冬の海から吹く風は酷く冷たく、それはまるで二人の関係のよう。空から降り注ぐ雪が積もりゆく様をどこか切なげな瞳が見つめる。それは、全ての始まりと全ての終わりを見届けた者しかもたない瞳。その瞳をもつ者は、最後に嘆息すると、誰もいない狭間へとその姿を消した―――そして又物語は始まる。『死神の憂鬱』一月二十三日上映開始。
「………………」
それだけを心の中で読み上げ、仮面ライダーV3・風見志郎は眉間に皺を寄せた。ちらりと瞳だけを動かし、目の前に立っている人物を見る。
「面白そうだろ?」
何が楽しいのか妙にウキウキとした様子で、目の前の人物=仮面ライダー2号・一文字隼人は満面の笑顔でそう言った。
風見が持っている映画のチラシ―――右上に黒い小さな文字が数行並び、左下にタイトルが水色の紙にでかでかと印刷された陳腐なチラシ―――を指差す。
「キャストも凄いがスタッフも凄いんだ。脚本なんか『悪魔の小躍り』も手がけた人でさ」
「嫌、何ですかそれ―――『悪魔の小躍り』?」
聞き返しながら、風見はチラシの右下に書いてあるキャスト&スタッフの名前に視線を移した。どの名前にも見覚えはない。
一文字は、やや不機嫌な嬉しそうな表情で(そうとしか表現できない)首をかしげた。
「知らないのか?五年前の映画なんだが、結構評判いいんだぞ」
「………そうですか」
一体どんな映画なのか、どういう理由でどういった人達に評判が良かったのか、既に想像するのも恐ろしくなり、風見は顔を固くしそれだけを答えた。
「他に誰かいたら、志郎も誘うんだけどなぁ」
「いえ、結構です」
「……嫌に答えが早かったな」
思わず即答してしまった風見に、一文字は満面の笑みを向けた。いつもならその暖かさに頬も緩むのだが、今日はとても緩みそうにない。
風見の頬に一筋の汗が流れた。
と。
「おい、隼人。そろそろいかないと遅れるぞぉ!」
玄関の方から、仮面ライダー1号・本郷猛の声が飛び込んできた。一文字は振り返り「もうすぐ行く」と答えを返すと、再び風見に笑顔を向けた。
「それじゃ留守番よろしくな」
「……はい」
風見の返事は、一人だけになった本郷邸に良く響き渡った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
珍しい事というのは、めったに起こりはないが決して起こらない訳ではない。頭の中で想像する事も出来るし、そうなるだろうという予感もした事がない訳ではない。つまりはそういう事だった。
風見志郎一人で本郷邸にいる―――留守番をしているという状況は。
「さて、どうしたものかな…」
一人残されたリビングで、何となしに呟きながら辺りを見回した。
呟いても返事は返ってこないし、おまけに妙に淋しく消えていく。いつもなら最低二人か三人いて五月蝿いほど賑やかなリビングなのに、一人でいるとこうも広く、静かに感じてしまうものなのか…。
久し振りに一人だけで家の中にいる―――何故か当たり前の事を、風見は心の中で呟いた。
「…子供じゃあるまいし…」
自嘲気味に短く嘆息すると、風見はテーブルの上に置きっぱなしになっている雑誌を取り上げた。昨日、本郷猛がコンビニで購入してきたバイク専門雑誌だ。
それを適当に捲りながらソファーにその身を預ける。
「……………」
TVも音楽も流れていないが、その分、外から色々な音が流れ込んできていた。風に吹かれた木々のざわめき。どこかで鳴いている小鳥の声。道路を走り抜ける自動車のエンジン音。近所の人の話し声―――雑誌を開いてそこへ視線を落としているというのに、風見の意識は外へ向いていた。
つまり、それだけ、
(する事がない…)
訳だ。
何せ、洗濯や掃除などの家事全般は全て出かける前に神敬介や一文字隼人が済ませてしまっているし、特に何かやらなければいけない用事というのも風見にはないし、余った時間を有意義に過ごす手段も特に思いつかない。特訓をしたいのは山々だったが、留守番をしているのであまり他に熱中する訳にはいかなかった。
おまけに何故か気が散漫していて、集中力が低下している。この状態では何をしたとしてもいい成果は期待できない。
「困った…」
とうとう一行も読めないまま、風見は雑誌をテーブルに戻した。
雑誌は少々文句の言葉を言ったようだが、それも直ぐに消えてしまい、後には静かな空間だけが残された。外からしか音が聞こえない静かな空間が………。
「…一人…か」
考えてみれば、本当に一人でいるのは久し振りだった。
狭くないと言えど、成人男性が十人も住んでいるのだからそれなりに騒々しい。【デストロン】等の悪組織が目立った行動をしなければ、いつも誰か数人屋敷の中にいて、自分の仕事に関する事か趣味か何かしらに打ち込んでいる。
それが当たり前になっていた。
静かな家で一人たたずむ事などなくなっていた。
だからだろうか?こうも集中力がかけ、落ち着かない気持ちに支配されているのは。
(…淋しい…?)
思わず苦笑が漏れる。何を淋しがることなどあるのか。嫌でも後数時間すれば皆は帰って来る。それまで一人で留守番をするだけだ。子供にだってできる。
それなのに―――
「…コーヒーでも入れるか…」
風見はグルグルと回りだした終わりのない思考を断ち切るように、わざわざ声を出して立ち上がった。
あまり深く考える事をせず、一直線にキッチンへ向かう。
―――と。
「只今帰りました!」
何やら几帳面な体育会系の挨拶が聞こえた。
こんな事を言ってからじゃないと玄関を跨ごうとしない(勿論、緊急時は別だが)男を、風見は一人しか知らない。
キッチンへ入る一歩前で踏み止まり、風見は玄関へ向かった。そこには、予想通りの人間が用事から帰ってきた様子で、玄関のドアを閉めていた。
「あ、只今帰りました。風見先輩」
爽快な、青年らしい笑顔を浮かべて、仮面ライダースーパー1・沖一也は改めて風見に帰宅の挨拶をした。それに風見も微笑を浮かべて挨拶を返す。
「ああ、お帰り一也」
どことなくホッとする自分に、思わず心の中で苦笑する。
そんな風見の事など気付かなかったらしい一也は、「アレ?」と小さく疑問の声上げた。
「どうかしたか?」
辺りを見回し始めた一也に、風見は問い掛けた。
後頭部を左手でかきながら、
「イエ、何だか静かだなぁっと思って。……先輩達いないんですか?」
控えめに一也は疑問を口にした。
それに、小さく頷き返す。
「まぁな。本郷先輩と一文字さんは映画鑑賞に出かけた。結城は大学の時の恩師に会いに、敬介は―――知ってるな?仕事で今頃沖縄だ。アマゾンは遊びに出かけたまま帰らないし、茂に至ってはいつもの風来坊癖が顔を出したみたいで、いつ帰って来るか解らん。筑波はいつものアレだ。…それはそれとして―――コーヒーでも飲むか?ちょうど入れようとしていた所なんだが……」
そう言いながら少しずらしていた視線を再び一也に向けると、何故か一也は緊張した表情になって固まっていた。
「……どうかしたか?」
不審に思って風見は問い掛けてみたが、
「イエ、何でもありません」
一也は先程とは違った笑顔でそう答えるのみだった。
そう、先程―――帰ってきた時に見せた青く澄んだ空を連想させる爽快な笑顔とは違う、どこか微妙に曇った笑顔…。
(何だ?)
それに違和感を感じながらもそれを追求する訳にもいかず、とりあえず風見は二人分のコーヒーを入れる為に、一也をリビングに放り込んでからキッチンに引き返した。
各自専用マグカップ(オーダーメイド)が置かれている棚から自分の分と一也の分を取り出し、コーヒーをスプーンを使ってビンからマグカップに移動させる。一也はブラックで。風見はブラック無糖で。
コーヒーを入れながらも、風見は先程の違和感の事を考えていた。
(…何かマズイ事でも言ったか?)
何か彼の気に触る事でも言ったのかと思い返してみるが、そんな可能性のある事は一言も口にしていない。ただ、全員が出払っていると言っただけで―――
(俺と二人っきりと言うのが駄目なのか?)
ふと思いついた答え候補だったが、そうなると今度は彼がそう思う理由が解らない。昨日も今朝も、特にこれと言って嫌がられている節はなかった。
どちらかと言えば慕われている。
「考えても仕方ない…か」
どうも今日は何事にも集中力がかけていけない。こういう時は頭を空っぽにした方が回復が早い。
風見は、又、無理矢理思考を中断させると、お湯を入れたマグカップ二つを持って、一也がいるリビングへ向かった。
「あ、先輩。ありがとうございます!」
リビングのソファーの隅に座っていた一也は、風見がリビングを入ると直ぐに立ち上がった。素早く風見の前まで来ると、手から二つのマグカップを受け取り、それをテーブルの上に置いた。
その行動に、やはり違和感を感じる。
(どうも変だな…)
緊張しているようにも見える。だが何に?風見と二人っきりになるのは初めてではない。前回はこのような態度を一也は見せなかった。では何だ?
(何が何だか…)
風見はため息をつくと、自分のマグカップが置かれた前のソファーに身をしずめた。
それを確認してから一也も風見の目の前に座る。勿論、その前には彼専用マグカップがある。
ふたつとも湯気が立ち昇り、それと同時にコーヒー特有の香も漂っている。
とりあえず、折角入れたのだからコーヒーを飲む事にした。
(カフェインを取れば、少しはマシになるかもしれない…)
そんな期待をしながら、風見はマグカップに手を伸ばした。
しかし―――
「先輩…」
くぐもった一也の声に名を呼ばれ、風見は思わず手を止め、目の前の人物に視線を移した。
膝の上で両肘をつき、何かに耐えるようにきつく両手を握り締めている一也を…。
表情は下を向いているので良く見えない。
「……何だ?」
静かに問う。脳裏を疑問がよぎる。違和感を感じる。
「少し、話しを聞いてほしいんです…」
くぐもった声。きつく握られた両手。震える肩。
「…何だ?…」
繰り返し問う。上ずった声。激しくなる動悸。
「…単刀直入に言います。その方が理解しやすいと思いますし…」
一也が顔を上げた。淡くゆれる瞳。切なげな表情―――
「心の底から愛してます。付き合って下さい」
夏の青空のような声で、一也ははっきりと言った。
風見は、それをただ受け止めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「それで答えはOKだった訳か?」
ウンザリした表情で、仮面ライダーストロンガー・城茂はキッチンに置かれた食事用テーブルの上のクッキーに手を伸ばした。神敬介御手製バタークッキーは、茂の口の中で甘く溶けていく。
あまり甘い物が好きではない茂だが、その感触は結構気に入っていた。
その感触を楽しみながら、“あの日”の事を思い出す。
(朝っぱらから一文字先輩に叩き起こされて夜まで帰って来るなよとか言われたのは、全部この為だったんだな…。他の奴等も多分、全員一文字先輩が追い出したんだな)
その数日前に二人が神妙な顔付きでコソコソ話している姿を見かけていた事を、茂は薄ぼんやりと思い出した。
(映画鑑賞とかも嘘クセェー)
どうせそのチラシとやらも自分で作ったんだろうな―――と考えながら、茂は二枚目を取ろうと手を伸ばした。それと同時に、正面に座っている相手=沖一也は口を開きながらかぶりを振った。
「イエ、答えはそうじゃありませんでした」
「え?!嘘だろ!」
予想もしてなかった一也の答えに、茂は思わずクッキーを取ろうとしていた手を止めて聞き返した。
そんな茂に、一也は嬉しそうな笑顔を向けた。
「何笑ってんだよ…?」
その笑顔に得体の知れない物を感じ、茂は軽く睨み返した。中断していた動作を続行し、クッキーを口に運ぶ。
「本当に断られたのか?」
睨み付けても変わらぬ笑顔で自分を見る一也に、茂は信じられない気持ちで問いを投げた。愛の告白をして断られて笑っているはずがないし、第一、今現在彼等は付き合っている。本当に断られたのなら付き合っている筈がない。
一也は、自分もクッキーに手を伸ばしながら口を開いた。
「断られてはいません」
「はぁ?」
またもや予想もしてなかった答えに、茂は素っ頓狂な声を上げた。
「OKをもらった訳じゃねぇ。でも、断られた訳でもねぇって、一体どういう事だよ!」
回り持った言い方をされた茂はイライラしながら問いただす。
(そんな言い方をする奴ぁ、一人だけで充分なんだよ!)
何やら目が釣りあがりだした茂に、それでも嬉しそうな笑顔を向けたまま、一也は口を開いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「時間をくれ」
暫らくの沈黙の後、風見はそれだけを答えた。
「……え?」
どこか呆けた表情で自分を見上げる一也に、風見は眉間に皺を寄せた難しい表情を向ける。
「時間をくれと言ったんだ。お前はよく考えた上での発言だと思うが、俺はそんな事考えた事もない。だらか考える時間をくれ」
「考える時間……ですか?」
「そうだ」
えらくキッパリと風見が答えると、それに押される形で一也は首を縦に振った。
だが、まだ今いち理解してないようだ。
風見は静かに息を吸い込んだ。
内心動揺しているのだが、それを相手に気付かれないように。
そして―――
「お前の気持ちを無下にしたくない」
穏やかな微笑を向けて、風見は今現在の本心を答えた…。
終
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