草木も眠る丑三つ時。
そんな静けさの中、慌ただしく帰宅してきた足立友作は珍しくベロンベロンに酔っ払っていた。雲の上を歩くような足取りで、危うく倒れそうになる。
「オイ、しっかりしろよ」
と、素っ気なく言いながらも、友作の長年の親友・大門十三は彼の腕を自分の首にかけ、しっかりと抱きかかえていた。
少し小柄の色白で、どこから見ても気弱そうな友作とは正反対に、色の濃いサングラスをかけ皺一つない白いスーツを見にまとった大門には、一睨みでチンピラなどは震え上がるであろう貫禄がある。実際、大門には芝と言う、彼を敬愛している舎弟がいる。
「飲めないくせに飲みすぎだ」
スーツのポケットから勝手に鍵を探り、大門は友作の部屋のドアを開け、入る。
飲んだ量は大差ない筈なのに、顔色一つ変えてない大門にされるがままの友作は、目を閉じたまま呂律が回らない口を開く。
「らってさぁ〜、俺ぇ、嬉しかったんらも〜ん」
へらへらと笑う友作をソファーに放り出す大門。
それでも友作は心底嬉しそうに笑っている。
「それにしても〜、課長も素直じゃないんらから〜…。ろうして好きなのに『こんなブス』とかいっちゃうんらろう〜?まったく〜馬鹿らな〜…ヒック…」
友作はいつもより饒舌になっている。
そんな友作に、大門は鼻で笑ってみせた。
「偉そうに。結婚までこじつけただけ、あの、課長の方が甲斐性あるじゃねぇかよ」
「ははは〜、相変わらずきついんらからぁ、大ちゃんは〜」
いつもなら少しムッとする所なのだろうが、乱暴で不器用な同僚が結婚した喜びと、大量に摂取したアルコールの酔いにより、友作は異様なまでに上機嫌だ。
大門は友作の浮かれように嘆息すると、彼から目を離しながら話を振った。
「お前はよ、今好きな女はいねぇのかよ?」
脳裏に、四年前に他界した妻の姿が映し出される。
友作も愛した妻の姿が―――。
大門が考えている事など露とも知らず、含み笑いをした後、友作は答えた。
「いるよ〜」
「…誰だ?…」
いないと思い込んでいた大門は、意外な答えにらしくもなく動揺した。それを知られないよう、努めて冷静さを保つ。
そんな大門に向けて、友作はケラケラと笑いながら心底嬉しそうに口を開き、好きな人の名を口にした。
「大・ち・ゃ・ん♪」
「馬鹿!俺は男だぞ」
驚いた大門はソファーで寝転んでいる友作に顔を近づけ怒鳴り声を上げる。しかし、友作は笑顔のままだ。
「う〜ん、れもぉ俺、大ちゃん好きらよ〜。世界で一番好きらよ〜?」
と、急に友作は赤い顔のまま真面目な表情になった。先程までの呂律の回らない喋り方さえ、どこかに行ってしまい。しっかりとした口調で彼は言う。
大門の瞳に真っ直ぐな…そして純粋な光を宿した瞳を向けて…。
「…俺、今でもよ〜く覚えてるもん…。俺が死にそうになった時の大ちゃんの心の叫び…」
数ヶ月前に起きた不慮の事故。
長い階段から落ちた友作は意識不明の重態となり、約一時間、死線を彷徨った。
『死ぬな友作。死なないでくれ。カミサマ、こんなのってありかよ?一生のお願いだ、カミサマ、こいつを助けてくれっ!』
その連絡を受け、大門が病院に担ぎ込まれた友作の元にたどり着いた時、その場にいた全員が諦めの色を見せていた。
足立友作はここでその人生を終えるのだと―――。
頭等いたる所に怪我をし、ぐったりと力無くベットの上に横たわっている親友を目にした大門は、心と裏腹な事を叫びながら彼の横に跪いた。
心の中で号泣しながら、必死にその魂に呼びかけた。
『おまえの代わりなんて、どこにもいない。おまえは、俺が心を開いた、たった一人の友達だ。いくな、友作、戻って来てくれ!』
自分の体から全てが無くなっていく錯覚を覚えた、最初で最後の経験。
友作の言葉でその時の事を思い出し、大門は居心地の悪さを感じた。
友作から離れ、ソファーに預けられているその身に毛布をかけてやる。
「馬鹿言ってないで、さっさと寝ろ!」
「うん〜、そうする〜。大ちゃん、ありらとう〜…」
再び呂律の回らない口調に戻ると、友作は深い眠りに沈み込んだ。
嬉しそうな表情のまま―――。
「…ったく、何言ってやがんだか…」
その表情を視界の端に入れ、大門はゆっくりとした動作で後頭部を書いた。
静かになった部屋の中に時計の音だけが響く。
大門は暫らくじっと立っていた。
そして―――
「………」
ゆっくりと体を動かすと、大門は穏やかな寝息をたてている友作の傍らに跪き、その顔を覗き込んだ。見慣れたと言えば見慣れた顔。もう三十代後半だと言うのに、どこか幼さをのこした可愛らしい顔。
その顔を見ていると、無性に愛しさが込み上げてきて、大門はその桃色に染まった木目の細かい白い頬に指を這わした。そして目尻に、鼻の脇に、唇に―――
「……ん…」
こそばいのだろう、友作が微かに首を横に振った。
それと同時に、大門は我に返った。
自分の行動に驚きを隠せない。目を見開き、自分の指を睨みつける。
「…何やってんだ…」
どこか自嘲気味に呟くと、友作の体をしっかりと毛布で覆い、大門は部屋を後にした。友作のポケットから出したままの鍵で、部屋をロックする。その鍵を手の中に握り締めると、複雑な思いを抱いて、彼はその場から立ち去った。
深い紺色の空で美しい月が輝き、街灯が照らす夜の道を、ただ一人歩いている大門十三の姿を優しく包み込んだ。
彼等の物語はまだ終わらない―――
終
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