小さい頃から怪我は絶えなかった。
幼い頃は、朝から晩まで冒険に勤しんでいて、かすり傷なんて日常茶飯事だった。十代になると、格闘技に目覚め、それこそ毎日大小問わず怪我をつくったものだった。学生を終え、就職してからは危険な日々が続き、ここでも怪我が絶える事はなかった。
だが、完治するまでに数ヶ月かかる大怪我はした事がない。それが密かな自慢であり、誇りでもあった。
ほんの数日前までは―――
「………暇だな…」
ベッドの上で天井を見上げ、FBI特命捜査官・滝和也は呟いた。
見慣れた自室の天井は、ここ数日で更に見慣れてしまい、その内染みの数でも数え出すかもしれない程、代わり映えしないので退屈だ。
開け放たれた窓から夏にしては涼しい風と、ぎらつく太陽の欠片が差し込んでくる。
着慣れた水色のパジャマ。その色に、右足のギブスの白が映える。
自分のありさまを改めて確認し、滝はため息をついた。
「ああ、何でこんな事になったんだ?」
何度繰り返したか解らない疑問。答えは明白なようで、難しい。無情な矛盾の中で、滝は事の発端を思い出そうと目を閉じた。
と。
「滝、昼は何を食べる?」
ガチャリ…っと、ドアを開けると同時に、これまた見慣れた顔がひょっこり覗きこんできた。自分と同世代とは思えない無邪気な表情で、彼―――滝のオートレースのライバルにして戦友でもある本郷猛は、お湯を浸した洗面器を片手に部屋に入ってドアを閉めた。
「…本郷…」
無邪気な笑顔を半眼で見る。
どことなく剣呑は雰囲気の滝に気付く様子もなく、本郷はベットサイドに置いてあるテーブルに洗面器を置いた。洗面器にはお湯と一緒にタオルもセットで付いていた。
どこか嫌な予感を感じつつ、滝はその洗面器セットを指差す。
「おい、本郷。…あれなんだ?」
本郷は、おお、と言うと、満面の笑顔で答えた。
「汗をかいているだろうと思ってな、身体を拭きに来たんだ」
「な…なんだとぅぅぅー!?」
絶叫する滝を尻目に、本郷は洗面器の中からタオルを取り出し、ギュッと余計な水分を絞った。
口を金魚のようにパクパクと開閉する滝に、にっこりと微笑みかける。
どこまでも無邪気に―――
「足を怪我してるから風呂には入れんのだ、気持ち悪いだろう?今日まで気付かなくて悪かった」
我に返り、滝は両手を大きく横に振った。おまけに頭も振る。
「嫌!そんな事は全くない!!だからそんな事はするな!!」
だが、滝の必死の叫びにも本郷は笑うだけだ。
「ははは。気にするな。元はと言えば俺のせいでこうなったんだからな」
「だから、俺は気にしてない―――」
「何やってんだ?お前等?」
唐突に割り込んできた声に、滝と本郷は同時に視線を声がした方―――部屋の入り口へと移した。唐突に訪れた静寂の中、二つの視線を一身に受けている人物は、ベットの上で掴み合っている怪我人と介護人を見つめていた。
暫らくこちらの様子を観察した後、その人物は口を開いた。
「で?何やってんだ?」
それを合図に、滝が半泣きに似た声を上げた。
「隼人ぉー!良い所に来たぁー!」
「おお、一文字も来たのか」
両手を上げて喜ぶ滝と、相変わらずの笑顔で対応する本郷を見比べながら、唐突に現れた二人の友人=一文字隼人はベットに近寄った。
やたら喜んでいる滝に不思議そうな視線を送りながら、一文字は持って来たナイロン袋を掲げて見せた。
「ほい。お・見・舞・い」
ナイロン袋を受け取る本郷。
「ほほう。これはうまそうなスイカだな」
「季節モノだからな。うまいと思うぞ」
「スイカかぁ。久し振りだなぁ」
と、とにかく嬉しそうに滝。
「それはそれとして―――」
手近にある椅子を引き寄せ、それに腰掛けながら、一文字は滝の右足に視線をやった。
「いつ治るって?」
一文字の問いに、本郷が真剣な表情で答える。
「全治三ヶ月だそうだ…」
「結構かかるな」
「ああ」
「…なぁ、本郷」
何となく言いにくそうに、一文字は躊躇うような口調で言う。
「なんだ?」
「もしかして、滝の傷が完治するまで一人で看護するつもりか?」
それは滝にも是非知りたい事だった。自分で聞かなかったのは、ただ聞く勇気がなかっただけだった。…なんとなく怖くて…。
妙な緊張感漂う中、本郷は答える。
あっさりと。
「ああ、勿論そのつもりだ」
(―――〜やっぱり…)
声もなく泣き崩れる滝。勿論そんな事に気付く筈もなく、本郷は続ける。
「滝が骨折したのは俺のせいだからな」
本郷猛は、生化学研究者とモトクロス選手という二足の草鞋をはいているのだが、実は更に、世界征服を企む悪の秘密組織【ショッカー】等と戦う正義の戦士=仮面ライダー1号でもあるのだ。
本郷は相棒である仮面ライダー2号・一文字隼人と、仮面ライダーV3・風見志郎達後輩と共に、本郷が所有する屋敷を拠点に、日夜悪組織と戦っている。
FBI特命捜査官である滝は、そんな彼等と協力し合い、悪組織と戦っている数少ない生身の男だ。
ところが、数日前のある日。怪電波をキャッチした滝が本郷と共にその発信源へ赴いたさい、そこに現れた怪人に吹っ飛ばされ、受身を取る暇もなくコンクリートの上に叩きつけられてしまった。
本郷は慌てて滝を連れ一時退却。すぐさま滝を病院に連れて行くと、右足が骨折しており、全治三ヶ月だと言われた。病院に入院すると、特命捜査官としての仕事が全く出来なくなってしまうので、入院をせず自宅療養にしたのだが、自分のせいだと言い張る本郷に監視され、結局何も出来ないでいる。
更に甲斐甲斐しく世話を焼く本郷に、滝はたった数日でかなり参っていた。
「それはそうと、怪電波の方はどうなった?」
本郷の問いに、一文字はそれなら…、っと答える。
「無事解決したから心配ない。お前が言った通りの場所に基地はあったよ。俺達が到着した時には蛻の殻だったが、直ぐ後を追ったからな。程なくして決着はついた」
「そうか。それだけが心配だった…」
暫し感慨深げに遠くを見つめていた本郷だったが、再びお湯を絞ったタオルを持って振り返った時には、どこまでも無邪気な笑顔で笑っていた。
その笑顔を見て、滝の背筋を悪寒が駆け上る。
「だから、俺は大丈夫だって…!」
本郷の手から逃げようと無駄な努力―――後退りをする滝の腕をがっしりと掴み、本郷は不気味にタオルを光らせた。
「そう遠慮するな。汗をかいていないわけないだろう。汗をかいていなくても数日風呂に入らなければ気持ち悪いもんだ」
「嫌、だから、つまりだな―――」
慌てふためく滝。本郷は構わずパジャマのボタンを外しにかかる。
滝も全力で抵抗するのだが、何せ相手は技の1号。かなう筈がない。
ボタンはあっさりと外されていく。
「だから恥かしいんだっつんてんだ!―――」
―――ドスッ!
なにやら鈍い音が響き、滝の目の前から本郷が消えた。
「……?……」
訳が解らず呆然としている滝の耳に、一文字の声が届く。
「そうかそうか。今から昼飯の買出しに行くのか。お前一人行かせたらとんでもない物を買って来そうだから一緒に行ってやろう。な、滝?」
話を振られ、何となく滝は頷いた。良く見ると、直ぐ脇に湿ったタオルが落ちている。
「本郷は味オンチの上に、思いつきで料理をするから栄養のバランスもあったもんじゃないだろう。今日は俺も手伝ってやろう。な、滝?」
又話を振られ、何となく頷く。良く見ると、ベットの端に、僅かだが本郷の足らしき物が引っかかっている。
「急いで買いに行かないと昼をまわるぞ、本郷。さぁ、早速今すぐ超特急で買いに行こう。じゃ、行ってくるな。滝」
はたまた話を振られ、再度頷く。何やら引き摺るような音を立て、笑顔で去っていく一文字を見送る。視界の端で、ベットに引っかかっていた本郷の足らしき物が消えた。
「思いっきり楽しみに待ってろよ。滝」
そう言うと、何やら四肢をだらりと下げて気を失っているらしい本郷の首根っこを掴んでいる一文字は、ドアを閉めて行ってしまった。
隣の部屋から物がぶつかる音が暫し聞こえてきたが、それも程なくして聞えなくなった。
一人残されて自室の中で―――
「……えぇぇっと…」
とりあえず、一刻も早く傷を治す事を心に誓う滝和也だった。
「…大怪我なんてするもんじゃない…」
そのせいあってか、予定よりも一ヶ月以上も早く、滝は全快したのだった。
終
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