それは正に青天の霹靂だった。
先ほど言われた台詞を何とか呑み込もうと試みるが、何かに邪魔されて思うようにいかない。咽喉が痛い……胸も痛い―――それは何故?
ふと見ると、軽く組んでいる両手がかすかに震えていた。良く見ると汗もかいている。
それを信じられない気持ちで呆然と見つめならが、それでも聴覚は―――視覚以外の全ての感覚は彼の方へと集中していた。頭はそれを激しく拒んでいるというのに…!
(…何か言わなくちゃ…)
そう、答えを、返事を返さなければいけない。
彼はきっと待っているだろう。待っているに違いない。そして多分、自分の答えなど予想しているのだろう。
(だって、俺はそんな事考えた事もないんだから…)
答えは決まっていた。迷う必要もない。今激しく動揺しているのは、想像さえした事のない事態にショックを受けているからだ。それ以外の理由なんてない。
―――それなのに…
「…あ…あのさ……」
―――どうしてこうも咽喉が乾く?
言葉が上手く出てこないもどかしさに焦りが生まれる。いつまでも震えの止まらない両手を、青筋が浮くほど力をこめて握りしめた。
唾を呑み込み、何とか返事を返そうと口を開いた瞬間、
「しなくていいです」
降り注ぐような柔らかい声が頭の上から降ってきた。
「……え?」
意味が解らず顔を上げて彼の顔を見ると、見慣れた微笑が自分に向けられていた。鍛えられた体には少し不釣合いなようにも思える、少年が浮かべる爽快な―――あの、自分が好きな青空に似た雰囲気をもつ微笑が…。
音が全て消えた気がした。
不可思議な感覚に戸惑う。彼の微笑の意味が解らず困惑する。
「無理しなくていいですよ」
戸惑う自分を真正面から見つめたまま、彼―――仮面ライダースーパー1・沖一也は、もう一度同じ台詞を繰り返した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
自分のベットの上は居心地がいい。
スカイライダー・筑波洋は、本郷邸にある自室のベットの上で寝返りをうった。布団に顔を埋め、その柔らかな感触にホッと息をつく。自室にいる時は本当に意味でリラックスできた。
「……別に皆といる時緊張してる訳じゃないけど…」
ポツリと漏れた自分の声が嫌に弱々しい。それに驚きを感じつつ、筑波は何だか情けなくなり長い長いため息を漏らした。
先程言われた台詞を思い出す。
『無理しなくていいですよ』
先輩ばかりいる筑波の数少ない後輩であり、そして一番近い同期であり、故、一緒に行動する事も多い戦友―――仮面ライダースーパー1・沖一也。
何を思ったのか、彼はいきなり自分に愛の告白をし、その上返事をしようと必死になっている自分にそう言い放った。
(“言い放った”…ってのは、正しい表現じゃないかも…)
どちらかと言えば“包み込む”という表現の方が合うだろう。
だが、そんな事は兎も角、
「その意味が解んないんだよなぁ〜!」
布団に向かって大声をあげる。布団に半分以上の声量が吸い取られていったが、腹から声を出した事により、モヤモヤして重く覆い被さっている気持ちが少しはスッとした。ま、ほんの気休め程度なのだが…。
寝返りをうって、今度は天井を見上げる。本郷邸に先輩ライダー達と暮らすようになって早幾年月。すっかり見慣れてしまった天井はほんの数m上から、ただ黙って筑波を見下ろしていた。
その天井に一也の顔が浮かぶ。
真正面からしか物を見る事を知らない澄んだ瞳。その瞳に自分はどういう風に映っているんだろうか?
「俺のどこを好きなったって言うんだろうなぁ…」
そう言えばそこら辺は聞かなかったな―――と、改めて自分があの時動揺していた事を思い出す。自分のどこを好きになったのか、どうして告白しようなんて思ったのか、そして、どうしてあの時あんな事を言ったのか……
「俺が何を無理してるって?」
無理なんてしていない。自分はいつだって自然体で戦ってきたし、誰とだって自然体で付き合ってきた。
(そりゃ、先輩達の前で緊張しなかったって事はないけど…)
でも自分は自分だった。
それは偉大でアクの強い先輩達の前でも、可愛い後輩達の前でも変わらない。
苦しかった事も悲しかった事も、嬉しかった事も楽しかった事も、全部“筑波洋”で感じて、“筑波洋”として考え行動してきた。それは確かな事で、人に『無理をしている』とか言われる筋合いはない。
「…一也にはそう見えなかったって、事なのかな…」
無理をしているように見えたのだろうか?
それが彼には悲痛に見えたのだろうか?
だが、一体何に無理をしているように見えたというのか。
「先輩達に? 悪組織との戦いに? 改造人間としてとか?」
指を折りつつ数えてみるが、どれもいまいち違うような気がする。
暫らく唸ってから、筑波は数えていた指を投げ出した。ポスンっという音を立てて、右腕は布団に埋もれた。
答えの見えない問いが筑波を苦しめる。
筑波は体を起こすと、ベットから立ち上がり、部屋の中央でもっともらしく人差し指を立たせた。どこかの大学の教授のように、歩きながら考えてみる。
「ん〜、こういう時は違う方向から考えるのがいいって、父さん言ってたな!よし!」
筑波は一度、≪沖一也が何故自分に『無理しなくもいい』と言ったのか?≫という疑問を棚の上に放り投げ、それとは違う問題≪自分は沖一也の事をどう思っているのか?≫を検討する事にした。
一応、彼への返事はまだできていないのだから。
今まで自分が見てきた“沖一也”という人物を思い出しながら言葉を紡ぐ。
「…嫌いじゃない。いい奴だもん。どっちかって言うと好きだよな。あの自分に対する姿勢は、本っ当凄いと思うし…」
だからと言って、付き合ってくれと言われても―――
「YESなんて、答えられないよなぁ」
それとこれとは別なのだから。そもそも、同姓という時点でそんな考えは浮かばない。
「じゃ、一也が女の子だったら?」
不意に浮かんだ疑問。だが、これもあっさり答えが出た。
「やっぱりYESなんて言えないなぁ…」
嫌いじゃない。どちらかと言えば好きだ。だが、彼の中に足を踏み入れる気にはなれない。今ままでの状態が、一番いいと筑波には思える。
「今までいい戦友としてやってこれたのに、それを壊す理由ってなんなんだろう…?」
答えを見つけては新たな疑問が浮上する。
その事に気付き、筑波は思わず苦笑した。
「一也があんな事言わなきゃ、今頃空を飛んでるのにな〜」
窓に近寄り、そこから空を見上げる。
まだ日は高く、青い空も気持ちいい程高く澄んでいる。この空を鳥のように飛んだら、くだらない悩みも一気に消し飛んでいくのに。空に溶け込みそうになる、あの何とも言えない感覚は経験した者にしか解らない。
「風もいいみたいだし、ちょっと行ってくるかな〜。ハングライダーが無理でも、俺には重力低減装置があるし」
最近使ってないけど―――苦笑のような笑みを漏らし、筑波は振り返った。そのまま部屋を出る為にドアへ足を向ける。
もう考えるのは止めよう。いくら考えても、本人に聞かなければ答えなんて出る訳がないのだから。告白に対する自分の気持ちもハッキリしているし、これ以上グダグダ考える必要なんてない。今、彼に会えば気まずいかもしれないが、きっと向こうだって本気で言った訳じゃないだろうし。気の迷いだったのなら、その内元通りの付き合いが出来るようになる。
兎に角、筑波にとって一番重要なのは、沖一也との関係を今まで通りの状態で維持できるかどうか。ただそれだけだった。
「そう、それだけが心配―――」
「何が心配ですか?」
ドアを開けながら呟いた独り言に返事が返ってきた。あわてて声のした方に視界を移すと、今一番会いたくない相手が廊下に立ってこちらを見ていた。
「どうかしたんですか?」
いけしゃあしゃあと言ってのける相手=沖一也は、筑波とは反対に自室に戻る途中のようだった。ドアのノブに手をおき、少し開いた状態のまま止まっている。
「嫌、別に何も心配じゃない…け、ど?」
一也の顔を見た途端急に上昇した動悸を相手に知られないよう、何とか取り繕う。それに気付いているのかいないのか、彼はいつもと同じように話し掛けてくる。
(…俺が告白されたんだよなぁ…???)
どうも反応の仕方から逆だったような気がしてくる。
筑波は心の中で思いっきり頭を左右に振り、少しでも自分を落ち着かせようと試みた。
一也は、自室の前から筑波の方へと歩き出した。さほど離れている訳ではないので、彼は直ぐに筑波の目の前に到着した。
真正面からでしか物を見る事を知らない瞳が、少年のような屈託のない微笑が、自分に真っ直ぐ向けられる。
「それで、筑波先輩はこれからどこへ行かれるんですか?」
何気ない彼の問い。それに答える為、筑波は口を開いた。
「え?俺はちょっと空へ……」
―――空を飛べば、くだらない悩みなんて一気に消し飛んでいくから―――
「空に溶けてこようと思って…」
―――沖一也に抱いている気持ちだってどこかへ消し飛んでいくから―――
「………え?………」
(俺、今なんて考えた…?)
筑波は思わず自分の胸倉をきつく握った。動悸が激しい。そのせいか、心臓の音以外の全ての音が遠くなった気がした。
目の前の一也がかすむ。
「先輩」
一也の声が聞こえた気がしたが、筑波には良く分らなかった。ただ、何か……何かが、自分の知らなかった何かが一瞬見えた気がして―――
(…一也はいい奴だ……珍しいくらい真面目だし、武道家としても科学者としても、凄い才能をもってて…先輩達からも可愛がられてて……俺だって好きだと思ってる……思ってる………)
―――でも、それだけじゃない。
「…それだけじゃない…?」
その他に何を、どんな感情を持つというのだろう?持ちようがないではないか。沖一也は誰が見たっていい奴だ。いい奴に好感を持つのは当たり前で、それ以外にもつ感情なんてありえない!
―――でも、そうじゃない。
(……あれ?…)
筑波は、ひとつの箱の前に自分が立っているような錯覚を覚えた。
黒くて小さな箱。どこから開けたらいいのか分らない、ただひたすら真っ黒な箱。そんなに黒いから、今までその存在に気付かなかった小さな箱。それが今見えかけている。筑波は確実に、しかし酷くゆっくりと時間をかけてその箱に近付く。中身を見たい。中身が気になる―――だけど、それと同時に見たくないという想いも強い。
それは何故?
(……俺に解るわけない……)
箱の上に手が置かれる。まるで他人事のようだ。それなのに緊張感に胸が押し潰されそうになる。箱の中を見たい!でも見たくない!見たくない!―――気付きたくない!!
筑波は、黒い箱の上に置かれた手を引き戻そうと、腕に力を込めた。
が、
「無理しなくてもいいんです」
降り注ぐような柔らかい声が頭の上から降ってきた。
引き戻そうとしていた手が、その声に押されるように蓋を開ける。
蓋の下から見えてきたモノは、見えてしまったモノは―――
「俺は知ってますから…」
あなたが苦しんできた痛み全部―――そう言いながら、一也は静かに微笑んだ。
それはまるで澄んだ青空のようで…、
「……なっ…」
だけどそれは仮面ライダースーパー1・沖一也の笑顔で…、
―――好きだけど、それだけではないからこれ以上近付きたくなかった―――
「何でお前が言うんだよ…!」
―――やりきれない悲しみと苦しみ。そんな感情を隠したままでいたかった―――
だって、それはどうしようもない事だから。気付いた所で簡単に処理できる感情ではないし、沖一也が悪い訳でもないから。
押し隠したままでいられたら、自分にさえ気付かないように闇の奥に押し込めていられたなら、誰も傷付けずにいられた。
(それなのにどうしてお前がわざわざ?!)
「すいません。でも、俺が言わなきゃ駄目だと思ったんです」
それでも一也の声は、混濁した筑波の耳に鮮明に届く。
「俺が言わなきゃ、きっと先輩は自覚しないままだと思ったんです」
そんな一也の言葉を聞きながら、筑波はただ、瞳からとめどなく流れる透明な液体が落ちる様を、ひたすら睨みつけていた。
沖一也の声が、淡々と筑波の鼓膜を震わせる。
「自覚しないと、先輩は自分でも知らない間に自分を傷つけてしまう…俺は、俺はそれを食い止めたかったんです―――あなたが好きだから…」
終
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