海から吹く冷たい風が神敬介の髪を揺らした。遠く、水平線の上をゆったりと船が進んでいる。
(…海―――か…)
仮面ライダーXこと神敬介は、一人で砂浜に立っている。一週間前の二月三日に起きた漁船難破事件の調査の為に、彼はこの海岸付近へ仮面ライダーストロンガー・城茂と共にやって来ていた。
何故、一週間も経ってから調査に乗り出したかというと、当初この事件は単なる海難事故だと思われていたからだ。だが、先日、漁船が難破した海域付近を航海中の客船が一人の男を救出し、その見方は大きく変わった。男の身元は、難破した遠洋漁船・軌水丸の船長。息はあったが彼の体は普通では考えられない損傷を受けていた。彼を助けた船員はその様子を、取材した記者にこう話した。「まるで泡に襲われたようだった」と…。
不審に思ったが、確たる証拠も無いので仮面ライダー全員が出払うわけには行かず、(仮面ライダーがいない間に怪人が暴れ回るかもしれない)七人の中から二人だけが出向く事になった。
それが神敬介と城茂。
二人とも自ら志願した。特に敬介は海に適した改造を施されている深海開発用改造人間・カイゾーグだ。沖縄水産大学に籍を置いていた事もあり、海洋知識も他のライダーより豊富で今回の事件に適任。そして…―――、
「―――そっちはどうだった?」
海を見つめたまま、敬介は振り返りもせずに聞いた。
「どうもしねぇ。これと言って何も無し。お手上げ。八方塞」
と、後方から城茂の声が響く。この付近で事件の事について聞き込みをしていた茂が、待ち合わせ場所に帰って来たのだ。砂浜を少しけだるそうに歩きながら敬介の横に立つ。
「で?敬介さんの方は?」
「軌水丸の船長の意識が回復したらしい。もし、難破事件に悪組織―――【ショッカー】や【デストロン】【GOD】【ブラックサタン】等々―――が係わっているのなら、船長を生かしておく筈はない」
「確かに…」
茂は頷き、続ける。
「と、なれば決まりだ。で?その幸薄い船長さんが運び込まれた病院は何て言うんです?」
「―――川上病院」
二人はそれぞれ愛車に跨ると、病院へ急いだ。
日がもう沈みかけている。
改造人間が目撃者の船長を襲うなら、それは日が沈み、あたりが暗くなってからだ。誰も気付かないうちに忍び寄り、物音を立てずに息の根を止めるだろう。その魔の手から船長を救うには、自分達が動き出した事を相手に知られる前に、彼の近くに身を潜め、怪人の襲撃を待つしかない。
川上病院に着いた二人は、普通に受付で聞いても教えてもらえないので(小五月蝿い記者やリポーター、それから好奇心旺盛としか言いようの無い野次馬から絶対安静の患者を守る為だ)、早速、船長の病室を探した。
大した苦労も無く二人は件の病室を見つけ出した。川上病院で面会謝絶の札がかかっているのは、たった一部屋だけだった。
病室内と周りに―――船長以外―――誰もいない事を確認し、茂はゆっくりとドアを開けた。やっと人が一人は入れるくらい開けると素早く中に滑り込む。敬介も後に続く。そして、今度は素早くドアを閉めた。
部屋の中は薄暗かった。船長はどうやら寝ているらしく、微かな寝息が聞こえる。
「さて…と。どこに隠れますか?」
声を落として茂が問う。
「俺はロッカーの影に…。茂はベットの下に…」
「了解」
二人はそれぞれの場所に納まると、長時間いても大丈夫なように、出来るだけ楽な姿勢をとった。
* * *
真夜中、日付が変わった頃だろう。敬介は外から異様な気配を感じた。ベットの下に身を潜めている茂も感じたらしく、こちらに視線を投げてよこす。それに頷き返し、敬介は窓の方へ神経を集中させる。
ペチャペチャ…という―――水を滴らせた『何か』が壁を上ってくるような―――音が聞こえてきた。それは少しづつ近付き、やがて三階にある面会謝絶の札がかかった病室の窓の下辺りで止まった。
息を呑む敬介と茂が見守る中、窓の鍵がカチャリと音を立てて開いた。そして、ゆっくりと、しかし確実に―――『何か』が病室の中に侵入する…。
窓から射す月明かりに浮かび上がった『何か』のシルエット。それは明らかに普通の人間のソレではなかった。ベットで寝ている船長に近付く『何か』。―――船長の上にその手が伸び………、
「そこまでだ、怪人さんよぉ!」
「!?」
茂がベットの下から抜け出した。
不敵に微笑みつつ『何か』を睨み付ける。
「さぁ〜て、どこのどなたか名乗ってもらいましょうか?」
「………貴様、仮面ライダー…」
月明かりを背にした怪人がうめく。
「俺を知ってるって事は、やっぱり大首領がつくったどっかの組織の改造人間か」
「くっ、最早嗅ぎ付けていようとは……」
「言え!船を襲って何を企んでいる!?」
茂が詰め寄る。と、途端に怪人は外へと飛び出した!窓ガラスが割れ、つんざくような大きな音が静かな病院中に響き渡った。ざわめき出す人々。
「待ちやがれ!」
「茂!」
怪人を追って茂が窓から飛び降り、更に敬介も後を追う。敬介が地面に着地した時には、茂は愛車・カブトローに跨りエンジンをかけていた。
怪人は前方を、黒い豆が走っているように駆けて行く。まだ、何がモチーフの怪人か分らない。敬介は苛立った。迂闊に近付いて毒液でも吹きかけられたら堪らない。
(どうする?…)
自分も愛車のエンジンをかけ、敬介は怪人と茂の後を追う。夜の風―――潮の香りを含んだ冷たい風が、音を立てながら後方へ過ぎていく。
(もうすぐ海か…。―――海に向かっているのか?)
と、前方から怪人にカブトローをぶつけるような音が響いて来た。
「へっ、どうだ!」
茂に追いついて見ると、怪人は砂浜まで飛ばされていた。
さえぎる物が何も無い砂浜で、怪人は月明かりを一身に浴びていた。敬介の目にも、茂の目にも、怪人の姿ははっきりと映った。
「―――っ!?」
敬介の体が急に鉛になったように動かなくなった。頭の中で鐘の如く声が鳴り響く。
―――そんな筈はない!
茂は愛車から降り、まだ倒れている怪人に近付いた。
「お前は何の改造人間だ?海関係だと思うけどよ」
「………ネプチューン…」
掠れた声が敬介の口から漏れた。
茂が振り返る。
「知り合い?」
「―――嫌、そんな筈はない―――ネプチューンがここにいる筈は―――」
「敬介さん?」
敬介に茂の声は聞こえていなかった。ただ、改造人間・ネプチューンを凝視している。ネプチューンはそんな敬介の様子を可笑しそうに見ていた。
「どうかしたんすか?」
「ネプチューンは倒したんだ、俺が―――Xライダーになって初めて倒した怪人だ…。だからここにいる筈がない!」
あらん限りの声で敬介は叫んだ。まるでそうすればネプチューンが消えてしまうとでもいうように。
茂は驚き、敬介の様子を窺った。こんなにも取り乱した敬介を見るのは初めてだ。何が敬介をそうまで動揺させているのか茂には解らない。
頭を横に振り、目の前の事全てを否定しようとする敬介に駆け寄りながら、茂は叫び声に近い声を発した。
「ちょっ―――落ち着いてくださいよ!以前倒した怪人がいるからって何でそこまで動揺するんすか?!再生怪人なんて、今まで何体も出てきたじゃないすっか!」
敬介は頭を振った。
―――悪い夢なら覚めてくれ!
「倒したんだ―――あの時、左足を怪我しながら―――」
「はははははははは、そうだ!」
それまで黙っていた怪人が急に大声を出した。驚き振り返る茂と、目を僅かに見開く敬介。
二人の様子を、舐め回すようにギョロリと目玉を動かし見るネプチューン。カブトローに激突された衝撃から立ち直ったようだ。
「俺はお前に倒されたGOD機関の神話怪人・ネプチューンだ!総司令の恩情により再生されたのだ!貴様に大きなダメージを与えた功績を認められてな!」
ネプチューンは一呼吸置くと、更に続けた。
「まさか貴様と早々に出くわすとは思わなかったが、まぁいいだろう。楽しみが早くやって来ただけだ。言っておくが、俺を他の再生怪人と一緒にするなよ。体の各所は強化されたし、更にそれらを上手く活用する為の訓練も何ヶ月と受けたのだ。今度こそ貴様を―――Xライダーを倒す為にな!あの愚かな父親のように!」
敬介は、電流が脳天から突き抜けたような衝撃を受けた。手が痺れ感覚が麻痺する。
「惨めに殺してやる……。あの時父親と共に死んでおけば良かったと後悔しながら死ぬが良い。ははは、しかしあのオヤジもなかなかしぶとかったらしいな」
「…止めろ…」
怒りに掠れた声が、敬介の口を突いて出た。ネプチューンはそれに気付かず続ける。
「あれから死に瀕している貴様を改造したそうじゃないか。全く、改造人間でもないのに何たる生命力!まるでゴキブリ並―――」
ネプチューンの言葉は途中で切れた。そうせざる得なかった。敬介の満身を込めた拳が、ネプチューンの顔面に炸裂したのだから。
ネプチューンは後ろに大きく仰け反り倒れた。
「!?」
「…止めろと言っただろ、ネプチューン。俺を倒したいのなら今すぐかかって来い…」
敬介はいたって静かに話したが、その声色は明らかに怒りに満ちていた。怒気のせいで燃えあがる瞳。その瞳にゆっくりと立ち上がるネプチューンが映る。
少しへこんだ鼻辺りを擦りながらネプチューンは言った。
「ははははぁ〜、俺もそうしたいが今は忙しい身でな。対決は今度という事にしよう」
「何を言っている!」
敬介が再びネプチューンに挑みかかった次の瞬間、ネプチューンは大きくジャンプして海に飛び込み、物凄い速さで泳ぎ始めた。
あっという間にネプチューンの姿は遥か海の彼方へ…。
砂浜に取り残された二人の耳にネプチューンの声が木霊する。
『今度会おう時は貴様が死ぬ時だ!』
敬介は振り返ると、愛車に向かって走り出した。なにをする気だと茂が問う前に、敬介はXライダーに変身しようと変身ポーズを取り始めた。慌てて茂は止めに走った。
「何するつもりなんですか!」
変身ポーズを羽交い絞めで止めた茂が叫ぶ。
「クルーザーで奴を追う」
茂の手を振り解こうと暴れながら敬介が答えた。
「何言ってんですか!奴はもう広い海のどこかに隠れちゃったんっすよ?いくらXライダーが深海開発用改造人間だって、見つけられると思ってるんすか!?」
「見つけてみせる!」
「今回俺達が来たのはあいつを倒すのが目的じゃないんですぜ?!あいつ等の作戦を知って潰すのが目的でしょうが!それを忘れて突っ走ってもらっちゃ困りますよ!」
「……………」
茂が言う事はもっともなので、敬介は暴れるのを止めた。力無く腕を下ろし、顎を胸に埋める。
安堵の息をもらし、茂は敬介から離れた。疲れた表情で頭を掻く。
「…感情的になりすぎっすよ…」
「…すまん」
「……オヤジさんを殺したあいつが再生されたのが、そんなにショックでしたか?」
項垂れたまま動こうとしない敬介の後姿を見、茂は言った。
敬介は弾かれたように振り向き、茂を凝視する。目が不思議そうに揺らいでいる。
「さっき奴が言ってたでしょうが…」
「…あっ、そうだったな…。―――そうだ。俺の父親はあいつに殺された…」
「羨ましいですよ」
敬介を見上げるようにして茂が言う。
「……何がだ…」
微かな戸惑いを見せて呟く敬介。
「俺、両親の名前も知らねぇから…さ」
「―――…そうだったな。…お前は孤児だったな」
「そ。だからそんなにオヤジさんの事大切に思ってるとこ見ると、何か羨ましくなりますよ。仲良かったんでしょう?」
敬介は自嘲気味に笑った。
「全然。会えば喧嘩ばかりしてた。…オヤジは城北大学で教授をしてた。俺にも『科学者になれ!』て、言ってたけど俺は船乗りになるつもりだったから、オヤジの言う事は全く聞かなかった。またオヤジが頑固で堅物だから余計に衝突してたよ」
「へぇ〜。…それなのにどうして?」
愛車に腰をかけ、敬介は答える。
「母は俺を産んですぐ亡くなって、オヤジが男手ひとつで育ててくれたからな。厳しかったが、それでも愛情を注いでくれてたんだと思う…」
敬介は苦悩が入り混じった笑みをこぼし首を振った。
「後からそう思ったんだ―――オヤジを殺された時はまだ混乱してて、そんな事考えてる余裕はなかった…。…………」
あの日の事が走馬灯のように脳裏を過ぎる。何も知らずに沖縄から帰って来、【GOD】の諜報員に殺されかけた事。父親に防弾チョッキを着せられた事。それから―――
「…他にもなんかあるんすか?」
ギクリ、と、敬介は体を強張らせた。茂の瞳を覗き込む。茂は敬介を正面から見ていた。その表情は真剣そのもので…。
「…なんでそう思う?」
「―――何となく」
「何となくぅ?」
思わず笑みがもれた。そんな所が城茂らしい。
茂は不服そうに笑った。
「なんだよぉ?」
「嫌、お前らしいなと思って…」
笑いかける敬介。それに笑みを返す茂。
(…茂はワザとあんな事を聞いたのかもしれない。だとすと茂に感謝しなくてはな…)
本当に『あの事』に気付いた訳ではなく、取り乱した敬介の気を落ち着かせる為に持ち出した方便なのだろう。
(…『あの事』…か…)
苦々しく心中で呟く。
ネプチューンの手により父が死亡した事も、その父が命と引き換えに自分を改造した事も、両方とも神敬介にはショックだった。しかし、『あの事』はその二つとは又違ったショックを敬介に与えた。それが胸の奥深くに突き刺さり、ことある事に痛み、苦しめる。
(さっき取り乱したのもオヤジの事だけが原因じゃない。ネプチューンを見て『あの事』も思い出したからだ…)
「で、どうしましょうか?あいつ―――ネプチューンだっけ?―――は逃げちゃったし。他の手掛かりといえば…」
「軌水丸が襲われた海域に行ってみるか…」
茂の声で我に返った敬介が後を続ける。
それに茂は頷いて答えた。
「そうっすねぇ…。そこから近い所にアジトがあるかもしんねぇし…。あ。でも、又、船長が襲われる可能性も―――」
「その心配はありません」
敬介と茂の間に、凛とした女性の声が割り込んだ。
「誰だ!」
茂は、声がした方―――浜辺近くの木の陰―――へ誰何の声を上げた。が、それを敬介が制す。
「?」
「心配がいらない理由を教えてくれますよね?霧子さん」
茂が怪訝そうに見る視線を感じながら敬介は言った。
肩まで伸びた黒い豊かな髪を揺らし、濃い青色のレザーコートを着た女性・水木霧子は、木の陰から姿を現し、砂浜に立つ二人に近付いた。霧子は言う。
「軌水丸の船長を抹殺する意図は、基地から逃げ出した船長の口から、今回の難破事件がただの事故ではないと知れ渡る事を防ぐ為でした。貴方達・仮面ライダーに作戦を気付かれたくなかったからです。ですが貴方達が既にその事に気付いてしまっている今は、船長を抹殺する事よりも他にやらなければならない事が出来ました」
「それはなんですか?」
敬介の瞳をまっすぐ見つめ返し、霧子は続ける。
「貴方達に今回の作戦内容を具体的に知られないよう、今使っている基地を放棄する事です。船長を襲う理由も余裕も、今はありません」
「………」
複雑な思いで敬介は霧子を見つめた。敬介の心中を知ってか知らずか、霧子は表情を少しも変えはしない。
「作戦を別の場所で続ける為、関係資料や必要最低限の物品を運び出すには―――膨大な量なので―――どうしても時間がかかります。そして、その間、基地の防衛チェックは手薄になる筈です」
「だから、その間に基地に潜入しろと?捕らわれた人々を救い出し、作戦を叩き潰せと?」
「そうです」
朗々と、まるで目の前にある文章を読み上げるように話す霧子。精巧に作られたロボットのようだ。そんな霧子に、
「何であんたそんなに詳しいんだ?」
黙って二人の会話を聞いていた茂が疑問をぶつけた。
その瞳は不信そうに霧子を映している。あまりに露骨な茂の態度。それでも霧子の表情は変わらない。
代わりに敬介の表情が変わる。
「茂、この人は霧子さんと言って俺の知り合いだ」
「それは見てりゃ分りますよ。俺が気になるのは、奴等の情報に何でそんなに詳しいのかって事だ。その様子だと基地の場所も知ってるんじゃぁないのか?」
「ええ。漁船が難破した場所から2km離れた海底にあります」
事も無げに言う霧子。
その様子が更に茂の不信感を煽ったようだ。
「何であんたはそんなに詳しいんだ?…」
「…茂」
「貴方の疑問はもっともです。ですが、今はその理由を言う事は出来ません。しかし、私は貴方達の敵ではありません」
「…………」
霧子の瞳を覗き込む茂。その中に何を見たのか、茂は嘆息すると仕方ないといった様子で頷いた。
「…分ったよ。あんたの言う事を信じよう。今だけな」
「それでもかまいません」
霧子は敬介に向き直る。
「基地は先程言った場所にあります」
「………基地には―――涼子さんもいるのか?」
少しためらった後、敬介は聞いた。
この時、初めて霧子の表情が変わった。しかしそれは些細な変化で、更に、すぐに元に戻ってしまった為、敬介は霧子の変化に気付かない。
「…いるのか?」
「………………」
霧子は答えない。〈YES〉とも〈NO〉とも―――。
答えを聞きたくて聞いた筈なのに、何故か敬介は霧子が答えない事にホッとした。そんな自分を訝る。
(…俺は何を聞きたかったんだ?…涼子さんに基地にいて欲しかったのか?何か涼子さんと話したかったのか?…―――それとも、基地で涼子さんに会うのが恐かったのか…?)
「あっ!?」
不意に霧子は踵を返すと、何も言わずその場を後にした。ネプチューンのように高速で遠ざかって行く訳でもないのに、二人は霧子を追うとしなかった。
やがて霧子は夜の闇に消え、彼女がこの場所にいた形跡も、凍てつく潮風に掻き消された。
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