上なく似つかわしくない行為。長い飛行機の中でじっとしていたせいか、身体を無性に動かしたい気がした、それだけなのだが。

 それでも、腕にはピッチングウェッジ『イゾルデ』。その先でリフティングをしながら、もくもくとトリスタンは歩き続ける。

(……?)

 日本の暑い夏をものともせず、敷地のかなり奥まで進んだ時、なにか、音が聞こえて、トリスタンは立ち止まった。

 そのまま次の音が聞こえないかと耳を澄ます。

 ガシャン……と、ピンにボールがぶつかったと思しき音が聞こえてきたのはそのすぐ後だった。

 日本校の誰かがいるだろうことは容易に想像できた。そしてそれが、もしかしたら七海ガウェインかもしれないという淡い期待も。

 彼の足は、音の聞こえた方向へ自然に向いていた。

 

*       *        *

 

 一年前のキャメロット杯。思い出すだけで悔しさが込み上げてくる。それと同時に、甘い感情も。

「トリスタン・リオネス……」

 彼は王者だった。直接同じ組でラウンドすることはなかったけれども、あの、例のアプローチショットを見てからは、ハーシィの自分に対する自信はほぼ失ったと言って良い。自分の射程距離である30Yの3倍以上の距離からチップインをかまされたのだ。データ上では、確か去年の段階で100Y99.78%――しかしそんなことはどうでもいい。

 ハーシィは、あのしなやかな少年をまぶたの裏に思い浮かべた。しかしそれも一年前の事、既に記憶の中のトリスタンは薄れ始めてきている。

「……キレーだったわ」

 いけない、ボーっとしてきた。

 もう一度トリスタンに会える最後のチャンスは、既に過ぎてしまったあと。まあ、あと数年もすれば、プロとして世界にはばたいているだろうトリスタンを見ることは難しくない。

 ハーシィは、40Y先のカップへSWを振るった。

「よんじゅー、さーんっ!」

 ぱしっ……

「あ、いい感じ…」

コットーン、といい音をたてて、白球はカップの底へ沈んでいった。

 

*       *        * 

 

 髪を三つ編みにした、背の低い(パーシバルよりも、低い)少女がいる。こちらに背を向けて、アプローチショットの練習をしている。どうやら背後のトリスタンには気付いていないようだ。

 グリーンまでの距離は…40Y少し。少女のボールは、吸い寄せられているかのようにカップの中へ落ちていった。無論そんなことで驚きはしなかったが。

「…………」

 一歩だけ、少女に近づく。足りない脳味噌から記憶を引っ張り出してみたが、憶えがない。多分キャメロット杯には出た事がないのだろう。

 そうしてもう一歩。そのとき、突然少女が飛び上がった。

「やった、入った!」

 少女はくるりと一回転。そしてその首が、ぎぎぎ、とこちらを向いた。

「……!!??」

 表情は驚きに満ちている。なにか謝った方がいいだろうか、邪魔したのはこちらなのだから。

「……Hello」

 言ってから、何がハローだと心の中で舌打ちする。このままでは不法侵入した怪しい男、だ。

しかしどうも近頃、自分は性格が丸くなったと言われるが、こんなところにきてまで丸くなった性格が出なくてもいいだろうに。とっさの挨拶はその顕著な例――ああ、ガウェイン、お前のせいだ。

「I’m sorry」

 いまだ口を半開きにしている少女にそう謝ってから、きびすを返す。

 校舎へ戻ろうと踏み出した足を止めたのは、少女の強気な声だった。

「待って!!」

 肩越しに振り返る。ただ引き止めただけだったのか、少女は次の言葉を探すように視線を彷徨わせ――

「何か?」

 促したトリスタンの声(当然、英語だ。私が面倒なので日本語表記だ)に、少女は鋭く耳につく音で、こう、叫んだ。

「あ……あたちと勝負してっ!!!」

 

*        *        *      

 

 黒豹が、背後から現れた。

 一年振りに見るトリスタンは、外見が随分男っぽくなった。美しさは微塵も損なっていないまま、体格も骨格も一年前の少年から、男のものに取って代わったようだった。

そして案の定、ハーシィの事は覚えていなかった。それは構わなかった。今から覚えてくれれば、全然構わない。

12番ホール、パー3。73Y。コントロールショットが苦手な者には嫌なホールだ。全体が湖というこのホール、小さなグリーンが浮かんでいるのみでフェアウェイはない。

そしてもうひとつ、嫌な要素を持っている―― 

「今日はカップまで52Yってとこかしら? ホールインワン勝負、先に外したほうが負けってわけよ」

 ハーシィは、隣で立つトリスタンに挑戦的な視線を送った。実際、そんなに余裕があったわけでもない――52Yともなると、入る確率は極端に低くなってくる。トリスタンにとっては何でもない距離だろうけれども。しかしハーシィには作戦がひとつあった。

「それで、負けた方は、校舎に帰るまで、勝った方の言うことをきくのよ」

「それで構わない」

 面倒そうに頷くトリスタンを横目で盗み見て、ハーシィはティーを差すことをせずボールを置いた。

 狙いを定めて、3回ほど素振りをしてから、

「よん、じゅう、よんっ」

 パシッ……

 リズムを取るために、さっきから数えていた数の続きを肺から吐き出す。それにしても不吉だ、44。 

 しかしその不吉を裏切るかのように、白球はピンにぶつかりそのままカップへ落ちた。

「やったっ!」

 頬を桃色に染めて、ハーシィは喜ぶ。トリスタンの手前、そんなにはしゃぐわけにもいかなかったが。

「俺の番か?」

 トリスタンは、やはり面倒臭そうにボールを転がし(当然、ハーシィのものだ)アドレスに入る。敢えてハーシィは、自分のSWを差し出すことはしなかった。彼の持つ番手は、ハーシィの目の前に現れた時持っていたPW。それを、トリスタンは、優雅に、振るった。

 それはあの変態ショットではなかったけれど、白球は当たり前のようにカップに収まっていった。

 ――ああ、キレイだわ。

ぼーっと見惚れながらも、ハーシィは腕の時計を確認するのは忘れなかった。

あと2分。

少し急いで、ティーグラウンドに立つ。これを外さなければ、あたちの勝ちよ。外したってイーブン。

 

*         *         *

 

 どうしてこんな勝負を受けたのかと聞かれれば、答えようがない。

強いて言えば、身体がなまっていたから。更に言えば、最近、このくらいの背の(そう、ガウェインだのパーシバルだの)子供に弱いということも関係しているかもしれない。

ぼんやり動機を考えているうちに、三つ編みの少女は(そう言えば、名前を知らない)2打目を打ち終えたようだった。ホールインワン。この少女も、何かの能力の持ち主なのだろうか。

「あんたの、番よ」

言われるまま、アドレスに入る。真昼の太陽が湖面に反射して、少し――かなり、眩しい。

風は、無風。星は限りなく緩やかに動いている。

パシュッ……

 距離感を第一打目で掴んでいたので、第二打目はそれなりに気楽、のはずだった。

 しかし。

「……!?」

 白球は空高く舞い上がり、カップに向かって落下を始めている。その落下軌道がずれてきているのは?

 フラッグは静かだ。けれどもその何ヤードか上、突然、星が渦を巻いている。

 ボールはカップから1ヤード斜め手前のところに落ち、バックスピンが掛かってそのまま湖に落ちた。

 それを見たとき、まず始めにトリスタンの脳を占めたのは『負け』の2文字ではなく、『ボール弁償』だったというのが彼らしいと言えばそうであるのだが――

「外したわねー! あたちの、勝ちよっ!!」

 振り向けば少女が飛び上がって喜んでいる。

「……風、か?」

「そう! ここ、11時半からピンの上空に風が渦巻きを作るってワケなのよ」

 でも勝ちは勝ちよ、そう少女は付け足した。 

 だまし討ちだと、その事に文句を言う気は湧いてこなかった。よく気をつけて見ていれば、風に気が付いたはずなのだから。慎重に打たなかった自分が悪い。

「……それで、あんた、俺に何かしてもらいたい事でもあるのか」

 不思議だったのはそれだ。彼女によれば去年のキャメロット杯で会っているらしいが、殆ど関わりのなかった自分に、一体何をさせたいのか。ゴルフで勝ちたかったのなら、今の勝利だけで十分ではないのだろうか。しかし彼女は、アプローチでの勝利などどうでもいい様だ。本格的に勝負をすれば少女は自分に遠く及ばないだろうことは、きっと少女もわかっている。不思議なのは本当の目的。

 少女は、俯き、トリスタンの足元まで駆け寄ってきて、顔を上げた。

「名前、覚えてっ」

「……は?」

「あたちの、名前と顔を覚えなさいって言ってんの!」

 少女が冗談でもなんでもなく、至極真面目に言っているのは、なんとか理解できた。

「あんたの、名前は」

「ハーシィ・エポア」

「ハーシィ……」

 忘れないように、復唱する。

 少女は、いやハーシィは、トリスタンの重低音が自分の名前を呼んだのを聞いて、また俯いた。

「……それだけか?」

 そのセリフに他意があったわけではない。他に用事がないなら、そろそろ校舎へ戻りたいと思って言っただけの一言だった。湖面のリフレクションが、暑さに慣れないトリスタンの身体を焦がしていたので。

 しかしハーシィはそのセリフをどう取ったのだろうか、今度は聞き取れない程の小さな声で、

じゃあ、キス、して」 

「……なんだ? 聞こえない」

「キス、して」

 ――聞き間違いでなければ、確かにハーシィはそう言った。

 

*               *

 

 ハーシィは、俯いていた顔を上げる。

 どうしてそんな事を口走ってしまったのかはわからなかったが、とにかく今の一言を取り消そうとして急いで口を開きかけ――

 一瞬、心臓が、止まった――気がした。 

バックに光の湖面を従えたトリスタンがあまりに美しかった。こげ茶の豹柄がプリントされたTシャツは汗に滲み、彼のしなやかなボディラインを浮き出させている。

もし魂があるなら今、口から抜け出ていってしまったかもしれない。

トリスタンは、少し困ったような金の瞳を夏の日に晒している。

長いまつげが3回瞬くと、黒い獣は音を立てずに屈み込んで、ハーシィの唇に自分の唇を重ねた。

「……う、……んー…」

 ハーシィの口の中で、トリスタンの舌は勝手に動き回る。歯茎をなぞられ、舌を絡めとられて、うまく息もできない。逃げようとしても逃げられない。後頭部にはいつのまにか骨張った彼の手。

「……………!!」

 得体の知れない感覚が、身体の奥から込み上げてくる。ゾクゾクと痺れるような感覚は、カップに球が入る瞬間に似ているようで少し違う。あの時は、こんな脳髄のとろけるような強い快感は、ない。

 窒息死するのかと思い始め、しかしこの快楽の中でなら構わないとも思い始めたとき、ハーシィの唇はようやく解放された。

 涙が溜まって目がよく見えないが、至近距離のトリスタンだけははっきり見える。口の端からこぼれた唾液を手の甲で拭っている。伏せられていた瞳と、目が、合った。

「……まさか、初めてじゃないだろうな」

 その通りだ。

「だ、だったら何なのよ」

「……少し、手荒だった、だろうかと」

 トリスタンはただ、もしかしたらこの少女が要求していたのは触れるだけのキスだったのかもしれない(当然だ、相手は恐らくガウェインと変わらない年頃の少女だ)と思っただけなのだが、そんなことはハーシィの知る由もない。

「それで、次は」

 耳に吹き込まれる、トリスタンの、命令を促す声。 

「わかんない……」

 本当にわからなかった。何を言えばいい? 今だけは、王者が彼女に跪いている。

 消え入りそうな命令が出たのはそれから数秒たってからだった。

「……もう一回、して……」

 その声を聞くや、トリスタンはハーシィを軽々と持ち上げ、近くの木陰に移動させる。陽射しが当たらなくなり、その涼しさを心地良く思っていると、また先程と同じようにトリスタンが屈んできた。しかし今度は後頭部と腰に手を回され、唇が触れると同時に体重を掛けられる。重力に従ってハーシィは芝の上に倒れ、その上にはトリスタンが覆い被さっている。

「…あ……」

 トリスタンから注がれる快楽はハーシィの理性を痺れさせる。ここが外(しかも、ゴルフコース)だとか、今は真昼間だとか、それに、なんだか遠くのほうで荒井の声が聞こえた気がしたのも。

そんなことはもうどうでもよくなっていた。

 そしてハーシィが『次の命令』を下すまでに、そう長い時間はかからなかった。

 

*        *        *

 

 ――After a while――

「日本まできてナニやってんだよ、お前」

「……アイスか?」

 首だけそちらへ向けると、やはり、そこに立っていたのはアイスだった。アイスは、トリスタンの傍らで眠るハーシィをちらりと見る。少女は、トリスタンの手によって後始末も完璧にされていた。

「ちょっと前に日本校の奴がその嬢ちゃん捜しに来た時、目撃されてんぞ?」

「だからどうした」

 本当にどうとも思っていない様にトリスタンがそう言うので、アイスは一瞬言葉に詰まるが、

「…怒ってんだよ! そんなに怒んなら最中だろうが直接止めてくりゃよかったのに、あのゴリラ、俺らに向かってキレてんだぜ? しつけがなってねーとか言い出してよお」

「言っておくが、レイプしたわけじゃない」

「あーっそ。まあそれ聞いて安心したわ。そんじゃ嬢ちゃんに、あのゴリラなだめといてくれるように言ってくれよ――じゃねぇと、アイツ、先生に訴えるとか騒いでっから」

 くわぁ、とやる気のない欠伸をして、アイスは頭を掻いている。

「騒いでいる?」

「おお、だからウチの奴等はパー公以外皆知ってるぜ」

「日本校は」

「多分ゴリラんとこで止まってる。顔知ってる連中にカマかけてみたけど、ありゃ知らねーな」

「じゃあ、ガウェインにまで入らないように根回ししてくれ」

「俺に何か得があんの?」

「帰りの飛行機、スフィーダの隣を約束してやる」

「……………がってん承知」

 いつからこんな取引ができるようになったのだろう、トリスタンは。

「んじゃ、俺は戻ってるぜ?12時半から召集かかってっから、早くこいよ――つっても、絶倫トリスタンの毒牙に掛かった後じゃ嬢ちゃん、起きねーよなー」

「一回しかしてない」

「どーせゴム1個しか持ってなかったとかだろが」

 答えないところをみると、図星か。

 そのままアイスは、校舎の方へと消えていった。

傍らに視線を移せば、少女が寝返りをうったところだった。痕をつけないように気を使い、服の乱れも直してあるが、三つ編みだけは戻せなくて解けたままになっている。その少し硬めの髪を指でもてあそびながら、トリスタンは少女の名前でも呼んでやろうとして――

 普段あまり使わない頭から、少女の名前は出てこなかった。

 

                         END  

 

 

 言い訳

  巷ではプチトリスタンなんて言われるハーシィとの共演です。

  王道カップルは書かない、進めマイナーway!がモットーの私らしい組み合わせです(汗)

  しかもハーシィ、少女漫画。

  ハーシィサイドだけで書いたら間違いなく少女向け恋愛小説です。

  しかし30Yで70%(作中では勝手に100%に引き上げましたが)と、120Yで99%じゃ

  はっきり言ってプチもなにもあったもんじゃあありませんな!

でも昨日久々にみんごる3やってたら、裏シャークが205Yからチップイン決めてくれやがりました。トリスタン顔負けです。いや、顔では負けていないけれども。

  それでは、ここまでお付き合い頂きありがとうございました。

2002. 3. 13 yogito  

+管理人からのコメント+

yogitoさんの書かれるトリの魅惑的な美しさ、黒豹のようなしなやかさが文全体から伝わってきて、管理人はハーシィの如く溶けそうです…(アホ)来るもの拒まずで、飄々としたトリの男前っぷりといったら!!わたくしトリパですが三つ編みハーシィがトリに片思いしてる様は女学生と憧れの上級生のようでけっこうツボなんですよ(笑)送っていただいた添付ファイルを読んで、このような素敵なライパクSSを書かれる方が存在していたという感動と興奮で見苦しいほど猛ってしまいました・・・トリ関係のSSを読みたいと切に願う管理人のワガママに快く応えて送って頂いて、本当にありがとうございましたvvvv

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