その日は朝から小雨が降っていた。
雨は昼過ぎから大粒に変わり、屋根を激しく打ち、喧しいほどの音を響かせていたが、日付が変わる少し前に、又、小雨に戻った。
その雨を肴に、北町奉行所与力・青山久蔵は酒を飲んでいた。盃に顔を近づけ、酒独特の香りを楽しみ、次に口の中に含み味わう。
そんな静かな時間を楽しんでいると、
「……うっ…」
青山の後ろで寝ている男が呻き声を上げた。
今、青山がいる部屋の主人であり、彼の部下である男。そして―――、
「いつまでたっても慣れねぇなぁ。八」
北町奉行所同心・仏田八兵衛が布団で延びている様を横目で見ながら、青山は呟いた。口元に、青山特有の皮肉な微笑を浮かべて見せると、八兵衛は眉間に不機嫌な皺を作った。
「そんな事言ったって慣れませんよ。青山様も一度経験されたらどうです?つらいんですから」
八兵衛の言葉に、青山は声を上げて笑った。
「なんでぇ、八。お前俺を抱きたいのかい?」
「え?!」
八兵衛は驚いた顔をした後、青山が何故そのような事を言ったか検討が付いた。
顔を真っ赤にさせて慌てふためく八兵衛。
その様子に、青山は爆笑した。
「はははははは、お前って奴は本当に飽きねぇなぁ」
「………くっ…」
八兵衛が涙目で睨むのを軽く無視し、青山は再び障子の外へ目を映した。
そこには、まだ降り続ける雨があった。
青山が八兵衛の家に現れたのは、八兵衛が夕餉を食べ終え一息ついた時だった。
いつものように、裏手から中庭に入って来、
「よう」
と、声をかけた。
何か緊急の事件が起きたのかと八兵衛は思案したが、青山はゆったりとして別段慌てる風でもない。 青山は怪訝な顔をしている八兵衛に不敵な笑みを向け、斜め後ろに視線を移した。
八兵衛が主に使う私室の真向かいの母屋に、彼が部屋を貸している骨つぎ屋・水原弥生が住んでいるのだが、今日は所用で出かけていて、帰ってくるのは早くても次の日の昼頃だ。
「弥生先生はお出かけ…か…」
故に、青山は八兵衛の部屋へやって来たのだ。
久し振りの情事を楽しむ為に。
布団の中で痛い腰を擦りながら、八兵衛は口を開いた。
「それにしても、よく今日、弥生さんがいないこと知ってましたね。急に決まった事なのに」
「八…、情報収集は大事だぜぇ?」
「………市之丞様から聞き出しましたね…?」
「人聞きの悪い事を言っちゃいけねぇなぁ。あいつが教えてくれたんだぜ。自分から」
「……………」
青山久蔵の一人息子・市之丞は弥生を師と仰ぐ、医者志望の真っ直ぐで聡明な若者だ。毎日のように弥生の元へやって来ては、医学を勉強している。青山はそれを認めた訳ではないが、あまり五月蝿くは言わないでいる。
弥生の部屋に視線を移し、青山はそちらへ顎を杓った。それに合わせ、八兵衛も視線を移す。
「弥生殿がいたんじゃぁ、楽しめるモノも楽しめねぇからな」
弥生は八兵衛に惚れている。性格のせいか、あまりそれを認めようとしないが確かな事だ。それを二人は充分承知している。特に、青山は。
「八の喘ぎ声なんかが弥生殿の耳に届いた日にやぁ、弥生殿に殺されかねない」
「青山様!」
「はははは、照れるような歳かい」
青山は盃を畳の上に置くと、まだ布団の中で伸びている八兵衛の傍へ寄った。
驚き戸惑う八兵衛を他所に、彼の肩を抱く青山。
「あ…青山様?…」
「静かにしろい」
そう言うと、青山はそのまま八兵衛の口を自分の唇で塞いだ。
一体どこで習ったのか、青山は接吻もそれ以上の事も上手かった。接吻はともかく、男相手にそれ以上の事も上手いというのは、流石に最初、八兵衛も驚いた。…ま、今でも慣れた訳ではないが。
八兵衛の反応を楽しむように、青山はじっくりと時間をかけて接吻をした。次第に熱くなる互いの体。
やっと八兵衛から離れた時には、青山は戦闘態勢に入っていた。
八兵衛にもソレは解った。
「…青山様」
「朝までに時間はある…。まだまだな」
「…………あのですねぇ―――」
抗議をしようとした八兵衛の口を又塞ぐ。今度はさほど経たず離れた。
「良いから俺に任しちまいな」
有無を言わさぬ声色。
八兵衛はその声に弱く、又その声が好きだった。
仕方無しに、全身の力を抜く。
青山は微笑をこぼすと、八兵衛の上に重なった。
…雨はまだ降り続いている。
終
|