特定の何かではない。
複数の音だ。それが複数の人によって生まれ、辺りに響き渡り、その存在を嫌でも教えてくれる。本人の意思など関係無い。耳を塞いでいても聞こえる雑音。簡単に説明すればそんなもので―――つまり、ただうるさかった。
「…………」
テーブルの上に頬杖をついたまま、ウルトラ警備隊隊員であるアマギは短い嘆息をした。頬杖をしていない方の手でテーブルを小刻みに叩く。イライラしている時に出てくる癖だが、自覚はない。
(…全く、冗談じゃない…)
こめかみの辺りがピクピク痙攣する。
(マナーってモノを知らないのか?)
そんな訳ないじゃないか―――と、自分の問いに自分で答えてから、アマギは忌々しげに雑音の中心を見やった。
地球防衛軍極東基地内にある食堂。
アマギがいるのは、その食堂の片隅だった。勿論、食事をするためにやってきたのだから目の前には盆に乗った昼食―――食堂おすすめの品・日替わりランチ(スープ&サラダ付)―――が置いてある。が、全く箸をつけていない。つける気にならない。
(食べる気もうせる程うるさいんだよ…!)
雑音の中心を睨みつける。
向こうがこの視線に気付き、その意味するところを理解して多少なりと静かにしてくれれば、とりあえずは食事もできるだろう。
だから気付け!―――と、アマギは目の周りの筋肉にグッと力を込め―――たつもりで睨みつけた。
が、
「…………」
勿論と言うべきかなんと言うか、アマギの視線に気付く者は誰一人いなかった。
雑音の中心で笑っている男も気付かなかった。気付くどころかこちらを見ようともしない。
それがアマギの癪にさわった。
(へらへら笑いやがって…!)
もう我慢の限界だった。
アマギは椅子を蹴って立ち上がると、大袈裟に足音を響かせながら雑音の中心に―――久し振りに再会したらしい、士官学校時代の後輩達に囲まれ楽しく談笑している、同じウルトラ警備隊隊員のソガに向かった。
途中邪魔になった彼の後輩を何人か押しのけ―――
「あ、アマギ。昼食終ったのか?」
呑気にそんな事を聞いてくるソガを思わず睨みつける。思っても見なかった反応が返ってきた為だろう。ソガは目を丸くしてマジマジとアマギを見つめた。
「…どうかしたのか?」
(どうかしたのかじゃない!)
それでも呑気に問いを投げてくるソガに更に苛立ちを募らせながら、
「うるさいんだよ。もっと静かにしてくれ。子供だってそんなに騒いだりしないぞ!」
アマギは口調も荒く言い放った。
と、それがカチンと来たのか、アマギがソガに近付く為に押しのけた男達の内一人が、乱暴にアマギの肩を掴んできた。反射的にアマギが振り返ると、男は剣呑な表情で口を突き出していた。
「ちょっと待てよ、それは言い過ぎじゃねぇ―――」
のか…と、続いたと思うが―――彼の台詞を最後まで聞く事はできなかった。姿も消えていた。その代わりと言ってはなんだが、見慣れた後頭部がアマギの目の前に現れていた。
ソガの後頭部だった。いつの間にか、アマギと男の間に割り込んだらしい。
よく見てみると、ソガはアマギに突っかかってきた男の両肩に手を置いていた。何やら言い含めるような声も聞こえてくる。
「まぁ、落ち着け。すぐカッとなるのはいい事じゃないぞ。俺だってよくキリヤマ隊長に怒られるんだからな」
「でも、センパイ。センパイがあんな事言われたら、俺―――」
と、ソガに対しては可愛い態度の男。
ソガは首を横に振って男の台詞を制し、ゆっくりと続ける。
「こいつはこういう奴なんだよ。ただ口が悪いだけで悪気は無いんだ。それに、俺達がうるさかったのは事実だろう?」
「…そ…それは………そうだと思いますが……」
「な?俺達はちょっとうるさすぎた。アマギがそれを教えてくれた。それだけだ。何も怒る理由なんてない。違うか?」
「あ、…イエ…」
完璧に説き伏せられ、男は小さく頷いた。それを確認すると、ソガは他の後輩達にも順々に視線を向けた。
「それじゃ、食事に専念しようか」
それを合図に―――それまで集まっていた十数人の男達がゾロゾロと四方に散っていく。ある者はカウンターへ。ある者はテーブルへ。ある者は食堂の出口へ。だが、全員ソガに何か一言挨拶してから去っていくのを忘れない。
それにいちいち対応しているソガの姿を見ながら―――アマギは妙に苛立っていた。
(なんなんだ…、一体…)
無意味な言葉を心中で呟きながら、アマギは、自分が雑音に悩まされていた時以上に不機嫌である事を知った。
食べる気もうせる程の雑音。それに苛立っていた。大勢の人間が休憩に集まる場で、マナー違反にも騒いでいた。それに苛立っていた筈だ―――筈なのに…、何故、その雑音が消えてしまっても苛立ちは消える事無く―――嫌、雑音の時以上に大きくなっているのだろう?
(…きっと、ソガが「こいつはこういう奴なんだよ」とか言ったからだ…)
自分に言い聞かせるように呟くアマギ。
だが、彼も気付いていた。そんな理由でこんなにも苛立つのはおかしい。
なら本当の原因は何?
(原因なんて、別に知らなくても……)
アマギが、そう思いながら舌打ちした時だった。
「食事はもうすんだんだったかな?」
後輩達を全員見送ったソガが、アマギを振り返って見上げた。いつもの微笑を浮かべて―――
「嫌、まだ途中だ…けど…」
「じゃ一緒に食うか」
と、こちらの了承を取る前に、ソガはカウンターに向かって歩き出していた。
どこか楽しそうに見えるその後姿を凝視したまま―――アマギは固まっていた。固まったまま戸惑っていた。
「……あれ…?……」
胸に手を当ててみる。そこに何かある訳でもないが、何かあるような気がしてならない。
(何、莫迦な事を…)
軽く頭を左右に振り、アマギは思わず苦笑した。
食堂の隅。自分の昼食を置いているテーブルに戻り着席し、アマギは少し中央によっていた盆を手元に引き寄せ、スプーンを持ち上げた。日替わりランチはすっかり冷え切っていて、あまり美味しそうに見えない。
「あ〜あ…」
これも全部ソガが悪いんだ―――と、ブツブツ文句を言いながら、アマギは、まず一番問題のなさそうなサラダにスプーンを突っ込ませた。
色彩豊かなサラダを口に入れたところで、向かい側に、同じ日替わりランチを乗せた盆が置かれた。
音に反応して視線を上げるとソガが椅子に座るところだった。
「なんだ、アマギと一緒かぁ」
その言い草にムッとして、アマギはソガを軽く睨んだ。が、ソガは笑っているだけだった。
それも又、アマギの癪にさわる。
(何がそんなに楽しいんだ…!)
不機嫌に顔をソガから反らせ、アマギは冷たいサラダを八つ当たり気味に力を込めて噛み砕く。とにかく腹が立つ。ソガがヘラヘラ笑って自分を見ている事が嫌でしょうがない。
が、アマギがこれだけ不機嫌な態度をあからさまにとっても、ソガは一向に気にする様子を見せなかった。後輩達と一緒にいる時と大差ない態度でアマギに話し掛けてくる。普通、ここまで不機嫌な態度をとられれば同じく不機嫌になるとか理由を聞いてくるとか色々反応の仕方もあるだろうに。
(…鈍いんだな。鈍すぎるんだ)
そんな失礼な結論をアマギが出した、次の瞬間だった。
―――カチャッ。
そんな音が聞こえたのは。
「……?…」
食器が置かれる音―――そんな音だった。ソガが食べるのに食器を持ち上げてから置いた音かもしれない。だが、それにしては音が近いし大きい。
不思議に思い、アマギは反らせていた顔を元通りに戻した。
「………え?……」
目の前には、暖かそうに湯気を立てる食堂おすすめの品・日替わりランチ。
更に前方に視線を動かすと、そこには不味そうにすっかり冷め切った食堂おすすめの品・日替わりランチ―――つまり、先程までアマギが食べようとしていたランチセットがある。
それをソガが食べている。
「…………え?………」
「早く食べないと冷めるぞ」
事態が把握できず混乱しているアマギに、ソガが普段と変わりない口調で言ってくる。あまりに普段と変わらない―――それまでと同じ口調だった為、アマギは自分の目がおかしいのかと思った。
一応念の為、温かそうなスープをスプーンですくい口に入れてみる。
「………温かい……」
「美味いだろう?」
「あ…ああ―――じゃなくてだ!!」
そのまま流されそうになったが何とか踏ん張り、アマギは叫ぶと同時に椅子を蹴って立ち上がっていた。
きょとんと自分を見上げるソガ。その目の前にある冷め切ったランチを指差しながら、
「一体何をしたんだ?!」
「何って。冷めている方が良かったか?」
心底真面目に聞いてきているらしいソガに脱力感を覚える。
「そうじゃなくて、何でこんな事するんだっという―――」
「俺のせいだろぅ?」
自分の言葉を遮って聞こえてきたソガの問いに、アマギは反射的に首を捻った。
「……え?……」
今いち理解できていないアマギに、ソガが少し説明を増やし同じ問いを繰り返す。
「冷え切るまで食べれなかったのは、俺が騒いでたせいなんだろぅ?」
「…そ…それは……」
その通りだった。その通りだが、彼がそれに気付いているとは思わなかった。思わなかったから、アマギは即答できず口篭った。
質問に答えず立ち尽くしているアマギをどう思ったのか、ソガは、手を伸ばしアマギの方の盆をコンコンと叩いた。
「それに、俺は冷めてる方が好きなんだよ」
(…それは……嘘だろう…)
確信や確固たる理由を知っている訳ではなかったが、反射的にアマギはそうだと思った。
自分に気をつかわさない為の嘘。
(…莫迦じゃないか?)
そんな嘘をついたって、バレていたんじゃ意味がない。
(それに、誰が気をつかうもんか…)
当たり前だ。当たり前なんだ。ソガがこうする事は当たり前の事なんだ。彼に迷惑をかけられたんだから、こういう気遣いがあって当然だ。
「…………」
だが、アマギは―――
黙ったまま椅子に座りなおしスプーンを持ち上げ食事を再開しながら、チラッ…と、同じく食事を再開したソガを盗み見し、
「…………」
胸に広がる暖かな“何か”に、知らず口元を緩ませていた。
アマギが自分の気持ち気付くのは、まだ暫らく先の話…。
終
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